壮麗な王宮の一角、高等法院と貴族議会の控え室で苛立たしげに金翼騎士団の長にして元帥のアウグスタ・ヘトマンは吐き捨てていた。
壮麗な王宮の一角、高等法院と貴族議会の控え室で苛立たしげに金翼騎士団の長にして元帥のアウグスタ・ヘトマンは吐き捨てていた。
冗談ではありませんぞ!
彼とて、貴族階級の一人だ。
同類共の思考原理についてある程度は理解している。
だが、彼は認識を改めざるを得なかった。
理解しているつもりだった、と。
国境に敵が迫っている!
この状況で、出し渋る!?
戦争に必要なもの。
それすなわち戦費である。
幾ら勇猛な一騎当千の兵を揃えたところで、武具を揃え、秣を馬に与え、糧秣を将兵に用意できねば軍隊は自ずと自壊する。
法衣貴族の大ウツケ共、何を考えている!?
レフポラン連合王国の議会は混迷を極めて久しい。
だが、幾らなんでもバルーフ王国が北方より侵略せんと迫り来る中ですら、党派抗争を継続する?
ヘトマン元帥にとって理解の範疇外に他ならなかった。
……お怒り遊ばされるのも、道理ですわね。
とはいえ、ヘトマン元帥。
お気持ちは分かりますが、此処は議会の控え室です。どうぞ、お静まりを。
失礼。では、改めてお伺いしたい。
議会は何とあっても戦費を認めぬと?
認めぬ、とは一言も申しておりません。審議の為に時間が必要なのです。
時間?
その一言を口にした瞬間、ヘトマンは呆れ果てた口調で再び吐き捨てる。
時間だと!?
ルヴェール伯爵夫人。申し訳ないが、国境に敵を迎えて親愛なる議員諸君はお喋り?
議会を侮辱する発言は、幾ら元帥といえどもお控えください。
ただでさえ、貴方を引き摺り下ろそうという方々で一杯なのですよ?
具体的には?
たぶん、有翼重騎兵を一個部隊は編成できちゃいます。
金翼騎士団の精鋭を担うだけの財産と兵を持つ貴族議員らが、戦費を出し渋っているという知らせ。
騎士団の寒い財布事情を知っている人間からしてみれば、実に苛立たしい限りだった。
議員諸氏の愛国心に期待し、 次の議会は国境付近で開会を提案したくなる素晴らしい知らせだ。
バールフの糞共と、恥知らず議員が最底辺決勝戦を開催して潰しあうと思えば、いっそ清々する!
お気持ちは分かりますが……
失礼。
げ、元帥閣下! 緊急事態です!
うろたえるな!
何事だ。
し、失礼致しました。
ご報告いたします。
バールフの侵攻にルルム選帝侯が西方より呼応しました! 西方駐屯中の部隊より国境が侵犯されているとの知らせです!
凶報、というべき知らせだった。
なっ!?
ルルム選定侯は名の通り『選定侯』。緩やかな国家連合体の一つに過ぎず、単独で見れば弱小に過ぎない一諸侯だ。
だが北方に敵を抱え身動きがとりづらい状況ともなれば、意味合いが異なってくる。
馬鹿な!?
確かに、我々を殴る好機ではある。
あるが……ルルム選帝侯の人格は優柔不断だぞ!? このような決断ができるはずが無い!
何処が嗾けた?
そこまで考えたとき、しかし、ヘトマン元帥の脳裏にふと別のアイディアが湧き上がってくる。
いや、まて? ……ルルム選帝侯が傭兵を雇うにしたところで先立つものが無ければ……。
元帥閣下?
っははははは
破顔一笑。
気が付けば、ヘトマン元帥はまさに痛快とばかりに微笑んでいた。
か、閣下?
……何か、良策がありなのですか?
無論のこと。金策の目処ならばぬかりなく。
ルーヴェル伯爵夫人。急ぎ戻ろねばなりません故、失礼する。
……久々の朗報だ。
バルーフの侵攻軍にしたところで、というべきだろう。金翼騎士団の蹄に蹴散らされた過去を覚えているらしい。
それが、北方の駐屯地を預かるアルトゥル・オストラバ百翼長の正直な感想であった。なにしろ、バルーフの南下速度は何か援軍でも待っているのか、非常に低調。
北方戦線は小競り合いというほどのものもない平穏な戦線であった。
お戻りですか、元帥閣下!
うむ、留守中ご苦労。
報告は?
故に、王都から戻ったヘトマン元帥に対し、彼は淡々と状況に変化がないことを告げる。
北方のバルーフ共は相変わらずの速度でカタツムリのように南下を続けております。貼りつけた斥候からの詳細な報告は、纏めさせた報告書が。
ふむ、相変わらずか。喜べ、アルトゥル百翼長。こちらは久々の朗報だぞ。
驚きました。議会が予算を?
遺憾なことに、議員諸氏に置かれては協議の時間が必要らしい。
はぁ……
やはり、王都の情勢は混沌としているのかと嘆きつつも、アルトゥルは元帥の言うところの朗報に期待し、補給が届くだけでもありがたいですなと続ける。
では、補給だけでも届くのですか?
……正直、現状ではそれだけでもありがたいです。
いや、梨のつぶてだ。
引き続き、北部の貴族諸賢の『自発的好意』による『自発的寄進』をかき集めることになるだろう。
あのー、お話のところ失礼します。
何かね?
いい加減、お給料を払っていただけませんか? 遅配がもう三月です。幾らヘトマン元帥の担保とはいえ……
ああ、とアルトゥルの頭を占めるのは未払いの給料だ。
王都が予算を認めてくれないために傭兵へ給料が未払いなのも問題だった。いや、そもそも従軍している将兵全員が三ヶ月近く給料を貰っていないところではあるのだが。
ああ、そのことか。すぐに払うとも。
は? 宛があるのですか?
無論だ。今、我が心の友が金貨を護送してくれている。
元帥閣下も、遂に現実逃避か……
はぁ……こりゃ、赤字どころじゃないわね。
あ、でも……ヘトマン元帥が呆けたっていう情報を売れば……
売れば……?
銀貨20枚というところかね? 異端者として今、ここで焼いてやろうか?
じ、ジョーダンよ、ジョーダン。
貴様らぁ! いい度胸だ!
ならば、妄想を口に出すのはお控えください。
よし、決めた。
は?
アルトゥル・オストラバ百翼長。ちと西の方までお使いに行きたまえ。
元帥閣下のお使い?
……ろくな目にあったことがないぞ。
ああ、傭兵君。君もだ。金貨を回収してくるだけの簡単な仕事だぞ。
略奪して自前で賄えとかですか?
安心したまえ。略奪とは敵地でやるものだ。私だって、味方の領地でならばやらんよ。貴族の素晴らしい愛国心に期待するだけだ。
……世間一般では、それを略奪というような。いや、徴発なのだろうが。
というか、味方の領地でやるアホは吊るしてやる。貴族だろうが容赦はせんぞ。
本当に吊るしたからなぁ……。
戦闘中の行方不明と処理するの、大変だったぞ。
そーいえば、そういう人だった。
さて、朗報に話を戻そうじゃないか。
クソッタレのルルム選帝侯閣下が、我々の敵になった。
は?
さてアルトゥルは漸く一つの可能性に思い至る。
味方からは奪えない。
それは、道理だ。
では……敵からは?
ま、まさかとは思いますが……
傭兵を雇うには、金がかかるだろうな。
実際、自分達も給料の支払いに苦しんでいるのだ。金欠に苦しむ騎士団長がしみじみと呟く言葉には妙な説得力がある。
契約金もさることながら、月々の支払いも大した金額だ。
げ、元帥閣下。つかぬ事をお伺いしますが……。
おう、理解したか。説明の手間が省けて素晴らしい。
あのー、いったい……?
金が無いならば、自分で稼ぐしかない。
なら、傭兵への見せ金をしこたま抱えた子豚を美味しく頂こうじゃないか!
はい?
親愛なるルルム選帝侯閣下に現実を教育してやろう。金翼騎士団の蹄というのは、中々に貴重な経験だろう?
ついでに、それ相応の授業料も回収する。
金欠を解決し、ついでに敵も倒せる。一石二鳥とはこのことだ。
咄嗟の行動で、アルトゥルは笑顔を浮かべ、何時になく愛国心も高らかに響けとばかり叫んでいた。
元帥閣下、留守はお任せください!
このアルトゥル・オスタラバ百翼長、決死の覚悟でバルーフの先遣隊から祖国を守り抜いてご覧に入れます!
いや、金貨回収の方が大切でしょう……。
(しまった、迂闊な!)
うむ。傭兵君の言うとおりだな。金貨回収も大事だが、ここでバルーフに隙を見せるわけにも行かぬ。
ならば……『誰かにお使い』へいってもらうべきではないかね?
かくして。
ヘトマン元帥はその指揮下よりアルトゥル・オストラバ百翼長を指揮官とする一軍を分派しする運びとなる。
金翼騎士団の誇る有翼重騎兵800に、協同させるべく派遣される傭兵200。
あわせて1000の部隊は西方国境線へと急行し、そして、程なく進んだことろでルルム選帝侯軍と遭遇する。
オストラバ百翼長! 見えました! ルルム選帝侯軍の陣、おおよそ4000です!
4000? また、随分と中途半端な数字だな
砲が6門ありました。4000のうち、騎兵が1000はいるです。
は? いや、それだけか?
はっ、それ以上は確認されておりません!
ちょ、ちょっと!?
それだけって……こっちは、騎兵で800よ? 私達歩兵を入れても全部で1000!
ああ、そうか。君は初めてだったな。
何がよ!?
一つご教示しよう。
世界に騎兵は二種類居る。
我々、有翼重騎兵が一つ。
もしくはそれ以外の紛い物か、だ。
随分と話が分かるほうだと思っていたけど……。
何、百聞は一見にしかずだ。一つ、見学していきたまえ。
我々金翼騎士団は、全騎が有翼重騎兵。
さて、有翼重騎兵がどうして世界最強と呼ばれているかご覧に入れて見せよう。
初めての戦場にあって、動悸が乱れるほどの緊張感というのはどうしようもない。
幸いにして、というべきだろうか。見たところ、敵は自軍よりも遥かに小勢。
無理をして大金をかき集め、兵を募った成果だろうか?
銃兵! パイク兵! 方陣構え!
どちらにしても、この戦力差。
敵の騎兵がいかに武名を轟かせるレフポラン連合王国の金翼騎士団であるとしても、ざっとみて四倍は確実。
敵はほどなくして、退くだろう。
彼女は……そう信じて疑わない。だからこそ、次の瞬間に唖然と呟かざるを得なくなる。
嘘でしょう? なんだって、あんな少数で突っ込んでくるの?
ルルム選帝侯第一公女、レツィーナが思わず疑問を零した瞬間のことだった。
我が戦友諸君! 『たった五倍の有象無象』で我らが前に立った愚者に歓呼三礼!
これでもか、と轟くのは嘲笑。
それも、自分達よりも遥かに少数の軍勢があっけらかんとこちらを侮っているのだと誰にでも分かるありさま。
なんですって!?
驚いた。無知は時に勇気になるという古の警句を体現する人々に出会えるとは……
はははは、百翼長もお優しいですな!
いやいや、私だって馬鹿に馬鹿というのが失礼だというのは知っているさ。
あの方陣なんて、崩してくれといわんばかりですぞ?
こらこら、人の努力を笑っちゃ失礼だ。多分、彼らは彼らなりに頑張っているんだから褒めてあげなければ駄目だろう。
レツィーナとて、それが挑発の類だということは分かる。
だが……些か以上に気負っていた彼女は自分の覚悟を嘲笑されているようで耐えかねていた。
た、倒す! 絶対に捕らえて謝罪させてやる!
そして、そのレツィーナの怒りが混じった叫び声を雰囲気だけにせよ感じとっていたアルトゥルはなめられたものだ、と苦笑する。
あー、本気っぽいぞ。
ですねぇ……。
よろしい。では、有翼重騎兵の本髄をご婦人にお目にかけるとしよう。
かかれぇえ!
号令と同時に動き出す騎兵らは、一糸乱れることなく隊列を形成。
大地を駆ける蹄の轟き。
あたかも、一群の塊と化した彼らの突入は瞬く間にパイク兵の方陣を切り裂いていく。
それは、あまりにも馬鹿げた光景であった。
う、嘘でしょ!?
パイク兵の方陣なのよ! なんで、騎兵がぶつかって崩されるの!?
ハリネズミの如きパイクの方陣を、騎兵が切り裂くことなどありえない。
……あるえるはずがないのだ。
姫殿下、直ちにこちらも騎兵を!
ええ、援軍を出します!
……見てください、百翼長! 歩兵が馬に乗れる時代がきたようです!
おお、本当だな! あんなおっかなびっくり馬に乗る騎兵がいるかと驚いていたが……そうか、歩兵ならば納得がいく!
戯言を!
全騎、騎射の用意! 三斉射後、叩き潰してやれ。
宜しいのですか? 三斉射も必要とは思えませんが……
敵騎兵を徹底的に潰しておきたい。
そうすれば……
あの公女殿下を逃す連中も捕らえやすい。身代金で幾ら取れるか楽しみだ。