1月中旬
1月中旬
自称妖精の【未衣】が部屋に住み着いて約2週間が経過した。
だが、俺に特殊能力が備わったとか、悪い敵が地球を侵略しようとしているなんて事もなく、平和な毎日だった。
だが…2週間経った今だから改めて思う…
お前一体何しに来たんだよッ!
そこには、ベッドの上でせんべいを食べる未衣がいた。
んぁ?んんー
…食べ終わってから喋れぃ
一生懸命噛んでいるのであろう口をモグモグと動かしながら、逆の手に持っているもう一枚を口に入れ、またせんべいの入っている袋に手を伸ばす。
…全部食ってから喋れって事じゃねーぞ…
言うと未衣は驚いた表情をしてから口の中のせんべいを飲み込んだ。
―――そうでしたカ
で、結局何しに来たわけ?
夏樹の質問に未衣は下を向いて話し難そうにしている。
あのですネ…実は…
未衣が言うには、未衣は筆の妖精の中でもおちこぼれの部類に入る存在らしい。
筆の妖精が本来持つ【文字の力】を充分に発揮できない未衣は、修行という名目で人間の世界に来たらしい。
だが、どこで、どの様に修行をすれば良いかすら見つけられない中、夏樹の願い事の言葉に引き寄せられて今に至るらしい…。
で…寝ながらせんべいを貪る事が修行だと…
だって…夏樹。全然書かないのだもン
頬を膨らませる未衣は少し可愛かった。
だが、そんな事を思ってたらダメだ…と、自分に言い聞かせ反論する。
ってか、毎日描いてるじゃんかよ!
えぇぇ?いつですカ?
オーバーな位、驚く未衣に夏樹は今描いているイラストを未衣に見せた。
それは和服少女が筆を持って落書きしているイラストだった。
…何ですカ?
ほら、完成!ちゃんと描いてるだろ?
未衣は一生懸命首を横に振った。
無いですョ
何が?
文字でス
文字ぃ?…そりゃ無ぇってよ。イラストだもん
また未衣は首を横に振る。
だって、もっと上手に書けます様にっテ…
あのさ、多分なんだけど…何て言うか…その…ニュアンスが違うんだよね
にゅあんス?
うん…【書く】と【描く】
ベッドに【ちょこん】と腰掛ける未衣の姿があった。
あのさ…ホセ・メンドーサと戦った後の矢吹ジョーじゃねーんだから、もっと元気出したら?
出ませんョ…元気なんテ
余りのも元気が無いため、仕方なく夏樹は未衣の横に座った。
…いや…分からねーんだけどさ。コレはコレでいいんでないのかな?
夏樹は未衣を見る事無く前を向いて話し始める。
ほら!出会いは大切だって言うし、全てに偶然なんてない。あるのは必然だけだって…どっかの等価交換求める女性が言ってたし…そんなに暗くなってたら、身に付くものも身に付かないぜ
下を向いていた未衣が、今は夏樹の方を向いているのが分かった。
それにさ…おちこぼれって言うなら、みんなと同じじゃ勝てないって…そりゃ勝ち負けとか関係ない世界かもしんねーけど、おちこぼれって言われるなら、最終的には見返してやりてーじゃん。『よかったね』って言われるよりも『そんな事できるようになったんだ!凄いね』って言わせてーじゃん
別に、強く言いたい事があったわけじゃない。
思った事を単純に声に出しているだけだった。
ただ…この2週間の事を思い返すと…ちょっと楽しんでいた自分がいた気がした。
部屋に突然現れた自称筆の妖精。
こんな漫画みたいな展開に憧れてた自分がいて、だからちっとも驚かなくて…それでもやっぱりちょっとだけ家に帰るのが楽しくなっていた自分がいて…だから…つまり…暗い顔した未衣を見たくなくて…だから…結局…いて欲しかった。
だから、少しアツくなってたのかもしれない…。
皆と同じ修行してもダメだって…だから…俺じゃ修行にならねーかな?俺…未衣がパワーアップする様に何か考えるよ!
未衣は一度頷いて、また笑う。
夏樹は前向きですネ…
バカ!前向きなんかじゃねーよ
夏樹は立ち上がり、また机に向かう。
何でですカ?
明日は大学受験日だ
じゅけン?
未衣がキョトンとした顔で首を傾げていた。
受けたくねーんだよね
片手に持つロットリングを回しながら夏樹が言葉を続ける。
大学に行く意味が感じられなくてさ…ってこんな話ししても仕方ねーか。とにかく俺は前向きなんかじゃねーわけよ
言葉に出して改めて自分が情けない。
本当はイラストなんか描いてる場合じゃない。
今は勉強しなきゃいけないって事くらい知っている…ハズだった。
それでも、大学とか就職とか今の俺には重要度が低いっていうか…でも重要度が高いものも無くて…。
自分のやりたい事が分からないくせに、目の前に自分の道で悩んでる奴励まして…その事で逆に自分を励まして…情けないほどの後ろ向き。
ため息が勝手に出る。
横目で未衣を見ると、やっぱり首を傾げている。
仕方ないから、半ば適当に説明する事にした。
あのな。人間には受験ってのがあるんだ。それをやらねーと立派な大人になれないわけ。でも、受験をやらなくても大人にはなれるわけなんだけど…立派な大人にゃ遠いわけさ。いや…立派になれねーわけじゃねーよ。ただ…確率が低い。だから受験する
言っていて自分でも適当さが痛いほどわかる。
結局の所、世間体とか将来とか就職したくねーとかの不安要素が『受験しなきゃ』って考えに結びついている気がする…が、未衣に言っても伝わらないだろな…。
案の定、俺の適当な言葉に未衣は頷きながら頭を抱えて考えていた。
…適当に思って言った言葉で一人の自称妖精を悩ます俺は…罪な男だ…と、バカな事を考える。
ふーむ…。何だか未衣と夏樹は同じですネ
意外な返答が返って来せいで、言葉に詰る。
ど、ど、ど、どこがだ?
だってサ。未衣も立派な妖精になりたいのでス
言われて自分が適当に言った事が【立派な大人になりたい】的な発言だった事に気が付く。
そして、未衣は【ふわり】と宙に浮くと、肩から斜め掛けしている鞄から一本の筆を取り出し、虚空に文字を書き始めた。
それは…とても…
とても…
とても汚い文字で…【楽】と書かれた。
未衣も、何もしなくても妖精にはなれますョ。生まれた時から妖精ですかラ…。でも、それじゃ、楽しくはないのでス
楽しく…ない?
はい。やっぱりですネ。筆の妖精なのですから、筆の力は最大限使いたいのでス。それが楽しいって事…な、気がするのでス
真剣に話す未衣の姿を見て、俺に足りないのは楽しむ事…の様に思えた。
楽しむ…ね。何か分かった気がするよ
はい。それはとても良かったのでス
あぁ。良かった。未衣の文字がこんなにも酷い事がわかってな
未衣は顔を真っ赤にして、俺の肩をポカポカと叩いてきた。
きっと、余程気にしていた事だったのだろう…。
翌日、俺は試験会場にこれ以上ない軽い足取りで行った。
昨日の夜、未衣と話した事で、明らかに何かが吹っ切れていた…そんな感じだった。
試験内容はそれ程難しくもなかったが…予習をしてない俺にとっては詰めが甘い結果になる気がした。
試験も無事に終り…俺は小学生用の漢字ドリルを買って自宅に帰る事にした。