遥の『しばらく会わない方がいい』宣言から約2週間が過ぎて―――気が付けば3月だった。

 先週卒業旅行というのが行われたみたいだったが、俺は行く気にもなれず欠席をした。
感覚的にだが、クラスの奴らとも疎遠に感じ次第に出席する日数も減っていた。


 未衣が俺の部屋から姿を消してからも約2週間が過ぎてるわけだが―――相変わらず未衣の姿は無かった。
部屋の隅に置いてある小学生用の漢字ドリルが妙に寂しい。

…藤原佐為(サイ)がいなくなった時のヒカルもこんな気分だったのかな


等とぼやいてみるが―――ツッコミの言葉すら無く…
考えれば約2週間、何も絵を描いてない気がする。
それもそうだ…。

どこにも出かけない日が増えたのだから、描くことも無い…。

いや…違う。

何で…何で…この事に気が付かなかったんだ…

思い返せば思い返すほど鈍感だった。

描いてない理由―――それは余りにも単純明解な答え。

それは…。

なくなっていたからだった。

机の上からシャーペンと消しゴムがまるまるなくなっていた。

俺は2週間も何をやってたんだ!


今更ながら慌てて部屋の中を探すが―――見つからない。

考えろ…考えろ…何で無いんだ?あぁ?


自然と机の上を夏樹は睨み付けていた―――が、理由は特に無かった。

そー言えば、未衣が部屋からいなくなった時に無くなってた様な気もしないでもない様な気もしないでもない…


頭の中が整理できていないのだろう。
夏樹の発する言葉が意味不明に近い言葉になる。

―――ん?


夏樹の頭の中に未衣と出会った頃の光景が浮かぶ。

思い出せ俺ッ!未衣のヤツ何か大事な事言ってたぞ…なんだっけ?


『野際洋子が…』

『ダンバイン』

『空海』

『ダーリン浮気は許さないだっちゃ』

『欧米かッ!』

あっ!

夏樹は思い出した様に机の引出しを開ける。

『そうでしタ。アタシその筆に宿りましたから大切に使ってくださいネ』

引出しの中には―――あるはずのロットリングが無くなっていた。

ま、ま、ま、ま、ま、ままま、まさか…この展開は…異世界の敵が攻めてきた設定!


自分一人しかいない部屋で夏樹は咄嗟に左手にペットボトルを持ち、右手に耳掻きを持ち、定規を咥える。

(俺の3刀流奥義が…ってか、コレって喋れねーし)

等と思いながら身構えると―――足の小指を机の角にぶつけ…ゆっくりとしゃがみこむ。

ぐはぁッ…す、スタンド攻撃なのかッ!


床にしゃがみこんだ夏樹は、一人妄想で疲れたのかしばらく動かなかった。

それから、また少し時間が経つと夏樹の身体は少し震えていた。

…床に…一つの水滴がこぼれる…

…えっぐ…ぐっ…なんで…


夏樹は泣いていた。

…なんで…なんでなんで…ロットリング持っていなくなったんだよ…未衣ぃ…


そうとしか考えられなかった。

未衣ぃ…俺に…どうしろってんだょ。どうしろって…


頭の中に一つの考えが浮かんだ…。

これじゃ、本当にヒカル気分じゃねーか…


俺は、ほったゆみ先生と小畑先生と梅沢由香里さんに感謝しながら、部屋を飛び出した。

向かう先は―――ただ一つ。

 今思えば、全てはここから始まったんだ。

高校生活最後の正月。

初めて遥ウソを付いたこの場所が―――全ての始まりなんだ。


 辺りには人の気配すらない静寂。
神社には初詣の日とは間逆と言っていいほど何も無かった。
俺には確信等は無かったが、躊躇いの無い確かな足取りで賽銭箱の近くまで歩を進めていた。

…金…投げ入れないと出てこないつもりか?

別に―――そんなつもりはないのでス


言葉と同時に賽銭箱の陰からヒョッコリと未衣が出てきた。

一体どーゆーつもりだ?突然いなくなったりして

どーゆーもこーゆーも。夏樹に修行の成果を見せたくなったのでス

修行の成果?…そうか、確かに未衣は字が綺麗になってきたもんな。それに未衣が俺にくれた文字ってのにも助けられてる感じするしな

う~ん…アレは全然でス。アタシには文字の力を引き出す才能はやっぱり無いようでス

いや…そんな事ねーって―――


言葉を遮るかのように未衣は首を激しく横に振った。

全部、夏樹の力でス

―――なんだょ…未衣…意味わかんねーぞ

直ぐに分かりまス


未衣は一人勝手に何度か頷くとゆっくりと言葉を続けた。

今日は、アタシの修行の成果を見てもらいまス。夏樹は言いましタ。『みんなと同じじゃ勝てないって』そしてアタシは見つけたのでス―――


人差し指を一本立てて、得意そうな表情で未衣は言葉を続ける。

アタシだけの筆の力をッ!

…何だ?それ?

夏樹のおかげでス


未衣は掌を合わせて夏樹に向かって頭を下げる。

拝むな!教祖か俺はッ!


俺の言葉に未衣は少し笑って、一呼吸置いてから呟いた。

夏樹は、絵を描くのが趣味なのですよネ?


突然首を傾げて尋ねる未衣が、頭の中で誰かと重なる。

絵を描くのが趣味なの?


それが、遥が俺に話しかけてきた最初の言葉だった。

場所は…近所にある小さな公園。

あの時の俺は自分のイラストを誰かに見て欲しくて、気が向いた時に外でイラストを描いてたんだっけ…。

ベンチに座って適当にイラストを描いてたら、突然隣に座った女の子に声をかけられたんだ。

―――それが、遥だった。

 あの頃の俺は事あるごとにイラストを描いては遥に見せていたんだった。

…でも…なんで、今は見せてないんだろうか…。


 俺は頭を振って現実に戻る。
すると、目の前では未衣が両手を広げて夜空を指差した。

これが、アタシの修行の成果でス。最後にしっかりと見ていてくださいネ

―――!おい!最後にって何だよ―――


俺の言葉はきっと未衣には届いてなかったんだと思う。
未衣は両手を広げたままフワリと宙に浮かび上がり、鞄の中から一本の筆を取り出した。


それから―――未衣は夜の空を右へ左へと何度も何度も移動する。

月明かりに照らされた夜の空は黒というよりも青。
雲は妖しく光り一層夜の雰囲気を引き立てる。
都会の灯りに星の光りは輝きを魅せれない…。

―――魅せれないはずだった。

だが、今目の前の夜空は違った…未衣が通り過ぎると、その後には星の輝きが浮かぶ。

弱弱しい点でしか無かった星の光りが輝きを取り戻したかのように煌めく。

一つ、また一つと夜空に星座が描かれる。

見た事のある星座…見たことも無い空想の星座。

様々な星座が夜空を彩る。

それは正に大自然のプラネタリウム…

いや…夜空というキャンバスに描かれたアートだった。

そうだ…俺は気付いちまったんだ。

遥の事が好きになればなるほど、気付いちまったんだ。

現実って名前の大きな壁がある事に。

遥の事を真剣に好きになったら、夢なんか見れなくなっちまったんだ。

俺が夢を見てたら、遥を幸せにできねーって思って…それで…俺には夢がねーなんて思って…
ただ…そうじゃなかったんだ。

それは俺の勝手な勘違いで…

俺にはただ…

ただただ…勇気がねーだけで…。

それを教えてくれたのは…

他でもない未衣だった。

今なら言える…

俺は…

俺は…絵が好きだ。

コレが未衣の修行の成果でス


俺は…言葉が出なかった。

自分の頭上に今にも落ちてきそうな星の数々。

【文字には不思議な力が宿る】って言いましたが…ちょっと違うのですよネ

違う?

はい。アタシは【筆】の妖精でス。だから―――文字じゃなくてもイイんですよネ。その事にアタシ気付いちゃいましタ


一瞬だけ未衣の姿が揺らいだ様に見えた。

だからコレはアタシの修行の成果で、夏樹のおかげなのでス。―――ありがとね

…なんだよ。ありがとねって―――


見ると、未衣の姿は今にも消えそうな程、透明に見えた。

では…最後に一言でス

最後って―――

夏樹―――楽しかったでス―――

そう言うと未衣は夜の闇に溶け込む様に消えていった。

おい!未衣!未衣!


叫んでも誰も返事などしない…

未衣がいた場所には、使いなれたロットリングだけが落ちていた…。
キャップを開けると既にインクが無くなっていた。

 それから俺は自宅に戻ると狂った様にコンビニで買ったペンを動かした。

狂ったという表現は適切じゃないのかもしれないが―――少なくとも今、俺の右手には天使と悪魔が宿っている。

―――手が勝手に動くんだ。

頭で考えるより先に手が考えてる様な感覚。

スケッチブックから目に映る景色に一瞬思考が追いつかない感覚。

今のこの作業が俺の学生としての集大成。

出し惜しみする事なんか何一つ無い。

毎日繰り返してきた事が今カタチとなるんだ。

持っているMPは全て消費してやるッ!

―――今の俺に―――

『今の俺に描けないモノなんかない』

筆遊び~プラネタリウム~ 第4話

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