笹宮 明

……

神城 鋭

……

 ぱちぱちというキーボードを叩く音と、ペンタブにペンをこすりつける僅かな音、壁に掛けられた時計の針の音だけが世界の全てだった。

 十二月の事を陰暦で師走と言う。
 師が走り回る程忙しいから師走、という語源の正誤は兎も角、一年の締めくくりという事で、企業としても、神城一族の当主としてもすべき事が山のようにあった。
 と言っても、殆どの企業としての仕事は七篠に振ってあり、学校内での仕事は雪柳に振っていて、僕が直接でなくてはならない会議は夜に回してもらっている。

 放課後に出来る事はメールチェックくらいだ。メールチェックにしたってせいぜい一日千通程度。大した数ではない。

笹宮 明

……

神城 鋭

……

 猫神もなかなか忙しいようで、今日はさっさと帰ってしまったようだ。ボーイフレンド猫でも出来たのかもしれない。笹宮さんと付き合う上でレズに目覚められてしまうと面倒なのでいい傾向である。

 キーボードを鬼のように叩き、鬼のように流れていくメールを全て頭の中に治める。
 笹宮さんはいつも通りの平常運転、こちらに意識を割く気配のないくらいの集中力で画面に向き直っている。
 それが、つい無意識の内にあらゆる事に思考を割いてしまう僕と天才少女笹宮明の違いなのだろう。

 付き合いができて早半年、未だ笹宮さんの思考を読む事ができない。
 山は高ければ高い程こえがいがあるが、ここまで高いとなると、笹宮さんの寿命が先につきてしまうかもしれない。
 凡才が天才に追いつくなどおこがましいかも知れないが、それだけは避けたい所だ。

 と同時に、笹宮さんにならば負けてもいいかと思う自分がいたりもする。負けず嫌いの僕にそうとまで思わせるなんて、笹宮さんは凄い。

神城 鋭

まぁ、老化防止の研究でもさせるかな……

笹宮 明

……

笹宮 明

!?

笹宮 明

……またいつの間にか神城君がいる……。

 神城グループはあらゆる分野に手を伸ばしている。当然、医療分野にも手は持っているが、あくまでグループのメインはエンターテイメント関連なのであまり力を入れていない。

 真剣に考える。

 老化防止の研究ともなると、これから立ち上げるとなると時間がかかる事だろう。時間もない。神だが肉体的には笹宮さんが老いてしまう。
 しばらく手を止めて思考するが、方法はたった一つしかない。

 僕は一瞬ためらったが、自分の弱気を打ち消すように無駄に音高くエンターキーを押した。

笹宮 明

!?

 あまりに力を入れたせいで耐久仕様のキーボードがみしりと音を立てる。
 だが、それで自身の感情を押さえつけられるのならば安いものだ。 

神城 鋭

……仕方ない。
業腹だが笹宮さんのためだ。三桜グループと手を組むか。

 三桜グループ。

 元三桜財閥であり、日本で唯一神城を超える企業ランキング第一位、三桜鉄鋼をトップとした企業群を指す。

 その存在は紛うことなき仇敵であり、GEMとは比べ物にならない程の因縁がある。古くは戦国の世からずっと神城とは敵対してきた。

 僕はたいていの事には興味がないが、実は負けず嫌いだ。仇敵に頭を下げるなんぞ反吐がでるし、三桜と組むなんて考えただけで怖気が出る。
 それは一族郎党皆同じであり、恐らく一時手を組むのみとは言え猛反対を食らう事になるだろう。
 そもそも、日本で最も強力な天然能力者である三桜と、脈々と血を受け継ぎ才能を重ねて来た神城とはルーツも何もかもが真逆なのだ。

 もしかしたら、乱心したと疑われ家族に殺されるかもしれない。

神城 鋭

……全ては神のためだ

笹宮 明

……真剣な表情して何を考えているんだろう……

 唇に痛みが奔る。
 咥内に広がる血の香り。あまりにも力を入れすぎて無意識の内に唇を噛み切ってしまったらしい。

 舌を動かし、口の中の血の味を味わう。

 家族と争うのは怖くない。
 今感じている感情、これは嫌悪だ。心の底に眠る三桜への嫌悪によるものだ。あそこに頭を下げるくらいならうんこ食った方がマシである。

 だが、間違いなくあのグループの技術力はうちよりも上、老化防止の研究も遥か上を行っている。笹宮さんの力になる、力になるのだ。

 煮えたぎる心を何とか底に沈め、震える指先で指示を送る文章をメーラーに打ち込む。
 送信まで後一エンター。このエンターは間違いなく僕の人生で最も重い。今までも、そしてこれからも。

笹宮 明

……

笹宮 明

……かっこいい……

神城 鋭

……

神城 鋭

ッ……ジークハイル・ササミヤッ!

笹宮 明

ッ!?

 力を入れすぎた人差し指がエンターキーを突き抜け、ノートパソコンを破壊する。だが、画面がブラックアウトする寸前、確かに僕は送信完了の文字がディスプレイに表示されるのを見届けた。

 パラパラと破片が手の甲に着くのが朧げに見える。

 全て終わった。これでいい。これでいいのだ。

笹宮 明

だ、大丈夫!? 神城君!?

 神の声が集中のあまり朦朧とする意識を揺らす。
 画面に集中している笹宮さんはこの程度の音では気づかないので、恐らく漫画を描き終えていたのだろう。全然気づかなかった。

 僕は手の甲に降りかかった破片を払い、笹宮さんの方を向いた。
 僕は全力を尽くすと決めたのだ。

神城 鋭

勿論大丈夫だよ

笹宮 明

そ、そう? ……ならいいけど……

 つまらない人生を送るくらいだったら、太く短い人生を送って死んだ方がいい。

第二十七話:ジークハイル・ササミヤ

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