膝を抱えて小さく座った私は、目の前の光景を眺めて大きく溜息を吐いた。


 気付けばあっという間にもう六月で、今私の目の前では体育祭が開催されている。

 運動が苦手な私は、この日が来るのが嫌でたまらなかった。

花音

ついにこの日が来てしまった……


 避けて通れる道があるわけでもなく、ガックリと肩を落とすと再び溜息を吐く。

花音

何の為に、体育祭なんてあるんだろう。

何で風邪ひかなかったのよ……私のバカ

 自分の健康すぎる身体を呪った私は、目の前で繰り広げられている競技を見た。

 今行われているのは、三年生による借り物競走。

 確か、ひぃくんも出ると言っていた。

花音

何処にいるのかなぁ?

 キョロキョロと見渡すと、笑顔で男の子と話しているひぃくんが目に留まった。

 どうやら次に出場するらしいひぃくんは、スタート地点で軽くストレッチをしている。


 合コンで助けられて以来、何だかひぃくんが気になる私。

 そのままひぃくんを眺めていると、隣にいる彩奈が話し掛けてきた。

彩奈

どうしたの? 

響さんの事、ジッと見つめちゃって


 クスクスと笑う彩奈に、急いでひぃくんから視線を外して俯く。

花音

み、見てないよ……。

ひぃくんなんか


 相変わらずクスクスと笑いながら、

彩奈

そう? 私の勘違いかー

と言った彩奈。

 本当は気付いてるくせに、私をからかっているのだ。


 事実、勘違いなどではない。

 私はひぃくんを見つめていた。

 徐々に早くなってきた心拍数に、何だろうこれ……? と思いながら、そっと胸に手を当てる。



 ーー最近の私は、おかしい。

 ひぃくんを見ると、何だか胸が苦しくなるのだ。

花音

変な病気だったらどうしよう……

 そんな事を考えながら、顔を上げた私は再びひぃくんを見つめた。

 スタートラインに立つひぃくんと目が合い、一瞬ドキッとする。

花音

き、気のせいだよね?

 ひぃくんはともかく、私は大勢いる中で座っているのだ。

 そんなに一瞬で、私を見つけられるわけがない。

 すると、ひぃくんがヒラヒラと手を振った。

花音

えっ!? 

わ、私に手を振ってるの?


 キョロキョロと左右を見渡してみる。

彩奈

振り返してあげないの?

 隣で私を見ていた彩奈は、そう言ってクスリと笑った。

花音

本当に、私に振ってるのかな……?

 そう思いながらも、ひぃくんに向けて小さく手を振ってみる。

 すると、それに応えるように笑顔のひぃくんが大きく手を振った。

花音

あっ……。

本当に、私に振ってたんだ……


 よく見つけたな、と感心する。

 未だにブンブンと大きく手を振るひぃくん。

花音

先生に注意されてるし……

 再びスタートラインに整列したひぃくんは、相変わらずニコニコとしている。

 大丈夫かな……と、ちょっと心配になる。

 ピストルの音と共に、一斉に走り出したひぃくん達。

 その中でも、群を抜いて早いひぃくん。

 あんなに余裕そうに走っているのに……。


 ーー昔から、スポーツも勉強も何でもできてしまうひぃくん。

 どこか余裕そうなその顔に、心配して損をしたと小さく息を吐いた。

 会場のあちこちからは、ひぃくんを応援する女の子達の声が聞こえてくる。

花音

相変わらず、凄い人気だなぁ……


 そう思うと、なんだか少し気持ちが沈む。

花音

なんだろう……これ


 目の前で走るひぃくんを見つめ、膝を抱えた腕にキュッと力を込める。

花音

こうして見ると、やっぱりカッコイイなぁ……。

中身はちょっと変だけど。

花音

やっぱりカッコイイんだよね、ひぃくんは。

だから、周りが騒ぐのもわかる

 そんな事を思っていると、バチッとひぃくんと目が合った。

 そのまま、私の方へ向かって走ってくるひぃくん。

花音

えっ……何? 

どうしたの?


 あっという間に私の目の前まで来たひぃくんは、フニャッと笑うと口を開いた。

花音、一緒に来て

花音

へっ……?

 ひぃくんを見上げて、間抜けな声を出した私。

 視線を下に移してひぃくんの手元を見てみると、そこには白いカードが握られている。

花音

あ、借り物競走……。

私を借りに来たの? 

走るの苦手なんだけどなぁ


 そんな事を思いながらも、わざわざ借りに来たひぃくんを無下にする事もできず、私は渋々ながらに重い腰を上げた。

花音

ひぃくん。

私、走るの苦手……

うん、知ってる


 私の言葉に、ニコリと微笑んで答えるひぃくん。

花音

知ってるなら、何で私のとこ来たのよ……。

花音

ただでさえ、体育祭になんて参加したくないのに……


 プクッと頬を膨らませると、ひぃくんを見上げてキッと睨む。

可愛いー、花音。

大丈夫だよ

 私の頬をツンッと突いたひぃくんは、そう言うと突然私を抱え上げた。

花音

こ、これは……っ! 

世に言う、お姫様抱っこというやつでは?!

しっかり掴まっててね?


 そう告げると、一気に走り出したひぃくん。

花音

こ、怖いっ! 

落ちるっ、落ちるよひぃくんっ!

 慌ててひぃくんの首にしがみつく。


 私を抱えているというのに、グングンとスピードを上げて走るひぃくん。

 周りでは、女の子達が悲鳴を上げている。

 流れる景色の中、私はひぃくんの背中越しにグラウンドを眺めた。

花音

あ、校長先生が走ってる……。

歳なのに……。

借りられたんだ、可哀想

 必死に走る校長先生を見つめ、そんな事を思う。



 そのままあっという間に、一着でゴールしてしまったひぃくん。

花音

ーー凄いよ、ひぃくん

 私はただただ、感心した。



 全員がゴールしたところで、マイク越しにお題と借りて来た物の発表が始まった。

 チラリと一番奥を見てみると、ゼェゼェと肩で息をする校長先生がいる。

 私の視線に気付いた校長先生は、ニコリと優しく微笑んでくれる。


 ーーどうやら、五着でビリだったようだ。

花音

仕方ないよね、歳だもん……


 そんな事を考えながら、司会進行役の人の言葉に耳を傾ける。

えー。では!

お題の発表と、確認をします! 

まずは……五着!


 五着の人からカードを貰うと、再びマイク越しに口を開く。

お題はハゲ!

花音

な、なんて恐ろしいお題……

 チラリと校長先生を見ると、その頭は確かに輝いていた。


 会場中から、笑いの渦が聞こえる。


 急に怖くなった私は、隣にいるひぃくんを見上げた。

 私の視線に気付いたひぃくんは、私を捉えると優しく微笑む。

花音

お題、何なんだろう……。

不安しかない

続きましてー。

……四着! 

お題は……パンツ!

花音

パ、パンツ?!

 四着の人を見てみると、右手を高々と上げている。


 ーーその手には、男物のパンツが。
https://storie.jp/mypage/creator-story/episode/50078/generator

 
 あのパンツの持ち主は今、ノーパンなのだろうか……


 借り物競走のお題は、三年生が自ら考えたとお兄ちゃんが言っていた。

花音

怖すぎる……。

何なの、このお題

 競技に参加するまでちゃんと見ていなかった私は、借り物競走がこんなにも恐ろしいとは思ってもみなかった。

花音

ひぃくん……。
……やだよ、私。

変なお題じゃ、ないよね……?

 青ざめる私は、その後発表されていくお題たちも必死になって耳を傾けた。

 中には普通の物もあって、どうやら全部が全部、変なお題ではないようだ。

えー。では、一着のお題は……

 いよいよ来てしまった自分の番に、私はドキドキとしながらひぃくんを見つめた。

 ひぃくんからカードを受け取った司会進行役は、手元のカードを見ると口を開いた。

お題は、気持ちの良いもの!


 意味不明なお題に、私の頭上にはクエッションマークが浮かぶ。

んー……。
これは、中々難しいお題ですねぇ。 

では、ご本人に聞いてみましょう!

 そう言って、ひぃくんにマイクを向けた司会進行役。

花音

どういう意味だろ……?


 意味のわからない私は、隣にいるひぃくんを黙って見守った。

毎日ベッドの上で、優しく抱いてます。

凄く気持ちいいよ?



 ニッコリと微笑むひぃくん。


 一瞬にして静まり返る会場。


 固まる司会者に、青ざめる私。


 視界の端に、私と同じくらい青ざめた校長先生の顔が見える。

ね? 

気持ちいいねー、花音っ


 青ざめる私を抱きしめ、そう言ったひぃくん。


 途端に、会場からは女の子達の悲鳴が湧き上がった。

花音

ひぃくん……。

その、言い方は……っ


 ーー人生、終わった。

 そう思った私は、もうそれ以上何も考えられなかった。

 私は突っ立ったまま、魂が抜けてしまったのだ。


 思考の停止してしまった私は、女の子達の悲鳴が聞こえる中、ずっとひぃくんに抱きしめられていた。



 青白い顔をした私の頬に、スリスリと嬉しそうに頬を寄せるひぃくん。

 固まったまま、ピクリとも動かない私。


 目の前には、私達の元へと走ってくるお兄ちゃんの姿が見える。


 そのお兄ちゃんの顔も、私と同じくらい青ざめていたーー。

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