神城鋭は多くを望まない。
 金で手に入る者は全て手に入るし、それ以外の望みも大抵権力を使う事でなんとかなる。事実、何とかなってきた。
 そもそも、生まれつきかあるいは環境によるものか、僕の欲は薄く、今の僕の望みは笹宮さん関係くらいだ。

 だが、欲はなくても『やりたくない事』は存在する。

 話の途中に突然かかってきた電話は僕に不幸を運んできた。

神城 鋭

は? もう一度言ってみろ、東雲

 あらゆる敵は僕に対して無力だ。
 権力面で言っても金銭面で言っても神城を超えるものは殆どない。
 また、武力面においても、ふらふら一人で動いているように見えて常に僕の周囲にはボディガードが存在する。
 その中でも随一の切り札は、日本の裏社会の頂点に立つ武術家一門の一つ、『壊し屋』と呼ばれる東雲家の直系であり、今は破門された東雲和真だが、それを頂点とする警護グループは間違いなく日本でも五本の指に入るだろう。
 僕を拐えば神城への脅迫になるなどという愚かな事を考える連中はそこで思い知るのだ。

 自分たちが何に喧嘩を売ったのか、を。

 だがしかし、決して神城は無敵ではない。

東雲 和真

はい。GEMのイリス様が急遽日本に来られたらしく、今すぐ神城様に会いたいとの事です。もう既に神城の屋敷に向かっているとの事

 中には神城の名が効かない者もいる。

 逆らった結果を予測できないただの馬鹿。
 神城を超える権力を持つ数少ない企業の支配者格。

 そして、その両者を備えたもの。

 GEMCorporationの名を知らぬ者は恐らく、世界広しと言えども存在しないだろう。
 市場の小さい日本では兎も角、海外でその名はいたるところで囁かれる。会社の会議室で、都心のカフェテリアで、金融機関で、大学の教室で。
 日本ならば神城の方が知名度が高いが、外に出ればGEMの名の方が遥かに高い。

 そして、イリス・オリクトはそこの総帥の一人娘だった。

神城 鋭

……

笹宮 冥

……

 冥の方に視線を飛ばす。

 話を急遽電話で遮られたにも関わらず、特に気を悪くした様子もなく行儀よく電話が終わるのを待っていてくれている。若干疲れているように見えるのはきっと気のせいだ。
 我儘お嬢様に是非爪の垢を煎じて飲ませたい。

 せっかくこれからウィットに富んだ話をしようと思っていたのに

神城 鋭

丁重にお断りしろ。僕は今色々忙しいんだよ

 笹宮タイムを邪魔するとは万死に値する。端的に述べてぶっ殺してやりたい。
 僕はフェミニストではないし、あらゆる敵を叩き潰すことを厭わない。

東雲 和真

イリス嬢は我儘ですからね……

 心なしか、東雲のテンションもやや低いようだ。
 我儘な権力者程面倒臭い者はない。そして、厄介な事にGEMは海外における神城の最重要取引相手でもある。

 神城の総帥として何度も顔を合わせているので知っている。
 GEMの総帥は現在御年七十五歳、オイルショックに金融破綻、様々な苦難を乗り越えGEMを世界最高峰にまで育て上げた傑物で非常に理性的なんだが、その娘はとんでもない馬鹿女で、総帥の唯一にして最大の弱点はその娘にダダ甘な事なのであった。

 権力と馬鹿を組み合わせると悲しいくらいに厄介な存在になる。

 神城の総帥たるこの僕が何度苦渋を飲まされたか。僕は我儘放題のイリスの執事じゃねえんだよ。

神城 鋭

東雲、殺れる?

東雲 和真

……難しいかと。彼女の警護は完璧です。
GEMの資金と人材が惜しみなく使われてますから……装備は向こうの方が上です

神城 鋭

オーケー。
じゃー僕が殺る。銃なんていらねえ。首をねじり切ってやる

東雲 和真

……殺らないでください

笹宮 冥

一体何の話を……

 日本国内ならば神城の権威の方が強い。
 もみ消す事も可能だろうが、GEMにも情報部隊がいる。その眼はまず欺けまい。
 神城の国外のビジネスに深刻な影響を及ぼすだろう。もしかしたら、全て潰される可能性すらある。
 全く関係ない殺し屋を雇おうにも、GEM総帥の一人娘をターゲットに請け負ってくれる者は存在するまい。リスクが高すぎるのだ。

 脳内で計算の末、僕は電話に向かって吐き捨てた。

神城 鋭

チッ……車を用意しろ

東雲 和真

承知致しました

 電話が切れた後も僕はしばらく電話を握ったままの姿勢を崩せなかった。

 やむを得まい。

 奴を潰すのはまだ早い。
 国外でのビジネスが大きな損害を出してしまえば、ひいては国内の権威も衰える。
 僕の意志一つでグループを危険に晒すわけにも行かないし、あんな馬鹿のせいでそんな事になってしまえば尚更業腹だ。

 完膚なきまでに潰すのはうちの力を蓄えてからだ。いつか全面戦争してやる。

神城 鋭

ごめん、仕事が入っちゃった。今すぐ出ないと行けない

笹宮 冥

お仕事ですか……お疲れ様です

笹宮 冥

あれが……仕事の電話!?
え? ええ!?

 良いところで話を止めてしまったせいだろう、冥もどこか憮然としている。
 僕としても、ここで席を立つのは断腸の思いだ。笹宮さんがいつ限界になるかとかも見たかったのに……。

神城 鋭

せっかく泊めてもらおうと思ってたのに……

笹宮 冥

え……えええ!?

笹宮 冥

き……聞いてませんけど……

神城 鋭

終電がなくなってから言おうと思ってたんだよ

笹宮 冥

……いきなり言われても……困ります

神城 鋭

まー、次の機会かな……明日とか

笹宮 冥

は……話が通じない……!?

 スマフォをポケットに入れて、席を立つ。
 ああ、ストレスのせいか身体が重い。

 何故神は僕にこのような業をお与えになるのか。笹宮さんとの出会いという幸運の代償なのか!?
 ならば……やむなし。

 幸運の笹宮、不運のイリス・オリクト。

 オーケー、ならば僕は不運を自らの力で切り開こう。

神城 鋭

包丁借りてっていいかな?

笹宮 冥

駄目です

 笹宮さんとの蜜月を邪魔した者の天の捌きを与えてやろう。

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