ごくごく普通のリビングに通され、ごくごく普通の椅子を進められる。
 目の前にはどこか警戒心の強い笹宮さんの妹と、何故か居心地が悪そうにしている笹宮さんの姿が。

 こうして並べて見ると、この姉妹、余り似ていないようだ。似ているのはどちらも結構な美人だという事だろう。でもどっちかというと妹さんの方が上かな。

 取り敢えず軽めのジャブをかける。
 何しろ妹だ。親友の僕よりも間違いなく笹宮さんとの関わりが深いだろうし、その積み重ねてきた年月は十数年、どんなアクシデントが発生しても対応できるだけの自信はあるが、変な印象残して後から笹宮さんに変な事吹き込まれると面倒臭い。

 真面目そうな顔をしているし、こちらも誠意を全面に押し出して行くことにしよう。

神城 鋭

初めまして、明さんの親友の神城 鋭です。

笹宮 冥

……は、初めまして。お姉ちゃんがお世話になっております。妹の冥です。

笹宮 明

な、何この他人行儀な感じ……あ、他人か。
わ、私はどうしたら……

 おろおろしている笹宮さんを肴に、出された日本茶を啜る。
 これもまた妹が出してきたものだ。笹宮さんは妹のこの反応が予想外だったのか、自分の家だというのに、部屋に入ってからずっとおろおろと挙動不審だった。
 単体で見ても十分面白いが、妹の様子と対比で見ると更に面白い。

神城 鋭

相乗効果っていうのかな、これ……。
笹宮さんの楽しみ方にこんな側面があったなんて、さすが笹宮さんだな。さすささだな。

神城 鋭

さすささ!

笹宮 冥

え!?

笹宮 明

!?

 おっと、思わず叫んでしまった。
 今度流行語大賞にノミネートさせよう。

 気を取り直して、湯のみを置く。

 さて、何と言えば泊めてもらえるだろうか……。

神城 鋭

笹宮さんって家ではお姉ちゃんって呼ばれてるんだね

笹宮 明

そ、そうよ!
何か悪い?

神城 鋭

いや、どこからどう見ても冥ちゃんの方がしっかりしてるなーって思ってさ

笹宮 明

いきなり人の妹の事をちゃん付けで呼び始めた……

 取り敢えず性格的に決定権は妹の方にありそうなので妹の方に媚びよう。褒めて煽てて木に登らせよう。

 妹さえ仲間につけてしまえば、笹宮さんだけなら容易く押し通せる。笹宮マイスターとしての僕の経験がそう囁いている。

 僕の言葉に冥が目を丸くする。
 その眼光の裏に浮かぶ何かを探るような目つき。

笹宮 冥

いや……そんな事ないです……。
お姉ちゃんもやる時はやる人間です

 それはフォローになっていない。

神城 鋭

漫画描いてる途中とか、考え事している最中とか、笹宮さんって度々反応なくなって大変でしょ?
僕も学校で苦労しているんだよ

神城 鋭

音楽流すために教室改造することになったりね

 思い当たる節があったのか、冥の表情が僅かに変わる。

笹宮 冥

……ま、まぁそれは確かに……。
肩叩いたくらいじゃ気づかないし、毎回呼ぶために最短でも十分くらい掛けてますけど……

笹宮 明

ちょ……神城君!? 冥!?
な……いきなり何の話を……

神城 鋭

今、笹宮妹を懐柔してるんだからちょっと黙ってて欲しいな

 慌てふためく笹宮さん。僕が頑張ってるんだからTPOを弁えて黙っていて欲しいのだが、笹宮さんにそのような事を期待するのも酷か。

 笹宮さんにちょいちょいと手招きする。
 その注意がこちらに集中した瞬間に、僕はワードを放った。

神城 鋭

マンション

笹宮 明

え……な、何言って……

神城 鋭

地上三十五階。女子高生二人。昼間。隣近所は留守

笹宮 明

……

 続けて放たれた言葉に訝しげだった表情が消える。
 瞬きの速度がゆっくりになり、呼吸が浅くなる。

 笹宮さんの集中力が研ぎ澄まされている証だ。彼女の類まれなその力は容易く自身をトランス状態に導く。これまでどうやって生活出来ていたんだろうと首を傾げる程の能力。

 そして僕は、最後の単語を呟いた。
 

神城 鋭

テロリスト

笹宮 明

!!

 早い話が、原稿中に口を出すのの妄想バージョンだ。

 笹宮さんの中のストーリーテラーの魂が稼働を始める。ぶつ切りの単語を元に笹宮さんの脳内というコスモでビックバンが発生し、様々な星が、様々な物語が生まれていく。それはまさに宇宙開闢に等しいエネルギー、人にのみ許された神秘だ。

笹宮 明

……

 それに集中するために、笹宮さんが瞳を閉じた。

 いや本当にこの人、この歳までよくまともな生活を送ってこれたもんだ。いや、今回は僕のせいだけど。

 これで再稼働までの時間が稼げた。彼女の中で物語に結論が出るまでは何時間でもこのまま思考を続ける事だろう。
 稼働までにかかる時間は放った単語による。今回はそれほど突拍子もない単語を入れなかったのでそれほど時間がかからないかもしれない。

 僕は首を傾げて追加の単語をあげた。

神城 鋭

メンゲラ星人

笹宮 明

!!!!!!?

 余りに奇抜過ぎる単語だったためか、笹宮さんがびくりと震えた。だが、特に文句を言う事もなく思索の海に再没入を始める。

 ってかメンゲラ星人って何なんだろう……自分で言っておいて何なんだが、意味わからねえ。
 そして、それをまともに受け取る笹宮さんが愛おしい。

神城 鋭

さすが笹宮さん……今日もキレッキレだな

 僕には絶対に真似できない。
 今まで何も苦労してこなかったが、この笹宮さんの領域には何年訓練した所で達せないだろう。頭の構造がそもそも違うのだ。

笹宮 冥

ちょ……神城さん!?

神城 鋭

まぁ、こんな感じで笹宮さんってしょっちゅう考え事し始めるから、妹の冥ちゃんに言うのも何なんだけど、けっこう大変でさ

笹宮 冥

い、いや、今のは神城さんが悪いと思いますけど……

神城 鋭

集中し始めるとご飯も食べないし、授業終わっても気づかないし、電話なっても気づかないし……

 試しに笹宮さんの前髪を一房つまんで引っ張ってみるが、まるでマネキンのように反応がない。この状態の笹宮さんならきっと、犯しても気づかないだろう。
 これを覚醒させる手段は今の所、笹宮さん愛のテーマを流す事だけだ。

神城 鋭

是非、妹の冥ちゃんに苦労話とか対応方法とか教えてもらいたいなーと思って

笹宮 冥

……え? きょ、今日、来たのってそのためなんですか?

神城 鋭

思って……来たわけじゃないけど。
まぁ、数少ないSASAMIYASTとして語り合うのも悪くないかな……

 SASAMIYAST

 それは笹宮の求道者。笹宮の深奥を知る事に命を掛けた誇りある修道者の事を指す。今考えついた。
 冥は家族なんて別枠だが、是非、家族だけが知っている笹宮知識を教えて頂きたい。

 その知識を元に、僕は必ずや笹宮の頂きに登ってみせよう。

笹宮 冥

……お姉ちゃんの彼氏かと思ったけど、そういうわけでもなさそう……かな?
何というか……お姉ちゃんの友達だけあって、変わってる……?

 冥はしばらく視線を彷徨わせていたが、笹宮さんの再起動に時間がかかる事を感じ取ったのか、ため息をついてこちらに向き直った。

笹宮 冥

……まぁ、そういう事でしたら……

 居住まいを正す笹宮さんの妹。

神城 鋭

警戒心薄いなぁ……無防備さは姉といい勝負だ

 いくら頭が良くても、そんなんじゃいつか悪人に引っかからないのか心配だよ、僕は。


笹宮 冥

そうそう、そうなんですよ!
本当にお姉ちゃんって漫画を描く以外は何もできなくて……以前なんてフライパン出しておいてって頼んだらフライパンの絵を描き始めちゃったんですよ?

神城 鋭

本当に笹宮さんって天才だな。発想が凡人と違う。

笹宮 冥

かーみーしーろーさーん?
聞いてますか?

神城 鋭

勿論聞いてるよ。
あ、ちょっと……

笹宮 冥

え!?

 立ち上がり、冥の方に手を伸ばす。
 冥は一瞬戸惑ったが、特に身を動かすこともなく、指が冥の艷やかな黒髪に触れた。

 数秒後、思い出したかのように冥が抗議してくる。頬が少し赤い。

笹宮 冥

な、何ですか? いきなり

 思った通りだ。こうしてまだ手を離していない今でも、その表情には殆ど忌避感がない。本来ならば会って然るべき警戒が。

神城 鋭

少し話しただけで心理的距離が狭まり過ぎじゃないか。さすが笹宮さんの妹、笹宮さんの妹は笹宮って奴か……

 ライトノベルのヒロインじゃないんだからもう少し警戒心を持てよ。と、僕が言うのは違うだろうか。

 笹宮さんの妹だけあって、冥ちゃんチョロすぎ。たった一時間でこのザマとは。
 まぁ、何はともあれ、もうちょっと話して距離を縮めれば泊めてもらえそうだな……

神城 鋭

いや、ちょっとゴミがついてたからさ……。
いきなり触れちゃって悪いね

笹宮 冥

い、いえ……そういう事なら別に私は……。
た、ただ、次に触れる時は事前に言ってもらえると……私にも心の準備がいるので

神城 鋭

じゃー触れるよー

笹宮 冥

え!? きゃ!

 そのまま、髪の間を梳くようにして手を入れる。
 年頃だけあってよく手入れされた艷やかな髪質。くしゃくしゃと頭を撫でてやると、冥が見るも明らかに動揺した。

笹宮 冥

ちょちょちょちょななな、なんですかッ!?

神城 鋭

え? 事前に言えば触っていいって言ったじゃん

笹宮 冥

そ、そういう意味じゃありませんッ!
お、女の子の髪をそんな無造作に触るなんて……

 とかなんとかいいながら、まだ手は頭に乗ったままだ。
 耐性がないのだろう、冥の頬は林檎のように真っ赤だった。嫌ならば手を跳ね除けるなり何なりしてくるはずだろう。

神城 鋭

後ちょっとかな……

笹宮 冥

なんなあ、なんなんですか!? 一体!?
私? 私に? 私が? 私を?
あれ?

笹宮 明

気がついたら何か雰囲気が変わってるんだけど、どうしよう……

第十七話:蛙の子はおたまじゃくし

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