お昼休み、屋上でお弁当を食べていると隣にいるひぃくんが口を開いた。

昨日は楽しかったねー。

また一緒にスパ行こうね、花音

 ニコニコと笑顔で話すひぃくん。

花音

そ、それは今、言って欲しくなかった……

 私は昨日、彩奈と二人で映画に行くと嘘を付いて家を出たのだ。

 チラリとお兄ちゃんの様子を伺った私は、握っていたお箸をポロリと落とした。

 私の目の前には、お兄ちゃんではなく鬼がいた。

花音……。

昨日、スパに行ったのか?

 固まったまま何も答えない私を見ていたお兄ちゃんは、その視線をすぐ隣にいるひぃくんへと移した。

 すると、その視線に気付いたひぃくんが口を開いた。

……そうだよ。

花音たら、裸で歩いてたから……ビックリしちゃったよ

 ひぃくんの言葉に、一瞬にしてビシッと固まった私とお兄ちゃん。

花音

ひぃくん……。
ビックリなのは、私の方だよ。

私……ちゃんと水着着てたし。

裸でなんて、歩いてないから……

はだ……か……っ?

 ゆっくりと頭を動かすと、驚きに見開かれた瞳で私を捉えるお兄ちゃん。

花音

ちっ……違うよっ、お兄ちゃん! 

私、ちゃんと水着着てたよ?!

じゃあ……スパには行ったんだな?

花音

あぁ、何て事だ……

 私はスパに行った事を認めてしまったらしい。

 せっかく色々と考えて、上手く嘘が付けたと思っていたのに……。
 全部ひぃくんのせいだ。

花音

何でよりにもよって、お兄ちゃんの前で言うのよ!

 キッとひぃくんを睨みつけると、私の視線に気付いたひぃくんは

また行こうねー

なんてニコニコとしている。


花音

なんて呑気な人なんだろう……。

今の状況、わかってる? 
私今、お兄ちゃんに追い詰められてるんだよ?

 相変わらずニコニコとしているひぃくんを見て、諦めた私はお兄ちゃんの顔を見ると口を開いた。

花音

嘘付いて、ごめんなさい……

 今にも消えてしまいそうな程に小さな声で謝る。

 だって、お兄ちゃん怖いから。

 味方につければ、これ以上にないくらい心強い。


 だけど、敵ともなれば話は別。

 とんでもなく恐ろしい鬼だ。

花音

お願い……鬼にならないで

 顔を俯かせてビクビクとしていると、大きく溜息を吐いたお兄ちゃんが口を開いた。

響が一緒だったんなら、まぁ……いいよ。

もう、嘘は付くなよ?

花音

……え? いいの? 

だって、ひぃくんだよ? 
私は全然よくないけどね?!

 何だかんだ、お兄ちゃんはひぃくんを信頼しているらしい。

 昔からそう。


 最終的には、ひぃくんが一緒ならいいと言ってくれる。


何で……?

 何でかはわからないけど、とりあえずこの場は助かった。

花音

ひぃくん、たまには役に立つね

 チラリとひぃくんを見る。

わかったのか? 花音

花音

はっ……はい! 

わかりました

 ひぃくんを見ていた私は、お兄ちゃんの声に驚くとピシッと背筋を伸ばしてそう答えた。

 私の返事に、ニコリと微笑むお兄ちゃん。

花音

良かった……

 安心した私は、再びお弁当を食べようと視線を下げた。

花音

お箸、落としたんだった……。

どうしよう、食べれない

 地面に転がるお箸を見つめていると、すぐ横からお箸の握られた腕が伸びてくる。

 横を振り向くと、私と目の合ったひぃくんがニッコリと微笑んだ。

食べ終わったから、使っていいよ

花音

……ありがとう

 素直にひぃくんからお箸を受け取ると、食べかけだったお弁当を再び食べ始める。

 すると、やけに隣から視線を感じる。

花音

何だろう? 

そんなに見られると、食べにくいんだけど……

美味しそうだねー

 隣から聞こえる声に、小さく溜息を吐く。

花音

もう……。
まだ食べ足りないからって、そんなに見つめないでよ。

言ってくれれば、分けてあげるのに

花音

食べる?

えっ! いいの?!

 嬉しそうにキラキラと瞳を輝かせるひぃくん。

 子供みたいなその姿に、思わずクスリと笑みが溢れる。

花音

いいよ

 私は笑顔でそう答えると、ひぃくんが好きな玉子焼きをお箸で掴んだ。

 そしてそのお箸をひぃくんの方へと差し出す。

いただきまーす


 そう言って、ゆっくりと私に近付いてくるひぃくんの顔。

花音

えっ……?!

……響っ?!

 焦るお兄ちゃんの声。

 ポトリと地面へ落ちる、玉子焼き。

 ひぃくんは……
 私の頬をパクリと食べた。

 呆然と固まる私は、ひぃくんを引き剥がしたお兄ちゃんにゴシゴシと頬をこすられる。

花音

お兄ちゃん……。

ひぃくんこんなだよ?
 
本当に、ひぃくんでいいの……? 

……何で?

 そんな事を思いながら、こすられ過ぎてヒリヒリと赤くなった頬をそっと手で抑えたーー。



 


志帆

ーーねぇ、花音ちゃん

 目の前に突然フッと影が差し、帰り支度をしていた私は手元から視線を上げると声の主を見た。

 私の目の前で、ニコリと微笑むクラスメイトの志帆ちゃん。

志帆

今日って、これから暇かな?

花音

……うん。どうしたの?

志帆

今日ね、これから合コンがあるんだけど……。

花音ちゃん一緒に行かない? 

前に、彼氏欲しいって言ってたよね?


 私の様子を伺うように、小首を傾げて訊ねる志帆ちゃん。

花音

……行きたいっ! 

彼氏欲しい!

 勢いよく立ち上がった私を見て、クスクスと笑い声を漏らした志帆ちゃん。

志帆

良かった。

南高の人なんだけどね、可愛い子呼べって煩くて

花音

えっ……。

わ、私で大丈夫なのかなぁ……?

花音

行きたい。けど……。

可愛い子しかダメなら、私なんてお呼びではないんじゃ……

志帆

大歓迎だよ! 

花音ちゃんが、一番可愛いもん!

 そう、お世辞を言ってくれる志帆ちゃん。

 なんて優しいんだろう。

志帆

駅前のカラオケで集合だから、一緒に行こう?

花音

うんっ!

 合コンなんて初めてな私は、ワクワクとした気持ちで笑顔で答えた。

 問題なのは……ひぃくんとお兄ちゃん。

 もうそろそろ、教室に迎えにくるはず。

花音

何て言い訳をしよう……

 素直に言ったところで、絶対に許してくれるはずはない。

 かと言って、嘘も付けない。

 ついこの間、お兄ちゃんに約束してしまったから……。



 ーー残る手段は、ただ一つ。

花音

彩奈! 
先に帰ったって、お兄ちゃんに言っておいて! 

志帆ちゃん! 
ダッシュで行こう!!

 近くにいた彩奈にそう告げると、私は志帆ちゃんの手を取り急いで教室を出る。

 後ろから

彩奈

えっ?! 

ちょっと、花音!

と言っている彩奈の声が聞こえる。

花音

ごめんね、彩奈! 

後はまかせた!

 心の中で謝罪した私は、そのまま志帆ちゃんを連れて教室を後にしたーー。






モブ

何、この子?! 

めちゃくちゃ可愛いじゃん!

志帆

でしょー?

 驚きに目を見開かせる男の子の前で、得意げな表情をさせる志帆ちゃん。



 ーー私は今、合コン会場である駅前のカラオケ店に来ている。

 見開いた瞳で私を見つめているのは、少しチャラそうなイケメンさん。

 その横には、何だか男性とは思えないほどの色気を放つイケメンさんがいる。

花音

私……どうすればいいんだろう?

 深く考えずに来てしまった私は、よくよく考えてみたら合コンとは何をするのか……。

 全く、わからなかった。

花音

とりあえず、座ってもいいのかな?

 チラリと空いているソファに目を向ける。

モブ

こっちにおいで

 声のする方を見ると、色気の凄いイケメンさんが自分の座っている隣をポンポンと叩いている。

花音

隣に座れって事……だよね? 

……いいの、かな?

モブ

うーわ、先越されたぁ……。

蓮が相手じゃ、敵わねーよ


 ガックリと肩を落としたチャラそうなイケメンさんは、そう言うと

モブ

はい!

じゃあ、こっちに座ってねー

と私をソファへと座らせた。

 チラリと隣を見ると、色気の凄いイケメンさんがニッコリと微笑む。

モブ

お名前は?

花音

あっ……結城花音です

モブ

俺は蓮。

よろしくね、花音ちゃん

花音

あ、はい。

……よろしくお願いします

花音

こんな感じでいいの、かな……? 

……次は何を話せばいいの?

 そんな事を思っていると、蓮さんが話しを振ってくれた。

モブ

花音ちゃんは、一年生?

花音

はい、そうです

モブ

可愛いね。俺は三年

花音

な、なんて返せばいいのか、わからない……。

どうしよう……

 チラリと志帆ちゃんを見ると、すっかりと馴染んで会話が弾んでいる。

花音

一度しか会った事がない人だって言ってたのに、志帆ちゃんてコミュ力高いんだなぁ……

 志帆ちゃんに関心していると、またもや蓮さんが話しを振ってくれた。

モブ

花音ちゃんは、合コン初めて?

花音

……あっ。

は、はい……

モブ

そっか。

それじゃあ、緊張しちゃうね

花音

はい、そうなんです……。

今、とっても緊張してます。

……どうしたらいいのか、わかりません

 ヘタレな私は、心の中で溜息を吐いた。

花音

ダメだ……。

私、合コン無理かも……

 カラオケ店に入って十分弱。

 来るんじゃなかったと、後悔をした。


 その後も、話を振ってくれる蓮さん。

 私はというと、ただ黙って話を聞いているか、時折『はい』とか『そうなんですね』と返事をするだけだった。

花音

ダメだ……。

会話が続けられない

花音

あ、あの……。

トイレに行ってきます

 そう伝えると、私はトイレへ逃げ込んだ。

花音

どうしよう……

 もう帰りたいとは、流石に言えない。

 カラオケがあるなら大丈夫かな? なんて思っていたけど。

 さっきから、誰も歌など歌っていない。

花音

……合コンて、そういうものなの?

 これでは場がもたない。

 私は小さく溜息を吐くと、目の前にある鏡を見た。

花音

もう、戻らないとね……

 情けない顔をする自分に向けて、小さくそう呟く。

 いつまでもトイレに籠っているわけにもいかず、私はすっかり気落ちしてしまった心のまま部屋の扉を開いた。

花音

あれ……?

 部屋へと入ってみると、さっきまでいた志帆ちゃんの姿が見当たらない。

 室内を見渡してみると、あのチャラそうなイケメンさんの姿もない。


 ーーそれどころか、志帆ちゃんの荷物までないのだ。

花音

あの、志帆ちゃん達は……?

モブ

あの二人なら、先に帰ったよ

花音

……えっ?! さ、先に帰った?! 

志帆ちゃん、私を置いて先に帰っちゃったの……?!

 呆然と扉の前で固まる私。

モブ

ここからは、二人で楽しもうね

 立ち尽くしている私の腕を掴んだ蓮さんは、そう言うと私をソファへと座らせた。

 私の肩にまわされた腕にガッチリと掴まれ、身動きが取れない。

花音

あ、あれ……? 

何か……っ怖い……かも

花音

あの……。

私も……か、帰ります


 小さな声で縮こまってそう伝える。

モブ

なんで?

 そう言ってニッコリと微笑む蓮さん。

 微笑んではいるのだけど……。

私の肩を掴む蓮さんの力が強くて、何だかとても怖い。

花音

どうしよう……。

帰りたい

花音

わ、私……っあの……

 蓮さんの手が突然私の太腿に触れ、驚いた私はビクリと肩を揺らした。

花音

な、何?! 

やだ……っ!

 太腿に触れる蓮さんの手を掴むと、その手を退けようと力を込める。

 両手で掴んでいるというのに、蓮さんの手はビクともしない。

 スカートの中に少しだけ入ったその指先に、気付けば恐怖で涙が溢れていた。

花音

やめっ……やめ、てくださ……っ

 ガタガタと震える身体で、涙を流しながらも小さな声で懇願する。

 辞めてくれると思っていたーー。


 初対面でよくわからない人とはいえ、私は泣いているのだ。

ごめんね

と言って、手を離してくれる。


 そう期待していた私は、頭上から聞こえてきた声に思考が追いつかなかったーー。

大丈夫だよーー。

大人しくしててね

 私をソファへ押し倒した蓮さんは、そのまま私の上に跨ると片手で私の口を塞いだ。


 突然の出来事に、状況がうまく理解できない。

花音

何、これ……? 

何……?! 

いや……怖い……っ!

 ガタガタと震えながら、次々と流れてくる涙。

花音

怖い……っ怖い! 

助けて……! 

助けて、ひぃくん……っ!

 何故か私の頭に浮かんできたのは、笑顔のひぃくんだった。

花音

ごめんなさい……っ。
黙って合コンになんて来るんじゃなかった。

もうしない……。
絶対に、しないから……っ。

だからお願い……っ!
ひぃくん助けて!!

 ギュッと硬く瞼を閉じた次の瞬間、部屋の扉がバンッ!と乱暴に開かれた。

 その音に反応して、閉じていた私の瞼はパッと開いた。


 ーー目の前に見えるのは、私の上に跨っている蓮さん。

 その蓮さんがグンッと一瞬上へと持ち上がると、そのまま視界の端へと吹き飛んだ。

花音っ!!

花音

来てくれた……っ。

助けに、来てくれた……っ!!!

 視界に入ってきたひぃくんの姿を見て、私は安堵からボロボロと涙を流した。

花音

ひぃ……ぐっん……っ

大丈夫。……大丈夫だよ、花音。

怖かったね、もう大丈夫だから

 私を抱き起こしてくれたひぃくんは、そのまま私を抱きしめると優しく頭を撫でてくれる。


 何度も何度も

大丈夫だよ

と言ってくれるひぃくんのその声は、とても優しく私の耳に響いてーー。

 何だか、とても安心した。



 その後、ひぃくんの連絡で駆け付けてくれたお兄ちゃん。


 ーー凄く怒られる。

 そう、覚悟していたのに……。


 私を見たお兄ちゃんは、今にも泣き出しそうな顔をすると優しく抱きしめてくれた。

 そんなお兄ちゃんの姿を見た私は、鼻水を垂らしながら

花音

ごめんなさい

 
 と何度も謝り続けた。


 彩奈から事情を聞いた二人は、ずっと手分けして駅前のカラオケ店を探し回ってくれていたらしい。

 そんな二人に、私はなんて馬鹿なんだろうと心から反省した。






 私をおぶって帰るひぃくんの横顔を見つめ、私は小さく

花音

……ありがとう

 と呟く。


 そんな私を横目に確認したひぃくんは、フワリと優しく微笑んでくれる。



 ーー昔から、いつだって私を助けてくれるひぃくん。

 男の子に意地悪された時も、痴漢に遭った時も、しつこいナンパに遭った時も……。

 いつも、ひぃくんが助けてくれた。

 何でそんな事も忘れてしまっていたんだろう……。

 
昔から、ひぃくんは私のヒーローだったのに

 目の前のひぃくんにキュッと抱きつくと、私はその優しい温もりに静かに涙を流した。

花音

ひぃくん……ごめんね。

……いつも、ありがとう

 心地よく揺れる背中の上でそっと瞼を閉じると、私はそのまま黙って自宅へと帰って行ったーー。


 



 ーーその日の夜。

 中々寝付けないでいた私は、少し震える自分の手をキュッと握った。


 今日あった出来事が頭の中で何度も再生され、その度に恐怖が蘇ってくる。

花音

あの時、ひぃくんが来てくれなかったら……。

今頃私は、どうなっていたんだろう……?

 そう考えると、とても恐ろしかった。


 考えちゃダメーー。

 そう思うのに、今日の出来事を思い出してしまう。

花音

眠れないよ……

 そう思いながら、ギュッと硬く瞼を閉じた。

 ーーとその時、フワリと風が入ってきたかと思うと、カチャリと鍵を閉める音がした。


 その数秒後、ギシっとベッドを軋ませたひぃくんがキュッと優しく私を抱きしめた。

……花音


 私の耳元で、優しく囁くひぃくん。


 いつもは私の寝ている間に、いつの間にか忍び込んで来るひぃくん。

 まだ午後十時だというのに、今日は私が起きている時間にやって来た。


 クルリと後ろに向きを変えると、優しく微笑むひぃくんと視線が絡まる。

ずっと、花音のこと守ってあげるからね

 私を見つめるひぃくんの瞳は、とても優しかった。

 私はたまらずギュッとしがみつくと、その胸元に顔を埋めた。


 そんな私の頭を優しく撫でてくれるひぃくんは、そっと私の髪にキスをすると

おやすみ、花音

と優しく囁いた。

花音

今日だけは、ひぃくんに甘えさせて貰おう。

今日だけ……。
今だけだから……

 そう心の中で呟いた私は、ひぃくんの心地良いぬくもりに包まれて安堵すると、ゆっくりと意識を手放していったーー。



君はやっぱりヒーローでした

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