翌朝、女神の皇子が深い眠りから覚めると、そこにいたのは彼女としては非常にラフな格好をしているファノンの姿があった。
 ドレス姿とボンテージ姿、そしてスーツ姿の彼女しか見たことがないエリオットは不思議そうな表情を浮かべている。
 そこでファノンが彼にもラフな格好をするように促した。

ファノン・エクレール

起きなさい。エリオット。もう既に十時よ?朝の?今日はあなたを大事な場所へ連れて行く予定になっているの。みんなも待っているわ

エリオット・アルテミス

みんな?

ファノン・エクレール

さっさと支度するのよ?

エリオット・アルテミス

眠れたのか?

ファノン・エクレール

五時間程ね。でも充分な睡眠時間だから大丈夫。早くしてね?一時間後には出発よ?このフェニキア王国の神聖な森へ

エリオット・アルテミス

……。ああ。わかった

 そうやってカジュアルファッションに着替えたファノンとエリオット。
 外には、アネット、そして従弟のアズラエルと妹のアリエルが待っていた。
 アズラエルが目を輝かせてファノンのカジュアルファッションを手放しで褒めた。

アズラエル

綺麗です!ファノンお姉さま!

ファノン・エクレール

もう、アズラエルだけでいいと言ったのに

アズラエル

妹がそこの”女神の皇子”に無礼な言葉を吐いたので、謝らせようと思ってね。アリエル。彼に謝罪するんだ

アリエル・エクレール

ごめんなさい!おじさま!この前はとんだ無礼を。こんなに綺麗なおじさまが”女神の皇子”と聞いて、つい舞い上がってしまって…

アネット・エクレール

”つい”で強姦未遂ですか?

 アネットがそこで棘のある言い方をして、アリエルを睨みつける。そこでまたアリエルは軽率な発言をした。

アリエル・エクレール

だって!エクレールの女と”女神の皇子”は世界で一番、身体の相性がいいのよ!?世界で一番!!

 そこにアズラエルのグーパンチがアリエルに飛んでくる。そして、ファノンとエリオット引き離そうと企むアズラエルは怒鳴った。

アズラエル

お前のせいで、ファノンお姉さまと”女神の皇子”を引き離す計画が水の泡じゃないか!!

アリエル・エクレール

いたいよ~。お兄ちゃん~!!

エリオット・アルテミス

あ~あ。何やっているんだか…

 呆れてその光景を見るエリオット。癖のように腕を組んで、彼もまた軽装な格好で姿を見せている。
 ファノンは”いつものことだから、放っておきなさい”と言って、そして彼に意味深な台詞を言う。

ファノン・エクレール

とりあえず、彼らは証人というだけで連れてきたの。これから行く場所の説明とあなたに話す情報が真実かどうか、ね?

エリオット・アルテミス

どこに向かうつもりだ?

ファノン・エクレール

あなたも一度くらいは聴いたことがあるはずの森…”女神の森”よ

エリオット・アルテミス

”女神の森”

 そうして一行は、深い森に覆われた木々が立つ神聖な森の山道を歩いた。小鳥がさえずり、新緑の葉がさざ波のように聴こえ、心が休まり、そしていかにも”神”が存在するような神聖な森の聖域だった。
 エリオットからすれば、何だか懐かしい気持ちが湧いてくる。それにこの森の自生する木や植物なども全て彼は記憶の底に確かに見た憶えがあるものばかりの植物が生えている。
 ここは……!!

エリオット・アルテミス

薬草ばかりの森……!!あの伝説の”女神の森”ってここのことを示していたのか

ファノン・エクレール

そろそろ神殿の敷地に入るわ。神殿は改めて建て直したけど、中に祀られているものは、当時からそのまま厳重に保管されているものをそのまま中に置いてあるわ

アズラエル

この神殿が”女神の皇子”の一族が守っていた神殿だ

エリオット・アルテミス

ここが…?

 その神殿には両方の脇には松明が焚かれ、赤い炎を燃やしている。神聖な森に隠されるように建つ”女神の皇子”ゆかりの地。一体中には何があるんだろう?
 彼らは神殿内に入ると、そこには、弓矢を引く凛々しい処女神の姿の彫像が置かれていた。
 そこで代表で、アネットがここで重要な伝説を語り始める。

アネット・エクレール

王立大学の研究が正しければ、この彫像はおよそ700年前から存在するようです。女神とはここでは、月の女神・アルテミスを示しています。正しくは祀っていると表現した方がいいかも知れませんね

アネット・エクレール

月の女神・アルテミスは、妊娠と出産と妊婦を守る処女神。そして昔から豊穣を司る女神でもあります。ご覧の通り、弓の名手で狩りの名手だったオリオンと恋仲になったのは有名な神話です。その血族がアルテミス家というルーツがあります

アネット・エクレール

アルテミス家はその月の女神・アルテミス祀り祭事を取り仕切り、代々、薬草医学で持って我々エクレール家を守ってきた一族。そしてその医学でエクレール家を導いた一族なのです。ですが…

アネット・エクレール

約100年前に起こった戦争で、”女神の皇子”は息子を連れだして、突如として姿を消して消息不明になってしまいました。原因は不明です。その”女神の皇子”の名前はミカエル

 そこで彼が思いだした。自分の先祖の名前が確か、ミカエルという名前だったのを。

エリオット・アルテミス

ミカエルは確かに先祖でいたよ

アネット・エクレール

そして一緒に連れられた息子が、ガブリエル

エリオット・アルテミス

ガブリエルは、確か、俺の祖父の名前だ!今はとうになくなっているけど

アネット・エクレール

そして次の息子がラファエル。あなた様の父親。”女神の皇子”の一族は天使に由来する名前を授けられた、完全男系の一族です

 驚きのあまり彼は瞳を見開いた。彼女は続ける。

アネット・エクレール

父から息子へ。代々、一子相伝で相続されるある”秘宝”があるらしいのです。何でも、女性にはけして伝えてはならない”秘宝”らしいです

 そこで彼が小さい子供の頃に父親からよく聞かされていた話を思いだした。

いいか?エリオット。この詩は女に伝えてはダメだ。文字に書き起こしてもダメだ。自分の息子に伝えていくものだ

エリオット・アルテミス

あれは、そういう意味だったのか

アネット・エクレール

何か思い当たるものがある様子ですね?

エリオット・アルテミス

そんな、あれはただの子守唄みたいなものだと…!

ファノン・エクレール

なるほど。口伝ね。通りでいくら探し回っても見つからないはずだわ

エリオット・アルテミス

でも、当たり障りのない”詩”だからな

アネット・エクレール

この世界にも、実は似たような集落があります。カバラと呼ばれるのも男系のみに伝えられる一子相伝の口伝です。あり得ない話ではないですよ。でも思っていた以上に豊穣で独自の文化を持っていた様子らしいですね

アネット・エクレール

その血脈はしっかりとあなたに受け継がれていたんです

エリオット・アルテミス

で、その”女神の皇子”のルーツが判ったけど、それと君たちと何の関係があるんだ?何で俺がこのフェニキア王国の女王を選ばなければならない

ファノン・エクレール

それは重々、承知しているの。これはエクレール家の問題だから。だけど、先代とは言え当主…お祖母様の命令には絶対に従う必要があるの

ファノン・エクレール

私達の祖母に遺言を遺されたの

祖母

”女神の皇子”を虜にした女性が、次のフェニキア王国の女王となる

ファノン・エクレール

と。そうでなければ誰もこんな面倒くさいことはしないわ

ファノン・エクレール

ついでに言うと、女王候補は、私とアリエルとそれからここにはいないけど、もう一人の従姉妹がいるわ

 更にファノンは彼の紫水晶の瞳を睨みつけるように決断をする時間の猶予を教える。

ファノン・エクレール

期限は祖母の三回忌までに。一度、女王に選んだら変更は効かないわ

エリオット・アルテミス

その女王となる人と結婚しなければならないのか?

アネット・エクレール

先代はこうも仰っていました

祖母

”女神の皇子”の血を取り戻せ

アネット・エクレール

とも。その言葉を素直に解釈するなら、そういうことになりますね

アネット・エクレール

女神の皇子の一族は、”結婚”についてはこの世界・ヘスティアでは、私達が持っている”常識”とは逸脱し過ぎていて、説明は難しいです。この言葉は、要は”女神の皇子と結婚をして子孫を残して欲しいというとも取れるのです

エリオット・アルテミス

ということは既にファノンと入籍してしまっている俺がいるから、彼女が女王ということになるのでは?

アネット・エクレール

いいえ。それはあくまで”書類”での契約での話です。”女神の皇子”の口から彼女を選ぶということを正式な場で宣言がされなければ、正式な女王となれません

エリオット・アルテミス

正式な場とは?

アネット・エクレール

親族が一堂に会する会議です

アズラエル

そう。だから、ファノンお姉さまの結婚は勇み足だったんだな

ファノン・エクレール

そんな細かいこと知ったことじゃないわ。ババアの遺言だけでも十分腹が立つのに。それにこの私がわざわざ”選ばれる”為にその男に媚びろというの?冗談じゃないわ

エリオット・アルテミス

……!!

 その言葉を聞くエリオットはムッとした憮然とした表情を浮かべて、思わず睨みつける。そして”最悪の事態”のことを質問してみた。

エリオット・アルテミス

もし俺が誰にも”選ばなかった”らどうなるのかな?

ファノン・エクレール

女王に選ばれるものがいなかった場合は、このフェニキア王国はおしまいでしょうね。あなたも知っているでしょう?このフェニキア王国があるからこそ王立大学が存在すること。それだけではないわ。政治、経済活動、土地、すべての権限をフェニキア王国の女王が握っていることも。誰も選ばないなんて言ったらヘスティアも大混乱よ。あなたの選択にはヘスティアの命運を握っていると言っても過言ではないのよ

ファノン・エクレール

あなたがもし女王になるべき女性を選ばないなら、このヘスティアも大きく変化する。だから、あなたが選ぶこれからの女王にこれからの世界が託されている

アズラエル

怖くなって逃げ出すなよ?言っておくが、エクレール家のアンダーグラウンドを舐めるなよ?あんたが誰も選ばないと言ったら、この俺があんたを監禁してでも、無理矢理にでも選ばせるさ

エリオット・アルテミス

……!!

 だが、ここで彼は何かが抜け落ちていることに気付いた。何故、彼女らの母親や父親の世代が抜け落ちているのだろうか?と。

エリオット・アルテミス

でも、おかしいな。何故、ファノンの親の世代が抜け落ちているのだろうか?それにアネットも候補から外されて?

ファノン・エクレール

私達の親はいろいろ不幸が立て続けに続いたからよ…

アネット・エクレール

私は最初から、辞退しております

 彼女らはそこで重苦しい空気を出していた。あまり触れて欲しい事柄ではないそうだ。彼女らは一様に顔を背けたり、瞳を閉じたりして、重苦しい沈黙がしばし流れた。
 ファノンは元の話に戻り、改めて”女神の皇子”がするべきことを言葉にする。

ファノン・エクレール

とにかく、あなたは選ばなければならない。さっきの三人のエクレール家の女性から、次のフェニキア王国の女王を

 そうして、夜になり、彼らはエクレール家の”背徳の宮殿”に戻った。
 アリエルは山道を歩いたせいで、足にまめをこさえてしまった様子で、痛みを訴えていた。

アリエル・エクレール

足に豆が出来てる~。山道を歩いたからよね~。どうしたの?アズラエル兄様?

アズラエル

何故、ファノンお姉さまは、あんな大事な話を、”女神の皇子”当人に話したのかな?本人に隠しておいた方がいい本当の話をしたのかな?

アリエル・エクレール

私達に半端にばれてしまったからしたのではなくて?

アズラエル

結局のところ、この権力争いの争点の中心で鍵を握るのはあの”女神の皇子”という部外者なんだよ?一番、権力を握っている、いや掌握していると表現してもいい。力ずくで選ばせようとしたファノンお姉さまが一番不利になる状況だ

アリエル・エクレール

だから~、”もうこの男は、自分の美貌とセックスでメロメロだから、大丈夫~!”って思ったからでしょ?

アズラエル

それだけが目当ての男なら、余計、話すわけがないよ。アリエル。紳士の扱いと美貌でいえば、あの人の方が遥かに上回るんだぞ?今、この状況で一番有利なのは、あの美貌の遺伝子学の権威よ

 そのこの異世界ヘスティアの命運を握っているとまで言われた”女神の皇子”であるエリオット・アルテミスは、頭を混乱させていた。

エリオット・アルテミス

このフェニキア王国の、ヘスティアの命運を俺が握っているだと?何て、重大な決断をよりにもよって俺の代で巡ってくるんだ?ファノンはどうにかして女王になると息巻いているし、頭が混乱してきたな。どうする?一旦、身を隠すか?これは冷静な対応が求められる問題だ

 幸いにも、向こうから換金できる宝石とかは貰えたし、食料も確保はできる。とりあえずビジネスホテルで数日泊まるだけの金額にはなるだろう。
 しかし、堂々とこの”背徳の宮殿”からは逃げられるとは思えない。確か、どこかに裏口があったはずだな。少なくとも祖母に危害を加えるような人間たちではないこともわかった。
 俺がいる場所は二階だから、下手に降りると怪我をしかねない。
 とりあえず、まずは身を隠すことにしよう……!

エリオット・アルテミス

いっそのこと、飛び降りるか?部屋の外には誰かがいそうだ

 彼が調教の時に身体を縛られた縄があるのを見つけた彼は、それで二階から脱出することにしようとしたが……重さに耐えられないでその縄はブチッと切れる音がした。

エリオット・アルテミス

しまった!!

 二階から落ちたエリオット。だが、地面に当たる前に魔法でその身体が浮かんでいるのを彼は驚いた。そしてそこで色香を漂わせる女性の声が優雅に響いた。

スカーレット・エクレール

まさか…空から降ってくるなんて、当代の”女神の皇子”は本当に月に住んでいるのかしら…?

 アズラエルがその者の噂を続けていた。その色香に満ちた妖艶な女性のことを。

アズラエル

ファノンお姉さまが最も恐れている女性……スカーレット・エクレール

 彼の紫水晶の瞳に映ったのは、まるで月の女神・アルテミスのようにも見えた。彼女はそのスカーレット・エクレールだった。

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