浅かった。

 表情をこそ変えていなかったが、僕は内心戦慄していた。
 首が吹っ飛ばないように手加減はしているとは言え、まさか二撃もこの僕が間合いを見誤るとは。

 ただの華奢なお嬢様に見えて、持つものは持っていると言えるだろう。
 プラチナブロンドの髪に緋色の虹彩。絹裂くような悲鳴をあげ、ぶたれた頬を抑えるイリスを見て笑う。

神城 鋭

これがGEM……か……

神城 鋭

面白い

イリス・オリクト

な……エイッ!? なんで――

 何か色々言っているが、構うものか。
 お前の罪の数を数え捌きを粛々と待つがいい!

 あ、この表現いいな。今度笹宮さんに吹きこもう。

神城 鋭

七篠、サポートだ。
マウントとってぼこぼこにしてやる

七篠 明雲

わ、私を巻き込まないでくださいッ!!
そういうのは、しのの役割でしょおおお!

東雲 和真

……七、後で覚えておけよ

 七篠が情けない悲鳴をあげ、責任転嫁をし始める。ガタイはよくスポーツも得意なのに何故か荒事だけは苦手なのだ。

神城 鋭

馬鹿だな。
だから七篠に言ってるんだよ。そっちの方が『面白そう』

神城 鋭

だっ!!

 浅かったはずだが精神的な衝撃が大きかったのか、よろよろと後退るイリスを追って、僕は強く一歩踏み込んだ。

七篠 明雲

い、嫌がらせすぎる……

神城 鋭

その罪の数を数えよ

イリス・オリクト

ひっ――

 顔はだめだ。
 二度あることは三度あるかもしれないし、そもそも顔を傷つけたら問題になるかもしれない。

 ならば狙うは――ボディ。

 身を低くして右腕を後ろに、大きく振り上げる僕の目の前に小柄な影が割って入った。

 完璧なタイミングだったはずの拳が受け止められる。

神城 鋭

この雌犬め。僕の邪魔をするつもりか

お嬢様にッ! 手を出すなッ!

 イリスの側仕え兼、護衛。

 シリル・ブラッド。年齢不詳、人種不明。ただ、その実力は本物だ。どのくらい本物かと言うと、GEMの会長が眼に入れても痛くないイリスの護衛としてチョイスするくらいに本物だ。

 居ることは事前に聞いていたとはいえ、一番いなくなって欲しかった女の出現に僕は舌打ちをした。
 こいつの猛攻を躱しイリスのマウントを取るのはかなり難しい。

神城 鋭

チッ。面倒くせえ。
だが、笹宮さんの怒りはその程度で治まるものじゃないぞ

……は?

 笹宮さんの怒り、悲しみ、喜びの全てを込め、身を低く倒すと僕は蹴りを放った。

シリル・ブラッド

な!?

 容赦なくイリスを狙ったそれに、シリルが身を翻し割りこませる。ベストなタイミングではなったはずの蹴りは、シリルが反射的に振り下ろした足の裏で止められていた。

 息は切らしていないし、ダメージもない。全力を込めて再び放たれた蹴り――成人男性でも受け止められないであろう人外の膂力を込めたそれを、シリルは鮮やかにいなす。

 やはり身体能力が高くても体術的な面で専門家に勝ち目はない。

シリル・ブラッド

く……重い……!
神城の怪物めッ!

神城 鋭

これは笹宮さんの分ッ!

 今まで溜めに溜めた全ての恨みをこの拳に乗せるッ!

シリル・ブラッド

くっ……

神城 鋭

はあああああああああああッ!!

シリル・ブラッド

うっ!

神城 鋭

死ねええええええええ!!
いりいいいいいいいいいいいいいいすッ!!

シリル・ブラッド

……ぐぅッ!?

東雲 和真

イリスお嬢様のことばかりを狙っている……

七篠 明雲

相変わらず卑怯な……若……

 全力の連撃により、一応人間であるシリルの体勢が崩れかける。
 しかし、木の一本や二本余裕でへし折れる僕の蹴りの全てをいなすとは人間やめてるな、こいつ。

 受け流しきれなかった攻撃に膝をつくシリルを見下ろした。

神城 鋭

これは、笹宮さんとのラブコメなんだ。
お前には死んでもらう

シリル・ブラッド

く……何故、お嬢様を狙う!?

神城 鋭

お嬢様を狙えばお前を楽に倒せるからだ

シリル・ブラッド

なッ!?

 絶句するシリル・ブラッド。
 護衛すらどうとでもなれば戦闘能力のないお嬢様など煮るなり焼くなり好きにできる。

東雲 和真

相変わらず正直な……

七篠 明雲

うう……どうしてあの聡明で冷静沈着だった若がこんな風に

 大体、七篠と東雲が手伝ってくれればすぐに終わるのに、手伝ってくれないのが全て悪い。
 笹宮さんの怒りを表現するのは僕の二本の腕では足りなさすぎる。

シリル・ブラッド

くっ……お嬢様に何の恨みがある!?

イリス・オリクト

エイ……

 まだ後ろに隠れている世界有数のお嬢様の姿にチラリと視線を向ける。久しぶりに会った。前回会った時は僕がまだ笹宮さんと出会う前だったはずだ。

 こうして、真の神を知った今ではその存在が酷く色あせて見える。まぁ、元々ビジネスの関係で知己だっただけだけど。

神城 鋭

恨みどころか、正直、興味すらあんまりないんだけど、本当に人生で一、二位を争う重要なタイミングでこういう風に無理やりな招集かけられると正直困るんだよね

 敵は徹底的に叩きのめす。それは神城の家訓だ。
 相手が格上だったとしても、それは変わらない。

シリル・ブラッド

一、二位を争う重要な……

イリス・オリクト

タイミン……グ……?

 さぁ、伝えるべき事は伝えた。
 呼吸を短く整え、今度こそとどめを刺すべく裂帛の気合で踏み込む。

神城 鋭

笹神様のたたりを受けるがいいッ!!

シリル・ブラッド

ッ!!

 その勢いに、今までの構えでは受け切れないと悟ったのか、シリルが腕を固めガードの構えを取る。
 僕の拳がそれを吹き飛ばそうとしたその瞬間、

イリス・オリクト

エイ! シリル! やめてえええええええええええええええええええええええええッ!!

 イリスの鈴の音を転がすような叫び声。悲鳴のような叫び声。慟哭のような叫び声が室内にこだます。

シリル・ブラッド

ッ!?

神城 鋭

ッ!?

 まるで神に許しを請うかのような声。
 僕達をただ止めんと欲する声。
 護衛する主のその声に、シリルの動きが止まる。

 僕はそれを見て思った。

神城 鋭

チャーンス

 音もなく、草でも刈るかのように遠心力を使って放たれた拳が、イリスの緩みかけたガードを弾いてその鳩尾に突き刺さる。

 僕がイリスの叫びで攻撃を止めるとでも思っていたのか。

 否、ありえない。ありえないよ。生き馬の目を抜くビジネス界で生きる僕がその隙を見逃すはずがない。

シリル・ブラッド

がッ――

神城 鋭

さすが鍛えられてるな……

 急所を穿たれ、胃液を噴出し、身体をくの字にしてシリルが倒れる。
 常人だったら死んでもおかしくなかったが、やはりかなり鍛えられていたらしい。
 硬い肉を穿つ感覚――命に別状はない。もちろん、この状態で放っておいたらの話だ。今のシリルは無防備。

 さすがに頭をぶち抜かれたら死ぬだろう。
 倒れ伏すシリルの瞼を無理やり開き、瞳孔を確認する。

神城 鋭

でも、さすがに気絶した無抵抗の女に手出しするのは目覚めが悪いな……

神城 鋭

笹宮さんの漫画的にもNGかな……少年誌だし

東雲 和真

散々やっておいて、今更目覚めが悪いとか言うのですか……

神城 鋭

一応エンターテイメント事業はお客様あってのものだからさ……

 神城の当主としてそこの所は外せまい。
 身体を軽く動かしたら溜飲がやや下がった。

 部屋の片隅でがたがた震えているイリスの方に視線を向ける。

イリス・オリクト

ヒッ!?

神城 鋭

それにロリもけっこう風当たりが強いからなぁ……

七篠 明雲

ロリ……

 イリスは僕よりも一つか二つ年下だったはずだが、こうして比較するとずっと子供に見える。これは多分NGだろう。

 僕は一瞬首を傾げ、

神城 鋭

まぁでも、取り敢えずマウントとってぼこぼこにしとくか……
目的はちゃんと達しておかないと……

東雲 和真

神城様、もう十分かと。
今の段階ならばまだGEMも許してくれるかもしれません

 僕がGEMなら間違いなく許さないけど、東雲の考えるGEMは随分と寛容だな。

 イリスの方に一歩足を進める。

 まるで悪夢でも見ているかのような震える瞳と唇。怯えていても尚、美しいその容貌は確かに宝石と呼べるかもしれない。

神城 鋭

しかし、イリスってこんなんだったかな……今までちゃんと見てなかっただけか……

イリス・オリクト

エ……イ?

 やはり、お嬢様と言っても笹宮さんと比べたら雲泥の差である事を悟る。
 容姿も家柄も権力も、人の存在としての価値に何ら影響しないのだ。

 そう考えると、目の前の少女に対する元々殆どなかった興味がどんどん薄れていくのを感じる。

神城 鋭

まぁ、こんなもんか……笹宮さんと比べたらイリスは……まぁ、アオミドロみたいなもんだな

アオミドロ

笹……宮? アオミド……ロ?

 どうやら、本当に下らない時間を使ってしまったようだ。もはや殴る価値すら見出だせない。

 無言で立ち上がる僕に、今回まったく役に立たなかった東雲と七篠が近づく。
 まぁ、役に立たなくてよかったのかもしれない。東雲を使っていたら東雲かシリル、どちらかが死んでいただろう。

神城 鋭

帰るぞ

東雲 和真

シリルとイリス嬢はどうします?

神城 鋭

いや、僕はいらないから欲しいならあげるよ

東雲 和真

……そんな事聞いていません

 こんな事ならアオミドロの言伝を無視して冥と遊んでいたほうが有意義だった。
 まぁ、今回のでアオミドロの底も見えたし、次からは遠慮無くそうしよう。

七篠 明雲

イリスお嬢様とシリル様を送迎する手配をしました

 相変わらず手の早い男がしたり顔で報告する。

 僕は七篠に一度視線を向け、最後に哀れみを誘う目つきでこちらを見上げるアオミドロに視線を向けた。

神城 鋭

……なんていうか考えてなかったな。
どうせ敵対するだろうし、いい経験だから挑発しとくか

神城 鋭

……会長によろしく?
ミサイルでもなんでも撃ってこいよ。うちは逃げも隠れもしねえ、全面戦争だ

アオミドロ

ッ!?

アオミドロ

そんな覚悟の眼で……。
人生で一、二位を争う重要な――一体何を……

神城 鋭

笹宮さん、ちゃんと勉強やってるかな……

 次に学校で会った時にどうなっているのかちょっと楽しみだ。

第二十五話:笹宮さんは神、お前はアオミドロ

facebook twitter
pagetop