スカーレット・エクレール

びっくりしたわ!まさか、あなたが倒れてしまったと聞いて!もう、大丈夫なの?

エリオット・アルテミス

ああ。医者にも診察してもらったから安心してくれ。まあ、あまりにひどい傷なら、しばらく距離を置いた方がいいと忠告をされたよ

アリエル・エクレール

ただのヤリ過ぎでしょう?

 またもや、アリエルの軽率な表現に、兄・アズラエルは思わず、彼女を頭から殴った。
 これまでのファノンの所業を聞いてきたスカーレット・エクレールはここで”緊急避難”をするように彼に促した。

スカーレット・エクレール

もう、黙っていられない。私の城においで。エリオットさん。別に女王に私を選べということではないから。これは”緊急避難”よ。ファノンがこれ以上あなたに酷いことをしないようにね

エリオット・アルテミス

いっそのこと、そうするか。随分と彼女は、俺のことを憎んでいる様子だしね

スカーレット・エクレール

じゃあ…話を進めていいかしら?私の城にあなたが引っ越すという話を

エリオット・アルテミス

お願いする

 そうして、彼女、スカーレット・エクレールは、”女神の皇子が自分の城に引っ越す”話を、ファノン・エクレールに申し出てみた。
 もちろん、ファノンはこれについては反対の立場を取った。

ファノン・エクレール

私がそれを許すとお思いですか?スカーレット姉さま

スカーレット・エクレール

あなた。自分がしてきたことをわかっているの?

ファノン・エクレール

エリオットは私の夫です!

スカーレット・エクレール

違うわね。あれでは”奴隷”よ。それも”性の奴隷”だわ。あの扱いは。あなたが女王の座に固執する気持ちも解らないわけではないわ、エリオットさんで私怨を晴らすのはやめなさい

スカーレット・エクレール

あなたは私の可愛い従姉妹よ。どちらの胤(たね)にしろね

ファノン・エクレール

スカーレット姉さま!!

 ダン!!と思わず机を叩くファノン・エクレール。テーブルの上に置いたカップに注いだコーヒーがショックでこぼれた。
 動揺が抑えられない。スカーレット・エクレールは冷徹に呟いた。

スカーレット・エクレール

そんな風に取り乱して、彼を犯していたの?

ファノン・エクレール

……

 ファノンは唇を噛みしめてただやり場のない怒りに身を震わせる。そんな彼女に従姉妹で姉に当たるスカーレット・エクレールは冷淡に言葉を出して、ソファから立ち上がりその部屋から去る。

スカーレット・エクレール

そんな風に取り乱して、彼を抱いていたのね。今のあなたでは、大事な将来の遺伝子学の新星を壊すわ。間違いなくね。それは自分が一番理解しているでしょう?

 彼女が緋色のドレスを纏って、そのままファノンがいる背徳の宮殿の客室を去ろうとした。
 その去り際にファノンは確認をする。

ファノン・エクレール

スカーレット姉さま。このフェニキア王国の女王には興味がないという言葉は本心ですか?

 そのスカーレット・エクレールは不敵な笑みを浮かべ、顔だけ振り向いて答えた。

スカーレット・エクレール

ええ。もちろん。でも……”女神の皇子”には興味があるの。残念ながらね

 彼女のとらえどころのない言葉に、彼女はただ沈黙を守るしかなかった。
 その頃、エリオット・アルテミスは、使用人のナツキにハーブの簡単な講義をしていた。

エリオット・アルテミス

例えば……生姜や、よもぎ、紫蘇、ニンニク、山芋、柿の葉、桃の葉……ないものは農薬の心配が少ないものを取り寄せることを徹底してくれ。薬というのは全て”毒”の一種でもあるんだよ

ナツキ

ええ?!ただのハーブティーでも、ですか?

エリオット・アルテミス

そうだね。だから、使い方によっては逆に身体を蝕んでしまう。セントジョーンズワートなんて、その尤もなる例だね

ナツキ

あの沈静作用があるハーブですか?

エリオット・アルテミス

そう。確かに効果は抜群にいい。その分、弊害もある。例えば、てんかんの薬、血液の循環に関する薬、精神安定剤、そして経口避妊薬。それらとの併用は絶対に避けなければならない。何故なら、薬の効果を更に増進させてしまったり、逆にその薬の効果を打ち消して悪い作用……副作用ばかりが症状として出てしまうこともある

エリオット・アルテミス

西洋医学の薬も”毒”の一種だからね。くすりを逆に書くと”リスク”になるという言葉は割と的を射てている言葉だよ。だから、分量はそこに書いてある通りにすること。二週間以上、飲んでも効かないなら中止をして病院に行き、医師の診断を仰ぐこと。本当なら、私がその都度、様子を見ながら作るのが一番だが…

 彼はそこで残念そうな表情を浮かべてみせた。思わず、ナツキは本音を言ってしまった。

ナツキ

ずっと、ここにいらしてください!!”女神の皇子”様!

ライア

ナツキ。なんてことを

エリオット・アルテミス

ありがとう……

 彼は優しく肩を抱き、本当にすまなそうにして、言葉を絞り出す。

エリオット・アルテミス

だが、これが一番、いいんだよ。私が、彼女から離れることが一番いい

エリオット・アルテミス

ファノンは俺が憎い。それこそ、殺したい位に。だが、俺に選ばれなければならない。このフェニキア王国の女王になるためには。だから、あれほど苦しんでいる。俺がその人と一緒にいる限り、二人はどうあがいても幸福にはなれない。これでいいんだ。俺はファノンから、去って消えた方がいい

 別れ際に、彼は今まで世話になったメイド達の為に、女神の皇子特製のハーブティーを残していくことにしていた。材料となるハーブは全て”女神の森”で自生していたものだった。
 それらを太陽の光で乾燥させて、後は寄り分けるだけだった。それをスカーレット・エクレールは見てびっくりしている様子だった。

スカーレット・エクレール

すごいわね。それ、全部、薬草なのですか?

エリオット・アルテミス

ああ。”女神の森”で自生しているものだよ。どうせなら、別れ際だし、ハーブティーでも作ってあげようと思ってね

スカーレット・エクレール

”女神の皇子”って本当にハーブというか薬草のスペシャリストなんですね。これはうちに来ていただいてありがたいわ

エリオット・アルテミス

これから世話になるよ。まさか、遺伝子学の権威に世話になるとは思ってなかったが

スカーレット・エクレール

こちらこそ。これからの遺伝子学会の期待の学者をお世話することが出来て嬉しいわ。しかも、あなたが私を選んでくれて…もちろん、フェニキア王国の女王にという話ではなくてね

スカーレット・エクレール

でも…あなたと初めて逢ったあの三日月の夜。あの時、私が魔法であなたを救った時、本当に月に住んでいる人に見えたの。あなたが運命の人って

エリオット・アルテミス

運命の人?

スカーレット・エクレール

おかしいかしら?

エリオット・アルテミス

いいや。そうでもないんじゃないかな?元々、接点はあったんだし

スカーレット・エクレール

私はファノンやアリエルとは違うわ。一人の女性としてあなたに興味を持っているわ。ごく普通に。遺伝子学の権威という地位も別に。……私の恋人になっていただけませんか?

エリオット・アルテミス

あなたのような綺麗な女性と俺が?突然、そんなこと言われても…

 彼は照れたような、参ったような、曖昧な態度をとってしまう。だが、それが逆に彼の場合、”魅力”を振り撒いているようなものだった。
 スカーレットはそこで妖艶な微笑を浮かべて思わず、彼の唇を奪ってしまった。

エリオット・アルテミス

何…?

スカーレット・エクレール

近くにいると、あなたに無性に触れたくてたまらない気持ちになるわ。自分がいかに”魅力”を自分から振り撒いているのに、無自覚なのだから、そこがいいのよね

 スカーレットはそこでエリオット・アルテミスの少しうつむいた顔を覗き込み、艶やかに囁く。

スカーレット・エクレール

ファノンの気持ちが少しわかる気がするわ。私もひとたびあなたを自分の男性にしたら、ベッドから離さないでしょうね。でも、私ならあなたを泣かしたり、いじめたり、痛めつけたりしないわ

エリオット・アルテミス

んんっ…

エリオット・アルテミス

こ、このキスは・・・!!

エリオット・アルテミス

んんっ…んっ…

 次第に自分の舌を弄んで舐めまわし始めるスカーレット。彼女の手が自分の服の上から胸板を触り始める。それに対して彼はまた嫌な気分になってきてそして抗議の声を上げた。

エリオット・アルテミス

やめてくれ!スカーレット

エリオット・アルテミス

お願いだ

スカーレット・エクレール

何で…?

 そこでアネットが姿を現し、スカーレットに行為の中断をお願いした。

アネット・エクレール

どうぞ。ご容赦ください。スカーレット様。彼はまだ完調ではありません

スカーレット・エクレール

ごめんなさいね。エリオットさん。つい、夢中になってしまって、怖がらせてしまった様子ね。きちんとあなたが私を求めるまで続きはしないわ

 その場から去るスカーレットは、去り際にアネットに少し手で触れて、静かに去っていった……。
 彼はまたしても自分を軽蔑してしまっている様子だ。思わず、アネットにこう呟いてしまった。

エリオット・アルテミス

自分が……セックスを売り物にしている気分だよ。次から次へと女性の腕の中へ入り、唇を重ねて、俺の一族はやはり”娼夫の一族”かもしれない

アネット・エクレール

エクレール家の女性があなたを求めてしまうのは、もはや血のなせる業としか説明はできません。エクレール家は完全女系の一族。相手の男性が誰でも生まれた子供が女性であるなら構わないのですよ。でも、アルテミス家は完全男系の一族。従って、自分の妻となる女性が必ず自らの遺伝子を持っていなければならない。そうしないと男系の家族制度が崩壊してしまうから

アネット・エクレール

エリオット様が女性の多淫を責めてしまうのは、そういうのが価値観として根底にあるからだと思ってしまうのです

エリオット・アルテミス

そうだな。確かに男系の家族では父から息子に家と財産を相続されるものだな

アネット・エクレール

だから、女性の多淫を蔑む価値観が発生してしまったのです。しかし、エクレール家は完全女系の一族。エスカレートにした話になると自分の産んだ子供は誰が父親であろうとも関係がないという話です

エリオット・アルテミス

なるほど

アネット・エクレール

ですから、あなたが必要な時にあなたが選んだ女性を妻として迎え入れてあげればいいのです。あなたの心が信じるままに

エリオット・アルテミス

俺の心…か

 そこで、エリオット・アルテミスは今までの人生を振り返ってみる。
 俺は今まで、一度たりとも様々な女性とセックスしたいと思ったことはなかった。いろんな女性に自分の子供を残そうとも思わない。今でも、これからも。
 一人の女性と、ずっと添い遂げて、その人と愛し愛されたかった。それだけなのに…。
 スカーレットは今までのエクレール家の女性の中では最も常識的な人物だ。妻として非の打ち所がない女性だ。
 今は無理でも、きっと落ち着けば、彼女を受け入れられるはずだ。
 だから…この選択肢は間違いではないはずだ…。

 明朝の朝十時。迎えの馬車が来た。彼は手荷物を持ち、今まで世話になった女性メイド達に挨拶を交わしていく。

メイド3

女神の皇子さま。どうか、お元気で

メイド4

これ、みんなから、ささやかなプレゼントです

エリオット・アルテミス

ありがとう…

 その頃、アネットがファノンに彼の出立を報せにきた。

アネット・エクレール

女神の皇子がご出立です

ファノン・エクレール

あなたも行きなさい。アネット

アネット・エクレール

ファノン様……

ファノン・エクレール

命令よ

 彼女は今はほぼ無表情で窓からの景色を見ながら、スカーレットの危険性を話す。

ファノン・エクレール

スカーレットは昔から頭が切れすぎて何を考えているのか、正直わからないわ。得体の知れないあの真っ赤な瞳を見ると、ぞっとする。スカーレットはあなたのことは気に入っている様子だから、ついていくと言っても拒まないでしょう。エリオットを守ってあげて

アネット・エクレール

はい。…本当はそうするつもりでした。あなたに言われなくても

 アネットは決意のこもった声で宣言した。堂々と。

アネット・エクレール

命を賭けても、あの方をお守りします!

 そうして、彼女もファノンから離れていくことになる。独りきりになり、ただやるせない気持ちばかりがファノンには存在していた。

スカーレット・エクレール

行きましょう。エリオット

エリオット・アルテミス

ああ

 ファノンは俺を拉致して強姦(レイプ)した女だ。俺の身内を人質にして、自由を奪った最低な女性なんだ。そして俺を切り裂いて血を流させて笑いものにした最低な女だ。
 しかも、この世で一番、俺が憎いという。彼女を将来の伴侶にってなんて、俺はどうかしていたんだ。あんな人と共にいたって幸福になんかなることはできないだろう…。

エリオット・アルテミス

あっ…

 彼は手で持っていた袋を落としてしまった。

アネット・エクレール

大丈夫ですか?

エリオット・アルテミス

あ、ああ

 その袋から小さな箱が何個も入っている。全部指輪だ。彼はその小さな箱を開ける。
 良く磨かれて輝きを放つ、紫水晶の宝石があしらわれた指輪だった。

エリオット・アルテミス

アメジストだ…

エリオット・アルテミス

あの紫水晶の話をしたのは、ファノンだけだ

エリオット・アルテミス

紫水晶(アメジスト)は内から外から守ってくれるんだ。世の中の悪い誘惑からも。酒癖の悪さからも

 身に着けている人を守って……。

エリオット・アルテミス

全く……数が多いからってご利益があるわけではないのに……

アネット・エクレール

エリオット様?

 彼が指輪を片手に、涙を流していた。そして自分の内側から溢れ出る想いに翻弄されそうになる。

エリオット・アルテミス

何故なんだ?何故…彼女のすべてを俺は求めてしまうのだろうか?

 だが、自分の内側から溢れ出たその想いの感情に身を委ねることをそこで決心した。
 謝罪の言葉を、スカーレットにかける。アネットにも。

エリオット・アルテミス

すまない。本当にすまない!でも…でもっ!

 彼は駆けだした。ファノンの下へ。手に持った紫水晶の指輪を片手に。

 自分が馬鹿なのは、俺自身が一番理解している。
 俺を犯した女。俺を殺したい位に憎いと言っている女だ。
 優しい言葉なんかかけてくれない。でも、いつも交わす口づけだけは優しい。
 不器用で、生真面目で、迷いながら、それでも俺を気遣ってくれる…!

 彼が”背徳の宮殿”のファノンがいる大広間のドアを開けた。軽く息を乱しながら。

ファノン・エクレール

来ないで!行って!エリオット

ファノン・エクレール

スカーレットのところに行ってしまって!!あなたといると苦しいのよ…!どんどん、自分が崩れてしまって何もかも信じられなくなってしまうの

 ファノンは思わず頭を抱え込み、そして想いを明かした。

ファノン・エクレール

自分すら思い通りにままならない。あなたを抱いて傷つけるのを止めることが出来ないの…!!だから…行って!スカーレットは得体の知れない女だけど、今の私よりマシな女性よ!

ファノン・エクレール

私といると……

エリオット・アルテミス

それでもいいんだ

エリオット・アルテミス

君の傍にいたい。君の孤独を埋めてあげたい

ファノン・エクレール

私はあなたを傷つけるわ

エリオット・アルテミス

そうだろうと思う

ファノン・エクレール

幸福になんてさせてあげることはできないわ

エリオット・アルテミス

わかっている。だが、俺は自分で幸福になることを決意したからいい。君の孤独を埋めてあげたい。君を孤独にしたくないんだ。それだけなんだ。二人で幸福になる道を捜してみたいんだ

 最後に彼は紫水晶の瞳を優しく、だが信念が込められた目の輝きで、彼女の緑色の瞳を見つめた。

エリオット・アルテミス

これが、俺の心。俺自身が選んだ道だ。受け入れてもらえるかな…?

 彼は優しい微笑を浮かべている。そしてプレゼントされた紫水晶(アメジスト)の指輪を右手の中指に填めた。
 ファノンは戸惑いから、徐々に心が溶けるような嬉しそうに大きく微笑んで、彼の顔を両手で包みこんだ。
 そして、額を彼の額に合わせた。

ファノン・エクレール

本当にいいのね…?

エリオット・アルテミス

ああ…

ファノン・エクレール

もう、あなたを離さないわよ…!

 そうして、深い口づけを交わした。

スカーレット・エクレール

……やられたわね。あんな男嫌いに、こんな小手先の芸が出来るなんて思ってなかったわ

 やがて、スカーレットはその真紅の瞳を去った方向に向けてこう呟いた。

スカーレット・エクレール

”女神の皇子”はファノン・エクレールを変えた。ますます、欲しくなったわ

 アネットは漠然とした考えが浮かんできていた。
 

アネット・エクレール

私はわかっていたような気がする。最初から。エリオット様はファノン様を選ぶということに。あの方が負う傷に惹かれてしまってどうにかしてあげたいと想う心があるんだと。傷に惹かれずにはいられないということに……

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