今日もたっぷり笹宮さんと遊んだおかげか、心地よい疲労が全身に広がっていた。
 大きく伸びをして全身の筋肉を解す。

 送迎車の中は静かだ。スモークガラスに防弾仕様の車体。音もなく、窓の外を景色が流れている。
 登校時はミジンコも一緒だが、下校時に一緒になる事はない。部活をやっておらず、放課後すぐに帰るミジンコと僕ではライフサイクルが違う。勿論、こちらに合わせさせることはできるけど、今の所その必要性は感じていない。

お疲れ様です、神城様

神城 鋭

別にどうってことないよ。
趣味だしね

 運転手席からの声に、モバイルパソコン取り出しながら答える。

 東雲(しののめ) 和真(かずま)

 既に放逐されたが、破壊屋として古くから名を馳せる東雲家の直系である。
 まだ二十代半ばの眼鏡をかけた男だ。身長百八十五センチ、見た目はひょろっとしているがそのスーツの下には極限まで圧縮された筋肉が秘められている。

 運転手兼護衛にして、僕の秘書的な存在でもある。腕っ節だけでなく、頭も回る男だ。齢二十半ばにして神城当主の片腕を担う極めて有用な男と言えるだろう。

 勿論、実利として有用なだけであって、存在としての価値が笹宮さんの足元にも及ばないことは言うまでもない。

東雲 和真

刃様から夕食を共にしたいとの連絡が来ております

神城 鋭

そうか。糞爺が僕に何の用だろう……。
笹宮さんの件かな? 面倒臭えなあ

 神城 刃。神城家の三代前の当主にして齢九十を越え未だピンピン元気に動いている老爺だ。続柄としては僕の曽祖父にあたる。
 別に苦手意識があるわけではないが、神城家の人間は皆、高い自立心を持っていて家族間の繋がりがかなり薄い。だから、たまにそういう珍しいことをやられるとただひたすらに面倒臭く感じる。

 既に引退済みとは言え、持っている権限はかなり高いので無碍にも出来ない。

 ちょっと考え、命令する。

神城 鋭

断っておけ。僕はそんなのに気を使っている暇はない。
何か話があるなら年末に聞くよ

東雲 和真

畏まりました

 例え血の繋がった家族といえど、甘えは良くない。僕にも予定ってものがあるのだから、二ヶ月前くらいにアポを取っておいて貰わないと困る。今の僕は笹宮さんについていくのでいっぱいいっぱいなのだ。

 鼻歌を歌いながらキーボードを叩き、メーラーを起動する。今日は放課後いっぱい笹宮さんに付き合ったのでやるべきことが終わっていないのだ。それほど難しい内容でもないが、スケジュールが若干ずれている。

神城 鋭

そういえば今日、猫神家の者にあったよ

東雲 和真

ほう……猫神家ですか

神城 鋭

ああ。銀髪で猫の耳が生えていた。人の耳がどうなっているのかは見なかったけど……

 というか、お約束上、獣耳っ娘の人の耳の部分は確認してはいけないのだ。誰も幸せにならない。

 殆ど重力を感じさせず、車が曲がる。

東雲 和真

猫神家……遠い祖先に妖猫が存在したとされる家系ですね。
殆どが人と変わりませんが、その直系は高い確率で身体の一部に先祖帰りを起こすそうです。神城様が見た者に本物の猫の耳が生えていたのならば、本物でしょう

神城 鋭

また変わり種だな……どういう経緯で祖先に猫が交じるんだよ。獣姦か?

 まったく人と言う者は業が深い。

 メーラーを起動すると、ミジンコからメールが入っている。

神城さん
お疲れ様です。雪柳です。
雲川家を年末に集める件について、連絡及び段取りが完了しました。
既に伺わせて頂く旨、返信が来ております。

神城 鋭

連絡はいらんと言っているのに、融通の効かないミジンコだ。既読付けておこう

 無言で既読を付けてメールを閉じる。ミジンコのメールに惑わされている暇はない。今度メールアドレス変えようか……仕事に使ってるからなあ。

 僕のささくれだった心情を察知したのか、車内にクラシックが流れ始める。
 併設された冷蔵庫が自動で開き、ミネラルウォーターのペットボトルが手元に現れた。相変わらず気が利いた男だ。

 キャップを外し、喉を潤す。

東雲 和真

また、その直径には代々不可思議な力が受け継がれているらしいです。
獣との意思疎通を初めとした、軽い能力らしいですが

神城 鋭

へー、天然か。
知らなかったなぁ

東雲 和真

箸にも棒にもかからない程度の能力です。神城様が知らなくても仕方がないかと

 モバイルで自社のデータベースにアクセスし、猫神家の情報を検索する。二年三組に配属されるような家柄とは言え、笹宮さんの友達である以上調査は必須である。

 出てきた情報は総合すると、予想通り、大したことのない家柄という結果だった。
 うちのデータベースでは、資産、権力、武力によってそれぞれの家柄に序列を定めているが、その定める所の序列が百七十二番だ。これは一般の資産家としてはけっこうなレベルだが、神城が注視するに値するレベルではない。

神城 鋭

まぁ、獣と話すくらいなら僕にもできるからね……

東雲 和真

天然にして家格が百番以降ですからね。力も使いこなせていないでしょう

神城 鋭

まー頭悪そうだったしね。
性格は良さそうだったけど……

 この世界には、奇妙な力を持つ者が存在する。
 いや、その実、表舞台にはなかなか出てこないがそういった者はそれほど少なくない。猫神は耳が発現していたが、一見区別が付かない者が殆どなのだ。
 そして、能力の有用性からそういった者達は上流階級に多く存在していたりする。

 まだ研究が進んでいない分野ではあるが、便宜上生まれついて能力を持つ者を天然(ナチュラル)、訓練などによってそれらを後天的に得るに至った者を特殊(スペシャル)とに呼んでいた。

 猫神が祖先の血によりそれを得るに至ったというのならば、それは間違いなく『天然』に分類されるだろう。
 基本的に天然の方が特殊よりも強力な能力が発現するとされているが、それも確実ではない。結局一つの指標でしかないのだ。

 水を一息に呷り、空になった容器をゴミ箱に捨てる。内部で奇妙な駆動音がして、空のペットボトルが潰れる音がした。

神城 鋭

まぁ、気にしなくていいか。
笹宮さんも嬉しそうだったしね

東雲 和真

御心のままに。
監視をつけ、もし何か動きがあれば報告しましょう

神城 鋭

そうだね。任せたよ。
常に万全を期して行動しないと、どこで足を取られるかわからないからな

 神城が序列二位なのもいつまで続くかわかったものではない。そもそもこれは、ただの日本での序列でしかない。世界には更に大きな家も存在する。
 別に神城が潰れても僕は一切気にしないが、神城配下の出版社で漫画を描いている笹宮さんにも影響がいってしまうだろう。それは僕の望む所ではない。

 来ていたメールを全て確認し、返信するものはさっさと返信する。二十時から入っていた会議をキャンセルし、僕はパソコンを閉じた。

神城 鋭

何事も分を弁えてそこそこの所でやめておかないとね

東雲 和真

神城様なら、万事上手いこと転がせるかと存じますが

 口がうまい男だ。
 調子に乗っている時程つまづきやすいのだ。そもそも、たいそれた欲望を抱けるような資質でもない。

神城 鋭

やれやれ、この世界には夢も希望もないね。
やっぱり僕の癒しは笹宮さんの作る物語くらいか

東雲 和真

心中お察しします

東雲 和真

漫画などより余程恐ろしい世界に生きているにも関わらず、どの口が仰るんでしょう

神城 鋭

あー、何の面白みもないつまんない世界から脱出して笹宮さんの物語の世界に入りたい……

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