埴谷義己

……これで5件目だな

 警察官の目の前に横たわる美女。幸せそうな笑みを浮かべ、白い肌を露出させる彼女の姿は美しいものとも言えるだろう。しかし、その白い肌は彼女自身の血で赤く染まっていた。
まだ年若い一人の警察官――埴谷は遺体に手を合わせ、その顔をじっと見た。すっかり生気は失っており、死後硬直も始まっている。血も赤黒く変色しているし、多少の日付が経過していたのだろう。

埴谷義己

見つけられなくて、悪かった

 小さく零すように言うと、埴谷は遺体を部下たちに任せ、自身は部屋を見ることにした。
 シンプルながらも可愛らしい小物が所々に使われているこの部屋は、被害者である渡辺初音のものだ。洗面所に歯ブラシが二本あった事や、それ以外にもペアセットの小物が目立つのは、恐らくこの場所で彼女の彼氏と思しき人物が同棲していたということだろう。
 色恋沙汰に疎い埴谷であったが、それが絡む事件をこなすうちに妙な方法で知識を付けてしまったようだ。そんな自分が可笑しくて、埴谷は一人小さく笑う。

駿河音耶

埴谷警部、ちょっと

埴谷義己

駿河か、どうした

 一人の青年がこちらに走り寄る。整った顔立ちにきちんと着こなしたスーツ。彼を知らない者であれば、警察官であるというよりかは警察官役の俳優ではないかと疑ってしまうだろう。青年――駿河音耶は埴谷に対して敬語を使っているものの、実のところは同期で階級もそう変わらない。それでも彼が敬語を使っているのは、その真面目な性格故だろう。決して仲が悪いわけではなく、「親しき仲にも礼儀あり」というのを体現しているだけなのだ。

駿河音耶

簡易ではあるものの検死結果が出たのですが……その、妙なんですよ

埴谷義己

妙な事件はいつもの事だ。それで、今度はいったい何が妙なんだ

駿河音耶

いえ、私の思い過ごしかも知れないんですが……

 音耶が埴谷に告げたのは、こんなことだった。
 遺体の損傷は首にある傷のみで、正面から刃物を思い切り突き立てたような傷らしい。損傷や抵抗の跡は他に見られない。その上、一度ぐいと突き立てただけであるらしく、確実に急所を一撃と言った形だ。正面から刃があるということは、被害者が刃を認識出来る状態で犯行が行われたという事である。勿論、薬などで意識を失っていれば別なのだが、遺体から薬物反応は出ていないし、それでもわざわざ首の前側から被害者を刺すというのは手間のかかることである。後ろから刺すという方が現実的だ。

埴谷義己

ふむ……

 なんとなくどこか引っかかる。なんとなくではあるが、どこかでこんな話を聞いたことがあるように埴谷は感じたのだ。とはいっても、彼は映画を見たり読書をする方でもないので、思い込みかもしれない。しかし、それでも現場の勘という奴は無下には出来ない。埴谷は何かを決意するように小さく頷いた。

埴谷義己

……こういうのは、やはりあいつに頼るのが一番早いだろうな

駿河音耶

いやいやいや。安易にあいつに話すのは――

埴谷義己

あいつの連絡先を知っているのはお前くらいだからな、任せたぞ

駿河音耶

……わかりましたよ

 音耶は渋々携帯電話を取り出し、ある人物へ連絡を寄越す。彼が連絡を渋るのも当然の事なのだが、何故なら今から呼ぼうとしている相手は性格に大幅に難があり、さらに言えば、それが彼の双子の兄だからに他ならない。性格面に問題のある身内に協力を頼むなど、彼でなくても嫌がる人間は少なくないだろう。それほどまでに彼の兄は異常人物だったのだ。

駿河恵司

おお、本日一発目は赤目女たんか

 アンティーク調の家具の揃った部屋の中心、これまたアンティーク調の机に不自然な一台のノートパソコン。カタカタとキーボードを操作する青年は画面に大きく映された不気味な女の絵を見ながら微笑みを浮かべていた。

駿河恵司

しばらく会ってなかったからなー。貞子たんも捨てがたいけどやっぱ基本だよな。イットとかそういうのは萎えるだけだし……やっぱ時代はおにゃのこだよな

 貞子は有名な和製ホラーの登場人物であり、イットはホラー映画の殺人鬼だ。青年の口調はまるで萌え系のアニメを語るようなものだが、実際は何ら可愛げのない、ただ不気味な登場人物たちの事を話している。しかし、彼からすれば猫耳のメイドも血塗れの女も大差ないのであろう。
 ふと、キーボードを叩く音と彼の声しかなかった部屋に異なる音が響く。それが携帯のバイブレーションだと知った彼はすぐさま携帯を手に取り、相手を見て先ほどよりも笑みを深くした。

駿河恵司

お、これは赤目女たんの加護と見た。もっしもっし音耶ー!

駿河音耶

何だ、偉くご機嫌だな。どうした?

駿河恵司

聞いてくれるか! なんと本日一発目のブラクラが赤目女たんだったんだ

駿河音耶

ああそう。それはそうとして仕事だ。詳しいことは現地で話す。場所は今からメールで送るからさっさと来い

駿河恵司

あいあいさー! ふへへへ……今日はどんなレディがいらっしゃるかなー?

駿河音耶

ガイシャが女と言う前からそれか

駿河恵司

えー、だっていつも言ってんじゃん

駿河恵司

俺は被害者が女性で且つ死亡してる事件しか受けないんだっつの

 通話の相手が呆れていることを知ってか知らずか、恵司は鼻歌交じりで支度を始める。電話を切り、パソコンをシャットダウンする。バイクの鍵を手にした彼は、玄関で靴を履いた後に、忘れたとばかりに家の中に振り返り、わざとらしいような敬礼をして一言。

駿河恵司

そんじゃ、行ってきます

 誰もいない家の中に向けられたその言葉は、もう既に失われてしまった、彼の大事な人間への言葉だった。

第一話 ① ネクロフィリアの私立探偵

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