そして、僕達の車はホテルの前に静かに停止した。

 周囲には僕達以外の姿はない。
 ただ、ホテルの特徴であるライトアップされた時計塔だけが静かに時を刻んでいる。

 先ほど衛星で確認した際には数えきれない程並んでいたGEM所有の高級車は一台残らず退散していた。
 げに恐ろしきは、GEMの実行部隊のその練度。そして、当主ではないイリスの命令を即座に聞き入れるというその忠誠心。

 イリスは馬鹿だが、その周りは凄まじく優秀だ。ちょっと笹宮さんと冥の関係が思い浮かぶが、イリスは笹宮さんと違って面くらいしか取り柄がない。

 僕が出る前に念のため外に出て辺りを探っていた東雲が静かに後部座席の窓に顔を近づけ、唇だけ動かして声を出さずに報告する。

東雲 和真

周囲に気配はありません

神城 鋭

辺り十キロ以内に入れるなと言ったからな。せいぜい残っているのはイリスのお目付け役くらいだろう

 逆に言うのならば、十キロ外には先程までホテル周囲に詰めていた実行部隊がやきもきしながら待機しているだろうが、流石にGEMの実行部隊とはいえ、十キロの距離を一瞬でワープするような人外じみた真似はできないだろう。

 東雲が開けてくれたドアから一歩を踏み出し、僕はとうとう魔王城の前に降り立った。

神城 鋭

もし万が一手が滑って殺ってしまったらミサイルくらいは飛んで来るかもしれないな……

 何せ相手は世界の経済界に名を馳せる鉱物王、クロノ・オリクトが溺愛している孫である。名実ともに世界屈指の箱入り娘であり、入れられていた箱は宝石箱であり、そして金庫でもあるだろう。

 位置検索の術は勿論、バイタルチェックも常時行われているのは間違いない。

東雲 和真

滑らせないでください

神城 鋭

勿論善処はするが、一応ミサイルが飛んできても撃ち落とせるように準備しておけ

 ふと何気ない動作で夜天を見上げる。美しくクラシカルな時計塔は僕のお気に入りのスポットの一つでもある。

 だが、イリスがいると思うと、それも酷く霞んで見える。

 いや、誤解しないでもらいたいんだけど、別にいつもだったらここまで嫌っているわけではないっていうか、イリスなんて割りとどうでもいい存在なのだが、今回はとにかくタイミングが悪かったのだ。

東雲 和真

……戦争でもなさるおつもりですか?

 僕の冗談に、東雲が真面目な表情で尋ねてくる。

神城 鋭

戦争の発端なんていつも大体こういう下らない理由なんだろ。
所詮、人は争いが大好きなんだ。

 だから僕も至極真面目な表情で適当な事を言ってあげた。

 笑い飛ばして欲しかったのに、常に真面目な東雲はニコリともしない。まぁ、そこがこいつの長所でもあるんだけど。
 東雲は黙ったまま、ただ僕を見ていた。

東雲 和真

……どこまで本気なんでしょう

神城 鋭

助けてささえもーん。
あらゆる煩わしい事と責任から逃げ出して好き放題、笹宮さんで遊べる世界を出してよお

東雲 和真

……表情は真面目ですが、神城様は真面目な表情で下らない冗談をいいますからねえ……

神城 鋭

この顔は『……表情は真面目ですが、神城様は真面目な表情で下らない冗談をいいますからねえ……』とか考えている顔だな……恐るべし東雲

 ホテルのエントランスから小走りで人影が走ってくる。
 東雲も僕も警戒はしない。それは見知った影であった。

 金髪に碧眼。派手目な見た目の大柄の男。
 がっしりした体つきとは裏腹に暴力にめっぽう弱い男である。だが、代わりにすこぶる高い実務能力を有する。どれ位高いかというと、僕が東雲と同様に自身の片腕として選ぶ程度には高い。

 神城の傍流の一つ。企業序列第五位である七篠家の鬼才。

 その名を――。

神城 鋭

おつかれ、七篠

七篠 明雲

お疲れ様です。お待ちしておりました、若

 ――七篠 明雲と言う。

 七篠の格好は、突然夜に呼び出されたにもかかわらず乱れ一つない。
 いや、僕は呼び出していない。それどころか連絡さえ取っていないのに既に先回りしている。七篠はそんな男で、それが当然の男だった。

 その手の速さこそが僕が最も評価している点でもある。

神城 鋭

いい加減、若はよせよ。
今の神城当主は僕だ

 いつも通りの苦言を、七篠は慣れた様子でさらっと流す。

七篠 明雲

私にとっては、最初に取り立てていただいた十年前より、若は若でございます故

 僕の命令を聞かない男は今となってはこの男くらいだ。強く命じれば聞き届けるだろうが、その反骨精神もまた僕の周りにはいない属性であり、面白い。

東雲 和真

七。オリクトに連絡は取ったか?

七篠 明雲

嫌味たっぷりの抗議の電話を既に

神城 鋭

七篠、刃物持ってない? カッターでもいいけど

七篠 明雲

そう仰ると思い、既にホテル内から刃物の類は全て撤去致しました。包丁からカッターナイフ、ペーパーナイフに、バターナイフまで……

神城 鋭

……

 目の前のホテルを見上げる。かなりでかい高級ホテル、何部屋あるのか知らないが、全ての部屋から刃物を撤去するのは並大抵の事ではないだろう。

 こいつ、相変わらず手が早過ぎるな。そして、僕の意図を完全に無視してる。

東雲 和真

よくやった、七……

七篠 明雲

オリクトお嬢様との久しぶりの逢瀬、是非穏便に

 神城当主である僕の意志をこいつらは何だと思っているのだろうか。

 拳を手の平で握り、ぽきぽきと骨を鳴らす。

神城 鋭

まぁいいや。予定通り首をねじ切ってやろう

七篠 明雲

!?

 七篠の先導でホテル内に潜入する。僕はさっさと終わらせて帰りたいのだが、どうやらイリスは最上階で待っているらしい。
 馬鹿となんとやらは高い所が好きというが、真実のようだ。

 道中、七篠の小言が止まらない、

七篠 明雲

若……ほんっとうに、やめてくださいよ?
イリスお嬢様の髪の毛一本でも傷をつけたら大問題になりますから……

神城 鋭

さすささ、さすささ

七篠 明雲

……真面目に聞いてください。
GEMグループと事を荒立てる事になれば、神城千年の歴史の中でも大問題になりますよ?

 僕の辞書に自重の文字はない。

神城 鋭

相変わらず心配性だな、七篠は。
もっと自信を持てよ。お前はうちの中でもそこそこやる方だよ

七篠 明雲

じ……自信とかそういう問題ではございません!
そもそも、今は私の話ではなく若の話を――

 なんでガタイと精神がそこまで乖離しているのかさっぱりわからないが、相変わらずのようだ。
 東雲も、僕の身辺を警戒しつつもどこか呆れているように見える。

東雲 和真

七、頑張れ……お前の仕事だ

 大型のエレベーターに乗り、最上階まで一直線に上がる。
 この間、僕達以外誰一人見ていない。どうやらホテルの従業員や他の客は全てGEMが追い払ったようで、僕の国で本当に好き勝手にやってくれる。

 移動ついでに、七篠に尋ねる。

神城 鋭

七篠、もうイリスには会ったか?

七篠 明雲

ええ。相変わらずお美しい宝石のようなお方でした

 世辞にまみれた言葉。お前の言葉は軽すぎる。

神城 鋭

面なんて聞いてねえよ。大体、宝石ならずっと宝石箱に入ってタンスの奥にでもしまわれとけよ

七篠 明雲

……先ほどから思っていたのですが、若、そこまでイリスお嬢様の事、嫌ってましたっけ?

 僕もずっと思っていた。
 この心の底から感じる暗い情動はなんなのかと。

 殺意。これはそう……殺意だよ。

神城 鋭

今まではどうでもよかったが、今は正直吐き気がする程会いたくない。
まぁ、七篠がそこまで止めるなら殺るのは勘弁しておくけど……泣かす

七篠 明雲

……どうか穏便に

 穏便に泣かすってどういう意味だ。
 僕と七篠の会話を見て何を思ったのか、今まで黙っていた東雲が口を挟む。

東雲 和真

どうしても殺るのならばグレーでお願いします。明確にうちのせいだとバレたらオリクトは宣戦布告を躊躇わないでしょう。
限りなく黒に近いけど確信出来ないというレベルがよいかと。
そう……遅効性の毒を仕込むとか……

七篠 明雲

……しの、貴様、裏切ったか!

 その手があったか。

神城 鋭

だが、僕はそんな卑怯な真似はしない。殺るなら責任を持って自らの手でイリスの死を背負うよ

東雲 和真

ご立派な覚悟です

七篠 明雲

ああ……頼むから穏便に、穏便に!

 最上階――地上十五階でエレベーターが停止する。
 イリスは本当に全ての護衛を取っ払ったのか、やはりこの階にも殆ど人の気配はない。

神城 鋭

イリスは一人か?

七篠 明雲

側仕えのシリル様がご一緒に。
大勢いた護衛の方は皆撤退したようです

 さすがに一人ではないか。
 だが、イリスは僕の言葉を最大限に聞き入れたらしい。
 こちらも七篠と東雲を連れているので、まぁ五分五分という事にしておこう。

 やがて、七篠が一つの部屋の前で止まる。
 美しい彫刻のされた木の扉の向こうに、確かに人の気配が感じられた。

神城 鋭

ここか

七篠 明雲

はい

 七篠が仰々しく頭を下げ、ノックをしようとしたので、腕を抑えて止める。

七篠 明雲

東雲 和真

 ノックしたら側仕えが出てくるじゃないか。
 僕は扉の向こうに大声を掛けた。

神城 鋭

イリス! 待たせたね!

!!

あ! イリス様!

 扉の向こうの動揺。
 ぱたぱたとこちらに小走りで近づいてくる気配。
 僕は手の平をなで、その時を待つ。

 そして、扉が勢い良く開いた。

イリス・オリクト

エイ――

東雲 和真

!?

七篠 明雲

!?

イリス・オリクト

え……

 突然の衝撃に呆然とした表情でコチラを見つめる銀髪の女。

 振りぬいた手の平に感じた衝撃に、僕は思った。

神城 鋭

浅かった……

 イリスが飛び出てくる勢いがあまりに良すぎたため、僕とした事がリーチを見誤ってしまった。
 錐揉みして吹っ飛ぶレベルでビンタしようと思っていたのに、イリスはやや赤くなった頬を呆然と抑えるのみでまったくダメージがない。

 やがて、何をされたのか理解できたのかその整った眉目が釣り上がる。

イリス・オリクト

な――

神城 鋭

死ね! イリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィスッ!!!

 何事か言いかけるイリスにもう一度腕を大きく振りかぶる。

 絹を裂くような悲鳴が閑静なホテルにこだました。

第二十四話:その罪の数を数えよ

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