「ハル……、次で最後。
お別れです」

エノク

私の経験の全てを出します。
結果がどうなろうと、、
後悔をするつもりはありません。

 『翼盾の構え』から繰り出される攻撃は、数多くのパターンがある。故に経験が深ければ深いほどバリエーションが増えると言っていい。


 正伝剣術は長年先人達が積み上げてきた技術。多くの研鑽と犠牲があり現在の姿がある。どのような状況下においても対応しうる汎用性と深さを併せ持っている。


 何年間も冒険者として生きてきたエノクの剣術も、幾多の技によって支えられていた。別れと語る最後の攻撃は、ハルやメナの予想を大きく越えてくるに違いない。

エノク

ハルには剣術の素質
――と言いましょうか、
他の者が持ち得ない何かがある。
そんな気がしました。

エノク

私の力は凡人の
延長線上にあるもの。
うまく言えませんが、
あなたには凡人が
いくら努力しても学べない
何かがあるような気がして
ならないのです。

※第二話を閲覧できます

 シーベルトで別れる間際のエノクの言葉。

 嬉しかったに違いないが、大して意識しなかったその言葉が、声が、ハルの中心にある何かに触れて溶けていった。

メナ

ハルッ!!

 エノクが繰り出した高速の剣撃を受けて、ハルは後方に飛ばされる。

 エノクの繰り出した攻撃は、変則的なものではなく基本とされる技。ただ洗練された速さであり、真剣勝負の鋭さを秘めていた。

…………

 ハルをまっすぐ見下ろすエノクの手には、まだ『桐綱』が鈍い光を放っている。もう殆ど見えなくなった夕陽を背に、エノクは一歩詰め寄った。

メナ

これ以上は
止めて下さい!

 エノクの前に立ちはだかったのは、木剣を構えるメナだった。覚えたての防御の構えで、剣先を震わせながら、道を譲らない気迫をエノクに示した。

エノク

才能とは何なのか……。

エノク

私は迷宮に挑み
その謎を解明する夢を
持っています。
日銭を稼ぎ暮らす
冒険者を横目に
必死に腕を磨いてきました。

メナ

……エノクさん。

エノク

ですが、
迷宮で直面する現実は、
何もかも放棄して
しまいたくなるほど厳しく、
過酷で、無常なものでした。

エノク

未熟が故に
切り抜けられない状況……
あと少しでも
私に力があれば……
そんな思い苦しむ中、
ハルと出会いました。

エノク

そしてハルの中に、
才能を感じたのです。
独創的で自由な意思を持ち
新しいものを生み出す力。
自分にはないその力を。

 話の切れ目でエノクは『桐綱』を地に向け、ゆらりと構えを解いた。交戦的な雰囲気は消え、力ない視線をメナに送った。

ハル

そんな才能があるなんて
分からないっすよ。

 メナの背後で転がっていたハルが起き上がり、メナの前に進み出た。

ハル

今やれることを
全力でやる!
それしかないっす。

エノク

青臭いですね。
何も見てきてない
若人が言いそうなこと。
あなた達が挑もうとしている
迷宮はそんな考えを
飲み込んでしまうものです。

ハル

それでも進むしかないっす。
生きてる限りは。

エノク

語るだけなら簡単なのです。

ハル

エノクもこの前ここで
言ってたじゃないっすか。
前に進むことが大切って。
大変な時、
目標を見失わず前に進めるか。
それが重要だって。

エノク

!!

エノク

これは一本とられましたね。
……私の負けです。

ハル

うちの爺ちゃんの
口癖っすけど
誠に欲するものの先にしか
誠の満足はないって。
だから自分は
欲するものに
向かうしかないっす。

エノク

ゴッツ様の
仰る通りです。

 エノクの表情に明るさが戻った。
 ハルとメナにも安堵の空気が流れる。

エノク

生きている限り続ける。
何があろうと
欲するものに向かい続ける。
天賦の才があれど
継続力なくしては無駄……。

メナ

諦めずに、進み続ける……。

エノク

言葉にすると端的で、
どこかで聞いたような話ですが
これを実践するのは
非常に膨大な熱量を
必要とするでしょう。

ハル

熱量って
何っすか?

エノク

ハルが持っている
熱い想いってことです。
私にはそれが足りなかった。
才なきことを憂う間があれば
初心を忘れることを
恐れなければならなかった。

メナ

それじゃあ、
才能よりも
熱い想いの方が
重要って事ね。

ハル

おおっ、メナ。
何か良いこと言ってるっす。

エノク

そしてもう一つ。
あなたの創造的な力です。
これは確たる事実。
あなたはきっと将来
何かを切り開く人に
なるでしょう。

ハル

そういうのは
こそばゆいっすよ。

 エノクは『桐綱』を鞘に納めた。
 夕陽は完全に城壁の先にある地平線に落ち、空には星が散らばって見えだした。

エノク

だからハル。
あなたは破門です。

メナ

ええっ!!

エノク

先程、
最後と申し上げたのはこの事。
私の元で正伝剣術を習うのは
あなたの妨げになる
可能性が高い。
それにもうすぐあなたは
訓練場を出ることになります。
調度良いタイミングなのです。

メナ

…………。

ハル

あ、ああ
そういう意味っすか、
はもんって……。

 夜の涼やかな風が、ハルの気の抜けるセリフと共に吹き抜ける。土と草の自然の香りに混じり、湯の香りが風とともにした。

エノク

この訓練場を出る時は
ルーキー支援制度に従い
熟練冒険者と共に
パーティ編成をされます。
これは強制です。
一時かもしれませんが
メナさんとは袂を分かつ
事になります。

メナ

私は大丈夫だよ。
というより今迷宮に
行くことになったら、
間違いなくお荷物だもん。

ハル

う~ん。

エノク

ハル、大丈夫です。

エノク

私は今日の真剣勝負で
確信しました。
二人にはお互いを思い合う
固い絆があることを。

メナ

エェエェエニョキュさん
ななな、にゃにををぉぉ……

 先刻の夕陽に負けないくらいに顔を赤らめるメナの言葉は噛み噛みだ。

エノク

ハルは通常、
葛藤するシーンで
迷わずに刀を抜いた。
メナさんも真剣を持つ
私に恐れず
立ちふさがった。

エノク

例え居る場所が離れていても
その絆が切れるわけでは
ありません。
安心してよろしい。

メナ

はゎゎゎ~。

ハル

それなら安心っす。
安心したら
お腹減ってきたっすよ。
今日は何を食べるっすかね♪

エノク

まったく悪意なく
食事をせびるのが
上手いですね。
ま、これも一つの才能ですか。

 エノクは財布が軽くなる事を覚悟して、この夜、三人で街に食事をすることを提案した。

 ~錬章~     57、忘れてはならないこと

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