笹宮 明

な……何やってるの?

 笹宮さんが声を戦慄かせて呟く。
 僕はゆっくりと手を冥の頭から離した。

笹宮 冥

お、お姉ちゃん!?

神城 鋭

もう気づいたのか……笹宮さんのストーリークリエイト力は増加の一途を辿ってるな……さすささ、さすささ

 会ったばかりの頃の笹宮さんならたった一時間でメンゲラ星人に決着をつける事などできなかっただろう。
 一日中漫画を描ける王星学院の環境が笹宮さんの力に磨きを掛けたのだ、きっと。
 その代わり生活力がぐんと下がっているであろう事は想像に難くないが、下限はゼロなので特に問題ない。

 顔に何かついているのか、笹宮さんがじろじろと僕の表情を見ている。
 僕はにこりと微笑んでみせた。

神城 鋭

……

笹宮 明

顔色ひとつ変わらないって……。
え? あれ? 今冥に何やってたの?

神城 鋭

いや、笹宮さんが何をいいたいかはわかってるよ?

笹宮 明

え!?

 気づいたら親友とは言え、男が大切な妹の頭に手を置いていたのだ。姉として心配になるのは当然。

 生活力がなく常識がなくても、笹宮さんに情がないわけでもない。笹宮マイスターでなくても、その事は皆が知る所であろう。

 顔を赤らめたまま沈黙を守っている冥に視線を一度投げかけ、笹宮さんに戻す。情況証拠は十分だ。

 だから、自信を持って宣言する。訴えられたとしても、笹宮さんが裁判官を漫画で洗脳しない限り僕が勝つ。

笹宮 冥

……

笹宮 明

……

神城 鋭

今のは全て同意の上の行為なんだよ。
だから、笹宮さんは何の心配もいらないよ

笹宮 明

!?

笹宮 冥

!?

 いくら未成年とは言え、高校生にもなればある程度の分別がつくものだ。ましてや、僕は冥に淫行を試みたわけではない、ちょっと懐柔しようとしただけだ。
 言い訳する必要すらない。

 どこからどう考えても隙のない理論に笹宮さんが眼を大きく見開いた。

笹宮 明

え? ど、どういうことよ!
同意? 全て同意の上? 全て同意の上で何をやってたの?

 頭をふらふらさせながら、必死に視線で僕を牽制する笹宮さん。かーわーいーいー。

 笹宮さんの脳みそはいつも使っていない左脳を回転させて状況把握に努めているはずだ。だが、類まれな想像力を持つ笹宮さんの右脳は極度に発達している反面、彼女の左脳はいまいちだった。

 何度か口をぱくぱくさせたが、結局反論の言葉が見つからなかったのか、ぎりぎりと音が聞こえてくるくらいにゆっくりと真横を向く。

笹宮 明

め……い、神城君の言う事は……本当なの?

笹宮 冥

え……同意……同意……?
えっと……あれぇ? うーん……

笹宮 冥

何か色々違うような……で、でも、事前に話をされたという意味では同意の……上?

 姉と同じく混乱している妹。

 何かこうして見てると姉妹というのも頷けるな……。
 これで冥の方も漫画を描いていたら完璧なのに。

 そんな事を考えながらお茶を飲んでいると、

笹宮 冥

ま、まぁ……そうと言えなくも……ない?

笹宮 明

えええええええええええええ!

 笹宮さんの反応もごもっともだと思う。いやぁ、この家面白いわ。
 もしかしてこれが一般家庭なのか? 僕の周りには一部を除いて僕を崇め奉る者しかいないので、何とも言えない。それはそれで神城の義務なので是非はないのだが、たまにはこう言うのもいいものだ。

 しかし、それにしても……

神城 鋭

冥ちゃん、君ってちょろいね

笹宮 冥

!?

笹宮 明

……ひ……人の妹になんてことを……

 あ、つい本音が出てしまった。
 でも仕方ない。僕は元来、嘘やおべっかを使うようにできていないのだ。目的のために手段を選ばないが、面白そうな事があるとすぐに気が散ってしまう。

 余りに順風満帆な人生を送ってきた反動と呼べるだろうか。

 固まっている二人を他所に、腕時計を確認する。短針は既に七を示していた。随分と話し込んでいたみたいだ。楽しい時間は過ぎるのがあっという間だな。

神城 鋭

そろそろ夕飯の時間かな……今日の夕飯何?

笹宮 明

え……? あ、神城君、さっき手料理とか振る舞わないって言ったわよね?

神城 鋭

笹宮さんと一緒にご飯食べたいなー。友達と一緒にご飯食べたいなー。お腹へったな―

笹宮 冥

……

 ちらちらと優しい優しい笹宮さんに視線を投げかける。
 大体、僕は『笹宮さん』の手料理を振る舞ってもらったりはしないといったのだ。それは、笹宮明の手料理を指していて、決して夕飯をご馳走にならないとは言っていない。

神城 鋭

勿論、夕食代は払うよ。
カードは使える?

笹宮 明

カードは使えないし、私が言いたいのはそういう事じゃ……

神城 鋭

なんだ、使えないのか。
まぁ、現金も持ってるけどね……

 内ポケットから熱さ5センチ程の封筒を取り出す。基本的に王星学院内ではカードが使えるので現金を持ち歩いていない生徒も多いが、僕は家訓でいつでも現金を持ち歩くようにしていた。
 この厚さなら銃弾だって防げる……かもしれない。そもそも、僕の服装は防弾仕様だが。

 封を切って万札を数える僕に、冥が愕然とした様子で、

笹宮 冥

神城さん……それ、いつも持ち歩いてるんですか?

神城 鋭

こういう時のためにね。札束で人をひっぱたけば大抵何とかなるし

 だからこそ僕は、札束でひっぱたいてもどうにもならない笹宮さんのような存在が好きなのだ。

笹宮 明

か、神城君、貴方ってたまに凄い勢いで屑ね……

神城 鋭

褒め言葉として受け取っておくよ。
取り敢えず五百万しかないんだけど、足りるかな? もっと必要なら後で東雲に持ってこさせるけど

 レストランの料金には場所代だって含まれているのだ。笹宮家というベストスポットでの食事、五百万以上かかっても不思議ではない。というか、僕にとって値千金の価値がある。

 僕の不退転の決意に、冥の方が先に折れた。

笹宮 冥

わ、わかりました! わかりましたから!
食事くらい出します! 出しますから!

笹宮 明

冥!?

 やはり将を射んと欲すればまず馬を射よ、の格言は正しいようだ。
 笹宮さんと冥が後ろを向き、何事か相談を始める。しかし僕は既にその時、勝利を確信していた。

笹宮 冥

お姉ちゃん、神城さん、ご馳走しないと帰らないと思う

笹宮 明

そ、それはそうかもしれないけど……

笹宮 冥

それに、害はそれほどなさそうだし……お母さん達も今日は帰るの遅くなるって言っていたし……大体、お姉ちゃんの友達でしょ?

笹宮 明

そ、それは……そうだけど……

 後ろを向いていてもわかる、終始押されっぱなしの笹宮さん。彼女に交渉事は向いていないのだ。笹宮さんに彼女の描くキャラクターの十分の一程の交渉力があればよかったのに。

笹宮 冥

料理するのは私なんだし……お姉ちゃんがどうしても嫌って言うならお断りするしかないけど……

笹宮 明

そ、それは……

 数分足らずで決着がついたのか、振り返る二人。予想通り、笹宮さんが折れたようだ。笹宮さん弱え。ちょろい冥よりもちょろい笹宮さん、さすささ。

神城 鋭

で、いくら払えばいい?
もしドルがいいならドルで払うけど

笹宮 冥

夕食をご馳走するだけだし、お金は入りません。それ、さっさと閉まってください。

 精一杯妥協をする僕の言葉を、冥が一刀両断に切って捨てた。
 少し迷うが、もし僕が笹宮さんの立場でも現金は断るだろう。

神城 鋭

……まぁ、確かに笹宮さんからしてみれば五百万なんてはした金にも程があるか……お見苦しいものを見せてしまったね。

笹宮 明

そ、そんな事言ってないけど……友達の家で食事をご馳走になるために札束を取り出す高校生ってどうかしてるわ

 現金など笹宮さんにとってもはや価値がないのだろう。
 代価とするのならばそれなりのものを出さないと……笹宮さんではなかなか手に入れづらいものとか。

神城 鋭

美術品で払うよ。
何か欲しい絵とかあったら美術館から引っ張ってくるから

笹宮 明

え!? 本当?

笹宮 冥

お姉ちゃん……?

笹宮 明

じょ、冗談よ!?

 冥の威圧するような低い声色に、笹宮さんが弾かれるように釈明する。力関係がもう完全にわかった。やっぱり冥を籠絡するのが笹宮マイスターへの道で間違いない。

 しかし、食事だけならともかく、泊めてもらうのならば多少のお礼はしたい所だな。

第十八話:現金よりも価値があるもの

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