駿河恵司という男の変わった性癖が発露したのは、数年前の事である。元は彼も普通の青年に過ぎなかった。アダルト動画や画像を人より好んでいたかもしれないが、それは常識の範囲内である。
 そんな彼が“恐怖”や“グロテスク”に対して性的感情を抱くようになったのは、恐らく彼の恋人が遺体で発見されたあの日からだろう。
 通報を受け到着した警察官が見たのは、第一発見者である恵司と、その傍にあった惨殺死体だった。四肢は切り落とされ、真っ赤に身体を染めたその遺体の傍で、まるで恋人にするかのように優しく話しかける恵司を見た時、警察官は一瞬怯んでしまったという。

駿河恵司

なぁ、俺の彼女を見てくれよ。こんなにセクシーでさ、これ以上無いぐらい綺麗なんだ

 やって来た警察官にそう語った恵司の目は半ば虚ろで、その様子を見た誰もが彼はすっかりおかしくなってしまったのだと思い込んだ。しかし、そんな周りの心配も杞憂となり、彼は何事もなかったかのように普通の生活へと戻っていった。唯一、変わった点と言えば、彼が女性の遺体へと、不思議な好奇心を持っている事だった。そこから、グロテスクなものやホラーを好んで見るようになり、今に至る。そんな彼を人々は奇異の目で見、彼自身もそれを理解した上で振る舞うようなことが増えた。元々明るい性格の恵司は、事件以降、より明るい人物へと変貌したのだ。

駿河恵司

未知なるおにゃのこが俺との出会いを待っているーるんるるんるーん

駿河音耶

流石に現場でそれは自重しろと言わざるを得んな

 被害者の顔にかけられた布を少しだけめくり、にんまりとする彼を見て埴谷はため息を吐いた。埴谷が恵司を知ったのは、ある時、街で音哉と歩く彼を見かけて声を掛けたのがきっかけだった。その時の恵司は如何にも普通の人間で、弟と瓜二つの顔ではあったが、弟よりも随分と明るい口調が印象的な青年というだけだった。彼がこんな人間であるということと、彼を形成する原因となったある一つの事件と埴谷が出会ったのはそれからすぐの事だったが、それは今語ることでもないだろう。

埴谷義己

幾度見ても、彼は“正常”にしか見えん

 発狂してもおかしくない出来事の後、本来よりも明るいという奇妙な性格になってしまった彼。しかし、どこも歪んだ様子はない。まるで最初から彼はそうだったと思わせるような振る舞い。それが埴谷にとっての一つの恐怖であった。

駿河恵司

白い肌に映える赤の差し色! 刺し傷の差し色なんて洒落まで聞いちゃってもー

埴谷義己

駿河、ちょっと黙ろうか

 埴谷は兄弟を呼び分けする気はなかった。理由の一つに、彼が見ただけでは双子の見分けが付かないということもある。しかし、それ以上に行動があまりに異なる場合が多いので、わざわざ分ける必要もないのだ。本人達もそれを了解しているのかそこには何も言ってはこない。それに、埴谷が声を掛けたつもりの方だけが反応するという器用な技術も持っていた。

駿河恵司

で? この子の名前は?

埴谷義己

ああ、伝え忘れていたな。駿河、駿河に資料を渡してくれ

 埴谷がこんな妙な指示の出し方をしても、彼らは平然と言葉を汲み取る。音耶は恵司に、少量だが今存在する限りの資料を手渡した。恵司はそれにさっと目を通すと、「ふぅん」と小さく漏らすように言った。

駿河恵司

もしかして他の被害者の名前は……そうだな……初奈とか初夜とか?

埴谷義己

前者は正解だが後者はどうした

駿河恵司

やっだなー今どきの名前だよ名前! 初夜に出来た子とか海幸山幸かっての!

 一人で楽しそうにけらけら笑う恵司。埴谷が目線を移せば、音耶の方が頭を抱えている。弟の方は基本的に常識人で、奇行を取りがちな兄のストッパーとも言える存在だった。だが、基本的には人様に迷惑をかけていないと判断される限り彼が止めに入ることは無い。それも恐らく兄の人格変貌は事件のせいだと思っている心理からなのであろう。
 埴谷はそこまで考えを巡らせると、何か言いたげな恵司の方を向いた。

駿河恵司

とりあえず、犯人の条件と被害者の条件はわかった訳で……。ああでも、肝心の犯人に目星がついてないんだっけ?

 唐突に、まるでもう解き終わったとばかりの言葉を発する恵司。彼に与えられた情報は今回の事件に関しての少量の情報と、前回までの類似した事件の情報。いくら複雑なミステリ小説でももう少し易しいだろうといったばかりに少なすぎる情報のはずだ。
 当然、埴谷は疑問を発する。

埴谷義己

まぁ待て、俺の方は全く理解出来てないんだが

駿河恵司

え? 音耶は? 簡単だろ?

駿河音耶

いやいや。そりゃあ多少引っかかりはあるが……

 音耶の反応を見、恵司はがっかりと肩を落とす。普通の人間なら苛立つだろうが、日常茶飯事らしく音耶は表情一つ変えずに兄の次の言葉を待った。

駿河恵司

なんだ、面白くないな。俺としてはとっととこの最高のセンスを持ったアーティストとご対面したかったんだけどなー。もうちょい遊ぶか

 彼の厄介なところはここなのである。周りの人間が自分の力である程度まで真相に近づかなければ、彼は答えを言う事は無い。警察への協力というよりは自分の趣味という側面が強いのだろう。埴谷は何度もこんな彼を何らかの罪で逮捕してやろうとも考えたが、流石にそれは職権乱用だ。今ですら捜査協力と言う形であるもののとんでもなく性格に難のある部外者を入れているのだから中々スリリングな状況である。
 ちなみに、彼が頑なに答えを漏らさぬ理由に関しては、「俺が居なくなった時に何も出来ないんじゃ困る」 と洒落にならないことを言っていると音耶は言っている。
 本人が特別気乗りしたり、もしくは解決しなければ彼自身に被害が及ぶものでない限り、彼はそのスタンスを崩そうとはしない。

駿河恵司

上手くやりゃ次の被害者が出る前に普通に解決するさ。然程難しくも無ければ、犯人は隠れる気も無さそうだぜ?

埴谷義己

どういう意味だ?

駿河恵司

わざわざ決まったルール内だけでやってんだもんさ。妙なルールをわざわざやってるって事は、自分に酔ってんじゃねぇの? それか、警察に挑戦的か

駿河音耶

つまり、馬鹿にされてると言いたいのか?

駿河恵司

怖い顔すんなよ音耶ー。可能性の一つだって。でも、実際気付けばそのルールに沿って調査すりゃいいんだよ。そんぐらい楽な話なんだ

 音耶に睨まれた恵司は両手を上げて降参のような姿勢を取るが、別に答えを言うでもなし、単に場を茶化すだけである。音耶はやれやれと溜息を一つ、埴谷は殊更に頭を抱える。実際、本当に何か危険が迫っているなら恵司も迅速に動くのであろうが、何も言えないような状況では彼もやる気が出ないのだろう。いや、もしかすれば、次の被害者がまだ出ないことも予測した上でこんな態度を取っているのかもしれない。

第一話 ② ネタバレはしないのが流儀

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