そして、ようやく待ちに待った放課後のチャイムが鳴り響いた。

 木枯らしが吹きさらし寒くなってきた季節。土地柄雪は殆ど降らないが、空を遮る灰色の分厚い雲が冬の到来を思わせる。

 僕のクラスは二年一組。笹宮さんは三組なので教室が異なる。このクラス分けはランダムではなく、家柄で揃えられているので同じクラスになれなかったのだ。
 今度圧力をかけて三年目からは同じクラスにしようと思っている。

 授業で使用していたモバイルパソコンを鞄に閉まっていると、隣の席の女が声をかけてくる。

神城様は今年の年末はどこに?

 そういえばもう年末が近い。
 年末はパーティやら何からが盛りだくさんのもっとも忙しい時期だ。特に年越しのパーティは、その年の無事と翌年の発展を祈願し、盛大に行う家が多い。
 勿論神城でも毎年欠かさずに行っている。

 話す筋合いはないのだが、同級生だ。答えない理由もないし、答えないのも角が立つだろう。

神城 鋭

こいつなんて名前だっけ……まぁモブ子Aでいいか

 綺麗な銀髪に緋色に近い眼。恐らくどこか外国の血が混じっているのだろう、その容貌は笹宮さんより遥か上だし、一組に所属しているという事は家柄も相当いいはずだが、そんなの評価に値しない。

 だが、そうは言っても僕も一応神城の嫡子、それなりの対応を求められる。家格としては神城家を凌駕する家は日本でたった一家しか存在しないが、格下だからといって見下すような傲慢は持っていないつもりだ。

 手を止めず、鞄を取りながら顔だけモブ子Aに向ける。

神城 鋭

年末は本宅にいるよ。代々、分家全員を集めて祝うしきたりでね

神城 鋭

あれ面倒臭えんだよなあ。
そうだ、笹宮さんも呼ぼう。どうせ家にいても漫画描いてるんだろうし……。
出版社の方に呼び出させればいいだろ

 週刊少年ランプを出版している会社は神城のグループ会社の一つである。基本的に神城家は『パンとサーカス』を抑えることにより発展してきた。芸能と飲食系で神城の手が掛かっていない分野は存在しない。

 本気を出せば雑誌を潰せる。勿論、そんな事天地がひっくり返ってもしないが。

モブ子A

分家一同集めて、ですか……一同ともなれば盛大なんでしょうね。想像も出来ませんわ

神城 鋭

そうでもないよ。ただ親戚一同で年越しを祝おうって言うそれだけのイベントさ。親戚以外にも招待したりするしね

神城 鋭

あー、面倒臭え。
こんなくだらねえ事に時間使っている程暇じゃないんだけど……。
んー……。

 僕の中でのランク付けは基本的に面と能力と性格で分類される。
 最上は永久に笹宮さんで固定されているが、それ以下の者達にもある程度の基準が必要だ。

 じっとモブ子Aを観察する。
 性格も家柄も名前もわからないが、面と身体だけはかなりレベルが高い。肌も新雪のように染み一つないし、髪も金持ちだけあってかなり手がかけられているという事がわかる。
 仄かに香る香水も外国産の老舗の高級品だ。一瓶で漫画が千冊買える。

 何よりも眼鏡っこ。伊達かもしれないが、これはレアだ。
 僕は笹宮さん以外の女に興味はないが、性格も別に悪そうではないし、付き合っておいて損はないだろう。というか、こういうのは無碍にする方が一番エネルギーを使う。

モブ子A

……なんて真面目なお顔。何を考えておられるんでしょう……

神城 鋭

もし良かったらモブ子Aさんも招待しようか?

神城 鋭

まぁ面はいいから最悪飾りくらいにはなるだろ……うちの分家にも確か眼鏡っこ大好きな奴がいたしな。
ホストはこんな事まで考えなくちゃいけないから面倒臭え

モブ子A

え……

モブ子A

モブ子Aさん……?

 教室内を見回し、ミジンコを探す。
 まさか微生物を探すことになるとは思わなかったが、下らない雑務は全てミジンコに任せるに限る。

 窓際の自席で同級生に囲まれて笑っている。もうすぐ本名がミジンコになった時に一体どう説明するのか見ものだな。

神城 鋭

雪柳、悪い。今いいか?

雪柳 ミジンコ

は、はい! ちょ、ちょっと失礼します……

 わーきゃー騒いでいる群から抜け出てくるミジンコ。
 容姿はこのクラスの選択基準にはなっていないが、金や権力があれば余裕に繋がり、余裕があれば美容にも注意を払える。このクラスの容姿での偏差値は七十を超えるだろう。そんなのに気を使う暇があったら漫画でも描けばいいのに。

雪柳 ミジンコ

何でしょう? 神城さんが教室内で私を呼ぶなんて珍しいですね

 いつもはそんな暇ないし理由もないし、興味もないからな。
 僅かに頬を染めてこちらを見ているモブ子Aの方を親指で指す。
 

神城 鋭

僕はちょっと用事があって、もう出なくちゃならないんだけど、このモブ子Aさんに年末のパーティの招待状を送っておいてくれ

雪柳 ミジンコ

モブ子Aさん……?

雪柳 ミジンコ

承知しました。
えっと……雲川さんに招待状、ですね?

神城 鋭

あー……水産大手の雲川家か。
まぁその程度ならモブ子Aだな。飾りにしてはかなり上等だが……

 日本の水産事業のほぼ半分のシェアを誇る水産最大手、雲川家。勿論、神城とも大きく取引をしている。
 最低限の家格のドレスコードは満たしていると言えるだろう。根本的に興味を抱けないが。

 そんな事を考えながら雲川モブ子Aを眺めていると、おずおずとモブ子Aが手を上げた。

雲川 モブ子A

あの……ほ、本当によろしいのですか?

神城 鋭

ああ、全然構わないよ。身内くらいしか集まらないつまらないパーティだからね。雲川さんみたいな可愛い娘に来てもらえると華やかで僕の家族も嬉しいと思うし。
勿論、招待状は送るけど、用事があったら欠席してくれて構わないよ。

神城 鋭

あー、面倒臭え。笹宮さん笹宮さん笹宮さん……

雲川 モブ子A

あ、は……あ……ありがとうございます! 父母共に是非伺わせて頂きます!

神城 鋭

本当に無理しなくてもいいからね。年末は雲川会長もお忙しいだろうし、そんなお硬い会でも無いから

雲川 モブ子A

いえ、神城様からそのようなお誘いがあったと知れば、お父様もきっと喜びますわ

 誘っといて何なんだが、何かもう割とどうでもよくなってきた。そもそも、個人的な興味は皆無に等しいのだ。興味のない事に人は必死になれない。

 モブ子Aが喜べば喜ぶ程に感情が冷めていくのを感じる。やはり僕の癒しは笹宮さんだけだ。

神城 鋭

そう……まぁ、期待して待ってるよ

神城 鋭

メモ取っとかないと多分当日誘ったこと忘れてるなこれは。まぁその辺り諸々はミジンコにやらせるか

 鞄を背負い、モブ子Aさんとミジンコに最後に視線を向ける。

神城 鋭

悪いけど今日はこの辺で失礼するよ。
最近多忙でね……

雲川 モブ子A

は、はい。お忙しい所、引き止めてしまってごめんなさい

神城 鋭

構わないよ。
雪柳、後は頼むな

雪柳 ミジンコ

はい、承知しました。
報告は後でメールの方に

 ミジンコは相変わらず硬くて仕方ない。
 まぁ真面目なのはいいことなので何も言わないが、多少の柔軟さは欲しい所だ。躊躇なく前後の繋がりなくキャラを殺す笹宮さんみたいに。

神城 鋭

報告なんていらないよ。
雪柳の事は信頼している。

神城 鋭

来ても来なくてもどっちでもいいし。
というか、もう割りとどうでもいいし

雪柳 ミジンコ

……

雪柳 ミジンコ

……ありがとうございます

 すっかり無駄な時間を使ってしまった。
 僕の貴重な時間を費やさなくてはいけないとは、ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)とは言え、世知辛い世の中だ。

 まだやや残る生徒の間を通り、笹宮さんの教室に急ぐ。別に急がなくても彼女は放課後いっぱいを教室で過ごす事が多いのだが、世間の冷たい荒波でささくれだった僕のガラスのハートが一刻も早い癒しを求めている。

雲川 モブ子A

神城様……

雪柳 ミジンコ

何だかんだ言って、私の事を信頼してくださっていたのですね……

神城 鋭

笹宮さん笹宮さん笹宮さん……

第二話:モブ子Aとノブレス・オブリージュ

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