一旦、冷静に判断をするために”背徳の宮殿”の二階から、調教で使われた縄を再利用して脱出を試みた、エリオット・アルテミス。
 だが、下に降りている途中で、その縄が切れ彼は地面に落ちそうになったが、地面に叩きつけられる前に彼は、魔法の力で空中にその身体が浮いている。
 夜空には丁度、三日月が輝く。その三日月に照らされてその夜に姿を見せたのは、エリオット・アルテミスから見ると、まるでその月の女神・アルテミスに見えた。
 気高い綺麗な黄金色の髪。そして、妖しいまでに真っ赤な瞳。まるでその瞳は、ルビーのようにも見える。意志が強く、自立した大人の女性を感じさせる、しっかりとした表情の美女だった。
 彼は思わず、こう思った。

エリオット・アルテミス

月の女神・アルテミス…?

 やがて、その女性はこう言葉を出し、優しく地面に着地させた。

スカーレット・エクレール

お怪我はございませんか?月の皇子様?

エリオット・アルテミス

き、君は…?

スカーレット・エクレール

まさか…空から降りてくるなんて…当代の”女神の皇子”は本当に月に住んでいらっしゃるのかと思いましたわ

 そう囁いて、彼女は彼をそっと着地させる。彼は思わずため息をついた。
 その外の騒ぎに、ファノンやアネットが気付いて思わず、”背徳の宮殿”の外へ出る。アリエルやアズラエルも同様に。
 そうして彼女らが出ると、思わずファノンはそのエリオットを助けたその女性の名前を呼んだ。

ファノン・エクレール

スカーレット・エクレール

スカーレット・エクレール

お元気そうね?ファノン?そして……アネット

アネット・エクレール

スカーレット様。どうして、ここに?

スカーレット・エクレール

月から滑り落ちた皇子様をお助けしたのよ?

エリオット・アルテミス

スカーレット・エクレール…!?あの遺伝子学の権威?

スカーレット・エクレール

ごきげんよう?エリオット・アルテミスさん

 とにもかくにも、城内はここで一気に色めきだった。女性メイドたちは一様に浮足だっていた。
 スカーレットの美貌はこの”背徳の宮殿”でも話題になっている。皆、一様に慌てて、彼女の為に色々用意させた。

ライア

誰か!今すぐ、活きのいいマグロを買ってきて!

メイド3

こ、こんなメイクでいいのかしら!?

メイド2

私、スカーレット様のご洋服をお選びしたい!!

 この騒ぎに彼、エリオットも思わず呟いた。特徴的な紫水晶の瞳を少し見開いて、茫然としてしまった。

エリオット・アルテミス

これはまた。凄い浮足だっているなあ…。まあ、相手が相手だものな

 と、改めて彼女…スカーレット・エクレールを遠巻きに見つめた。エリオットからすれば、まさかここであの遺伝子学の権威に逢うとは思ってなかった。しかも、今の自分はそのエクレール家の権力争いである、フェニキア王国の女王を選ぶ立場としてこの場にいる。
 ファノンが不機嫌そうに呟いた、”ここにはいないもう一人のエクレール家の女性”が、まさか自分の知り合いとは思わなかった。
 そのスカーレットは、品の良い緋色のドレスを着て、その美しい容姿を見せて、先程漁港に水揚げされたばかりのマグロのカルパッチョを食している。付け合わせにバーニャカウダを食べて。
 独特の髪の毛のまとめ方だった。黄金色の髪の毛が片方の耳の方に寄せられて、その両方の耳にはピアスをしている。その唇も艶があり非常に魅惑的な深い紅の口紅がひかれている。
 食事姿も非常に品が良い。まさに洗練されたセレブみたいな食事姿だった。きちんと最後に、ナプキンで唇を拭くと、彼女は独特の色香に満ちた声でこのマグロのカルパッチョに対して評価をした。

スカーレット・エクレール

ライアさんの作るマグロのカルパッチョとバーニャカウダは、レストランが出すものより美味しいわ

ライア

ありがとうございます。スカーレット様

 それにしても、いつ見ても彼女には”華”があると彼は思う。場の雰囲気を独占してしまう存在感は見事としか形容しようがない。
 やがて、彼女は自分に対して、改めて自己紹介をしてくれた。軽く握手をしながら、礼をする。

スカーレット・エクレール

お久しぶりですね。エリオット・アルテミスさん。改めて、自己紹介するわ。スカーレット・エクレールよ。ファノンとは二歳上の従姉妹でご存知のように、エウロペ大学で遺伝子工学を専門に研究しているわ。よろしく

エリオット・アルテミス

遺伝子学会では有名な権威の女性ですよね。こんなところでお会いできるとは思っても見ませんでした

スカーレット・エクレール

そうですね

アリエル・エクレール

スカーレットお姉さま

スカーレット・エクレール

あら?アズラエルに、アリエルじゃない?

アズラエル

お久しぶりです。スカーレット姉さま

スカーレット・エクレール

本当にお久しぶり。で、アリエル?”女神の皇子”の彼に大変な無礼を働いたのですって?

アリエル・エクレール

きちんと謝罪しました!スカーレットお姉さま

スカーレット・エクレール

本当。相変わらず、軽率な性格はそのままねえ。あ、そうそう。あの皇子様?採血を頼めますか?

エリオット・アルテミス

さ、採血?!

スカーレット・エクレール

以前から、気になっていたのです。”女神の皇子”は遺伝子学的に、特異な体質なのではと思って…

 と、そこに、ファノンの不機嫌な冷酷な声が城内に響いた。

ファノン・エクレール

私の居城を溜まり場にするのは止していただけないかしら?たちの悪い冗談をこんなところで聞きたくないの

スカーレット・エクレール

こんばんは。ファノン?真夜中に宮殿にお邪魔して悪いわね?もう一つの宮殿にいたら、永遠にあなたに会えずじまいかと思っていたわ

ファノン・エクレール

私があなたを避けていると、でも?心外ですわね

スカーレット・エクレール

後ろめたいことなど、何にもないような口ぶりね?この方は遺伝子学会期待の学者なのよ?それを無理矢理誘拐して、無理矢理、自分の夫にしておいて。あなたがそんなに女王になりたいのなら、私は辞退してもいいのよ?アリエルと二人で争えばいいこと。悪いけど私はまだまだ研究したいことが山積みなのよ?そんなフェニキア王国の女王なんて面倒な役割なんてまっぴらよ

ファノン・エクレール

私があなたを避けているだとしたら、あなたのその高慢な言い回しを聴きたくなかったからですわ

 その言い争いに、一気に城内は慄然となり、一斉に皆が身を引いている様子だった。アリエルも、アズラエルも、慄然としている。
 その空気を察知した二人は、その場で切り上げて後は別室で話すことにした。

ファノン・エクレール

後の話は別室でいたしましょう

スカーレット・エクレール

そうね

ファノン・エクレール

あなた達もよ?

アズラエル

わ、わかったよ。ファノンお姉さま

アリエル・エクレール

は、はい…

 ファノンがその場から去ろうとしている。
 彼女に付き従ってきたアネットはそこで、スカーレットに礼をした。

アネット・エクレール

お久しぶりです。スカーレット様

スカーレット・エクレール

少し、痩せたかしら?アネット?以前のように”姉さま”とは呼んでくれないのかしら?あなたにそう呼ばれるのが好きだったのよ?

ファノン・エクレール

スカーレットさん。”それ”にも構わないでください

スカーレット・エクレール

はいはい。相変わらず、お堅い女性ね

 ファノンはまた、あの冷酷な女性に戻ってしまった様子だ。表情は非常に厳しい。それも、スカーレットを見た途端にだ。一体彼女ら姉妹達には何が隠されているのだろうか?
 そこで、彼女がエリオットに質問をする。

ファノン・エクレール

さっきは外で何をしていたのかしら?

エリオット・アルテミス

そ、それは……

ファノン・エクレール

逃げるつもりだったのかしら?あなたの祖母を預かっていることを忘れたわけではないでしょう?

 その冷酷な言葉を聞いたエリオット・アルテミスは思わず、彼女に脅迫めいた言葉を吐いてしまう。顔を怒りで表情を歪ませながら。

エリオット・アルテミス

俺の身内に何か変なことをしたら、貴様のことは選ばないからな!

ファノン・エクレール

さぞや、気分がいいでしょうねえ。今まで下僕だったあなたが、今では最高の”権力”を握っているのだから。形勢逆転ね

エリオット・アルテミス

別にそんな意味で言ったのでは

ファノン・エクレール

それが、当然の反応でしょう?”権力”を持った人間の

エリオット・アルテミス

ファノン!

 彼女はバタン!と怒りでドアに八つ当たりするように、乱暴に部屋から退室していった。

エリオット・アルテミス

権力を持った人間の当然の反応…か

 ファノン・エクレールは自分に言った。”女王になることが出来ない人生に私の存在価値などない”と。なら、彼女はあの”女神の森”へ自分を導いてわざわざ自分に不利な状況にしようとしたのだろうか?
 それに、このスカーレット・エクレールの合流のタイミングの良さ。前からこのことを知っていたとしか思えない程のタイミングで姿を現した。
 ファノンは一体、何を自分に伝えようと思っているのだろうか?
 気になって向かった先は、既に女王候補から辞退を申し上げている、アネット・エクレールの下へだった。気がついたら、彼女に何かを相談している自分が、そこにはいた。

アネット・エクレール

”女神の森”へ?

エリオット・アルテミス

ああ。あそこはなかなか珍しい薬草が自生している様子だから、一回、じっくりと調査をしてみたいと思ってな

エリオット・アルテミス

それに、少なくとも”女神の森”なら大自然に囲まれる分、冷静に決断も出来るかも知れない……

アネット・エクレール

わかりました。私もお供しますわ。夜が明けたら、”女神の森”へ行きましょう

エリオット・アルテミス

一人で大丈夫だよ

アネット・エクレール

でも、帰り道はわかるのですか?

エリオット・アルテミス

うっ…それは…

アネット・エクレール

帰り道がわからない方を”女神の森”へ一人で行かせるなんて真似は私には出来ません。それに…随分とさっきは遠出をするような出で立ちだったですし

エリオット・アルテミス

なかなか、鋭いね。君

 エリオット・アルテミスは的確に急所を突くようなアネットの言葉にただただ苦笑するしかなかった。

アネット・エクレール

あなたの行動力にはいつも驚きます。でも、何でもかんでも、一人でしようというのは勘弁してください。あなたの身に何かが起こってはそれこそ、遅いのですから

エリオット・アルテミス

わかった。今夜はもう真夜中だから、寝よう。夜が明けたら、一緒に”女神の森”へ同行をお願いするよ

 そして、彼もまた自室に戻り、そしてため息混じりにベッドに横になり、考えに耽った。そして徐々に意識を深い眠りへ落としていく。

エリオット・アルテミス

やはり、この”背徳の宮殿”には誰にも信じられる者など誰もいない……

 翌朝。十時。アネット・エクレールとエリオット・アルテミスは共に”女神の森”へその足を踏み入れた。薬草ばかりが自生する聖なる木々の聖域。まるでここは、自分の母が、父が、見守っているようにも感じる。それ程までにエリオットにとっては心が休まる聖域だった。
 緑恵み溢れる木々の聖域を歩くエリオット。彼の頭の中は混乱している。

エリオット・アルテミス

フェニキア王国の先代の女王が、”女神の皇子”が選んだ女性が次のフェニキア王国の女王とするという遺言をした。俺はその選ぶ立場の人間で、女王となる女を選んで結婚しなければならないらしい。おいおい。見ず知らずの他人に自分の妻となる候補を限定されるなんて冗談じゃない。だが、ここからは逃げられないし……

 そこで、その女王候補と言われたエクレール家の女性について冷静に考えてみる。

エリオット・アルテミス

ファノンは”絶対に女王になる”と言い自分を誘拐強姦をした女。アリエルはあの調子ではただ単純に俺とセックスしたいだけでこの国ことはあんまり考えていない様子だ。スカーレットはエウロペ大学の遺伝子学の権威の女性でこの中では一番信頼が置けるが、外見に惑わされてはいけないのは実証済みだ。三人とも見事な位のアクの強さだね……

エリオット・アルテミス

アネット。その君たちの祖母となる人物とやらの三回忌まで、どれくらいの時間がある?

アネット・エクレール

まだ一年もありますから、そんなに焦る問題でもないと思います

エリオット・アルテミス

一年?この”背徳の宮殿”に一年間も幽閉されなければならないというのか!?

アネット・エクレール

その前に女王を決めてしまえば、決着はつきますけどね

アネット・エクレール

大丈夫です

 そこで、アネット・エクレールは彼に、こう言葉をかけた。

アネット・エクレール

エリオット様の心のまま、心の中で判断したことが”正解”なのです

エリオット・アルテミス

心…。俺の”心”……

 と。そこに、あの遺伝子学の権威の女性が、彼女としたら珍しい軽装な格好でこの”女神の森”へ姿を見せてきた。
 少し、慌てた様子で後を追ってきた様子だった。
 そして彼女の口から、徐々にこの歪んだエクレール家のヴェールが少しずつ、明らかになっていく。

2-5 もう一人のエクレール

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