そう言うエノクの眼差しは優しかった。そして照れくさそうに言葉を続けた。
私はゴッツ様に刀を研いで貰いたく
この村に来ました。
今回、露骨にゴッツ様に拒否された
わけですが……
そう言うエノクの眼差しは優しかった。そして照れくさそうに言葉を続けた。
その弟子であるハルと交友を計り、
ゴッツ様に再度お願い申し上げたい
という下心がなかった訳でも
ありません。
視線を床に落とし照れるエノク。赤裸々に自分をさらけ出し、頬を僅かに紅潮させた。
しかしこれだけは信じて下さい。
私はハル、貴方の事が気に入りました。
それが根本にある事を信じて下さい。
強い眼差しはハルを真っ直ぐに見据えていた。
何も勘ぐってなんかいないっすよ。
ちょっと照れくさいっすけど。
それはよかった。
それにしても、
何で爺ちゃんなんすか?
鍛冶屋なんてどこにでも
居そうなもんっすけど?
ゴッツ様は稀代の鍛冶師。
現役を引退され、現在、
その名を知る者は随分と
減少したようですが……
えっ? 人違いじゃないっすか?
あの酒ばっか呑んでる爺ちゃんが
そんな有名だなんて。
間違いありません。
この刀【桐網(キリツナ)】も
ゴッツ様が打った業物(ワザモノ)。
ゴッツ様も覚えておられるはず。
確かにハルも気になっていた。エノクの持つ刀。装飾が少なく反りが浅い。それに鍔(ツバ)の形状が、爺ちゃんのよく用いる種類だ。
へぇ~、あの爺ちゃんがねぇ。
で、エノクは普段は何をしてるっすか?
城塞都市ディープスで冒険者を。
はっきり言って人に胸を張れる
職業ではありませんね。
何っすか? 冒険者って?
ああ、そうでしたか。
ディープスの遺跡の事を
ご存知ないのですね。
そうエノクは確認し、一つずつ説明を始めた。
冒険者とは
ここから西方にある大国、
城塞都市ディープスにある遺跡を
探索する者達の事です。
遺跡っすか!?
言葉だけでワクワクするっす。
正確に言うと、
その遺跡の地下にある迷宮ですね。
その迷宮を探索する者達の事です。
調子を崩さず一定のスピードで、エノクは語っていく。
おおー、迷宮!?
なんかお宝でもあるんすか?
勿論です。
私はディープスを出る前に、
それ一つで一年は生きてゆける、
そんな品物を発見し
ここにいます。
まじっすか? そんな大金?
そう、その大金の一部は、
我々の胃の中ですがね。
その冗談を受けてハルは笑う。屈託なく笑い声をあげるハルに、エノクも笑顔を返した。
そして金銭的に余裕が出来た私は、
ゴッツ様に会いに来た訳です。
自分もそのお宝見たかったっす。
ちなみに、
簡単には宝物を入手出来ません。
そりゃあ、そうっすねぇ。
ハルは、次の言葉をワクワクしながら待っている。
魔物です。
地下迷宮には魔物と呼ばれる、
異形の怪物達が居て、
迷宮に侵入する冒険者に
襲い掛かってくるのです。
魔物? 異形って……
獣とかじゃないんすか?
獣の様な形をした魔物もいます。
ですが、魔物の脅威は桁外れです。
少々腕の立つ者が挑んでも、
十中八九死体が一つ増えるだけです。
無茶苦茶危険じゃないっすか。
……命掛けって事っすね。
この村以外の事を知らないハルは息を呑んだ。にわかに信じがたい話だが、エノクは真剣そのものだ。
迷宮が発見された50年前、
遺跡から魔物があふれ、
悲惨な事態が起きたと聞きます。
『千年祭の悲劇』と呼ばれる
歴史上の事件です。
鎮圧にあたろうとした騎士団、
それに民間人も含め千人以上の命が
失われたと伝えられています。
眉にしわを寄せたエノクは、聞き入るハルに話を続ける。
現在、迷宮への入口は
厳重に管理され、
地上に魔物達が
押し寄せないように
ゲートが造られました。
それなら安心っすね。
しかし、地下迷宮と魔物の謎は
何一つ判明していません。
どこから魔物達は出現し
なぜ人を襲うのか?
誰が地下迷宮を造り、
何のために存在するのか?
疑問は尽きません。
もしかしてエノクはそれを
探る為に冒険者やってるんすか?
未熟ではありますが、
そう考えています。
エノクの答えは少し控えめな感じがした。
迷宮の謎を解明したり
重要な手掛かりを見付けた者には
富と名声が約束されています。
なんかすげぇっす。
そして魔物の討伐をすると、
国からの報酬が受け取れます。
殆どの者がこの報酬目当てです。
生きていく為の日銭を稼ぐ目的。
迷宮の謎なんて解く必要もなく、
無限に湧いてくる低級の魔物を
狩るだけで、生きていく金には
困らないからです
逆に謎が分かっちゃうと
困る人達っすね。
そうです。
しかし多くの冒険者が迷宮の謎を
解けぬまま、50年もの歳月が
経っているのです。
私は、限りある命なら、
その謎を解き、
歴史に名を残したい。
自分で何かを
切り開きたいのです。
大きな夢を語るエノクの瞳は、輝かしい光を放っていた。一度きりの人生を謳歌しようというその覇気は、小さな世界に住むハルには眩しすぎた。
ハルは将来の事を何か考えていますか?
突然の問い掛けに、ハルは押し黙ってしまった。この村で生まれ爺ちゃんに育てられ、鍛冶を叩き込まれてきた。将来自然に鍛冶屋を継いでいくのだろうと、ぼんやりと考えていた。
自分は爺ちゃんの鍛冶屋を継ぐっす。
刀大好きっすからねぇ。
やはり刀が好きなんですね。
ハルはやはり、
剣術を嗜まれるのですか?
いやいや、鍛冶職人は剣術
なんて身に付けないっすよ。
そうなんですか?
刀を扱う者の気持ちが解る方が
職人にとっても
良いと思うのですが。
口を開け目をパチクリさせるハル。エノクの考えは、今迄に思いもしなかった事で言葉を失っている。
私などでよろしければ
手ほどき致しましょうか?
この村に滞在している
間だけになりますが。
い、いいんすか!?
すっげぇ嬉しいっす。
やってみたいっす。
それでは善は急げと申します。
お手合わせするとしましょう。
この時、ハルは初めて剣術を習った。
鍛冶の時に掻く汗とは別物で、剣術で身体を動かす事は清々しく楽しかった。
――ハルは日が暮れても刀を振り続けた。エノクが音をあげるまでの間、ずっと無心だった。それに気付いたのは、次の日の朝だった。
五日後の朝、エノクとの別れの時がきた。
結局、ゴッツ爺はエノクの話を聞きもせず追い返した。頑固な性格がエノクにも伝わり、これ以上は迷惑だと判断したのだ。エノクはディープスに帰って、迷宮の探索を続けるらしい。
エノクやっぱり行くっすか?
折角こんな遠いところまで
来たのにもう少しだけでも……
ハル。私は無駄骨だったなんて
少しも思っていません。
道中、自分を見つめ直す事は
たくさんありました。
それにこの村では、
新しい友人も出来ました。
ハルを真っ直ぐに見つめ微笑むエノクは、握手を求めてきた。
寂しくなるっすよぉ~。
ハル、
あなたが手入れしてくれた
ゴッツ様の【桐網】、
大切に使います。
それに手入れのコツや、
様々な刀の知識、
大変為になりました。
エノク~、自分も……
村以外の世界の話や剣術の事、
全部忘れないっす。
刀は毎日振り続けるっすよ。
ええ。
ハルには剣術の素質
――といいましょうか、
他の者が持ち得ない何かがある。
そんな気がしました。
はは、何言ってんすか。
お世辞はいいっすよ。
それが本当ならあれだけ
ボコボコにされないっす。
この五日間、暇さえあれば剣術の稽古か、刀の話をしていた。木剣を使った稽古では、かなりハードな内容だったのだ。
昨日は特にですが、
つい熱が入って
しまいましたね。
お恥ずかしい。
それもハル、あなたの成長が
私をそうさせたんです。
私の力は凡人の
延長線上にあるもの。
うまく言えませんが、あなたには
凡人がいくら努力しても学べない
何かがあるような気がして
ならないのです。
褒めても何も出てこないっすよ。
それは残念です。少し期待
していましたから。
ははは。
面白いっすエノクは。
じゃあ、これ持っていくっす。
名産ジョージィ牛の
乳から作られたチーズと、
疲れた体に染み渡る上流水っす。
おおーっと、
本当に何か出てきましたね。
軽いのりで話すエノク。別れの時を、湿っぽくさせないようにしてくれているようだ。ハルにはそれが伝わってくるので、余計に胸が熱くなってきた。
ハル、本当にありがとう。
こちらこそっす。
それでは行きます。
再会を楽しみにしています。
気を付けてっす。
二人は笑顔で言葉を交わした。
小さくなっていくエノクの姿をハルはずっと眺めていた。涙が溢れそうになる。エノクが最後に言った再会を決意して、ハルは涙を堪えた。