シリル

さて諸君らも知っているとおり、グリフィンはこのインゼルの街のすぐ近く、ヴィクトル山の東側の岩場に営巣して産卵・子育てをする。
ちょうど今、産卵だな。

ヴィクトル山はこの街から一番近いところにある山だ。シャルルたちの学校の鐘楼なんかの高いところに登って北西方面を眺めれば、城壁越しにその綺麗な三角形の威容を眺めることができる。

東側のゴツゴツした岩場にはグリフィンが住み着いていて危ないが、西側には登山コースもあり、街の北門から出て登頂して帰ってくるまで大人の足でだいたい半日ほど。気軽に登れる山なので、暇をもてあました貴族さまなんかは、人の多い街での暮らしに疲れて自然を満喫したくなったときなんかに、よくヴィクトル山へ登りに行くらしい。

グリフィンの雛が孵って、親鳥たちが雛に与えるための大量の餌を取ってこなければならない季節には、登山道近辺でもグリフィンが狩りをしていて大変危険だが、今は産卵期でまだ卵は孵っていないので登山する分には問題ない。巣に近づかない限り危険はない。

シリル

その今年産まれた卵を掠め取ってやろうというのが今回の作戦だ

巣に近づかない限り危険はないんだけど、どうやら我々は巣に近づく必要があるらしい。

彼の作戦は簡単に言うと、鎧騎士が囮となって巣を守るグリフィンをおびき出し、その隙に他の人が留守になった巣から卵を盗んで走り去る。というものだった。

グリフィンは基本的につがいで交代で卵を温める。そして一方が卵を温めている間、もう一方は巣を離れて狩りをしている。つがいの片割れが狩りから戻ったら役割を交代する。この交代の間隔にはバラつきがあるが、一時間未満ということはほぼありえないらしい。

親鳥の片方が狩りに出かけて十分に遠くへ行ったのを見計らって巣に近づき、卵を温めている親鳥を怒らせて巣からおびき出せば、グリフィンの巣は留守になる。囮役が後退しながらさらに親鳥を挑発すれば、親鳥はどんどん巣から離れてしまう。親鳥が十分に巣から離れたら、仲間が卵を奪い去る。

シリル

いくら鎧があってもグリフィンの相手をするのは危険すぎると思うだろ?
そこでこれを使う

シリルは両手のひらに収まるくらいの石の小鉢をテーブルに置いた。中には固体と液体の中間のような、プルプルしたものが入っている。

コゼット

これは魔力を持つものに対して異常な粘着性を発揮する、『魔力トリモチ」と呼ばれるものです。魔術技師の教本に作り方が載っていたので私が作りました

魔術技師は魔術を組み立てて様々な機能を持つ魔術を作り出す。中にはこうして、物に魔力を込めることで便利な道具を作ることもできるのだ。プログラミングに例えるなら、さしずめ組み込み制御系プログラムと言ったところか。

シリル

そう。この『魔力トリモチ』は魔力を持ったものにしかくっつかない。だから石の鉢にはくっつかないのに、俺の手にはくっつくわけだ

シリルは魔力トリモチに人差し指でちょん、と触れた。指を上に上げるとトリモチはぐんにょりと形を変えながら持ち上がっていき、ついにはトリモチ全体が指との接点を頂点とした大きなしずく型になって、完全に石皿から浮き上がった。

シリル

このトリモチは強力で、ひとたびくっついたら最後、グリフィンと言えども容易に引き剥がすことはできない

両手でぐにぐにとトリモチを弄びながらシリルが言う。グリフィンでも引き剥がせないものがシリルの両てのひらにべったりくっついてるんですけど大丈夫だよね? 取れるんだよね?

シリル

こんな風に、容易には……
引き剥がせな……
引き……剥がせ……

シリル

うにゃあー!!

トリモチが剥がれなくなって癇癪を起こすシリル。子ゼットが慣れた手つきでトリモチの魔力を解除する。

シャルル

な、なるほど。
そのトリモチが知能の低い魔獣には有効だってことはわかったよ

「知能の低い魔獣とは誰の事かな」と、非難がましい口調でつぶやくシリル。だがシャルルは取り合わない。

シャルル

ところでシリルさんの作戦だと、囮になる鎧騎士が必要だけど、協力してくれる鎧騎士はいるの?

まさか、僕に鎧騎士の役をやれって言うんじゃないよね。シャルルの表情は、そう語っていた。

シリル

かわいいシャルル君にそんな危険なことはやらせないから安心したまえ。コゼット君に聞いたんだが、君たちの友達に、鎧騎士志望の少年がいるんだろう?

コゼット

リシャールさんです

シリル

そうそうリシャール君。
その子をだまくらかし……、もとい、危険性を実際よりもいくらか低めに誤認してもらうように誘導して、鎧騎士役を引き受けてもらおうと思っている

こいつ今だまくらかすって言いかけたぞ。
子どもを騙してグリフィンへの囮に使おうって、クズの極みかこの猫は。

シャルル

そんな!
リシャールを騙すなんてダメだよ!

シリル

なぜだい?
リシャール君が囮になって、その隙にシャルル君がグリフィンの巣から卵を取ってくる。
俺に全く危険が及ばない素晴らしい作戦じゃないか

シリル氏にとっては素晴らしいかもしれないが、シャルル&俺とリシャールにとっては少しも素晴らしくないぞ。

コゼット

シャルルさんは、この程度のクエストでも怖気づいてしまうんですか?

わざとシャルルの自尊心を逆なでするような言葉で、コゼットが尋ねる。コゼットならこのふざけた作戦に反対してくれそうなものだが、どういうわけか彼女は乗り気みたいなので困ってしまう。

シャルル

お……怖気づいてなんてないよ。
ただ、僕じゃなくてリシャールが……
そう、あくまでリシャールのためを思うと、危険すぎるかなーって……

コゼットの手前、怖いとか口が裂けても言えないシャルル。すると、コゼットは「わかりました」と改まった口調で言った。

コゼット

では……
リシャールさんを巻き込まない形に作戦を修正すれば、シャルルさんは参加していただけるわけですね?

やばい。これ絶対シャルルが鎧騎士役をやる羽目になるフラグだ。
そう思った俺は、シャルルの身体を乗っ取ってでも作戦への参加を拒否しようとした。

だが上手くいかなかった。俺は以前は基本的にシャルルの身体をいつでも乗っ取ることができていたのだが、シャルルの人格が成熟し始めるとともに、シャルルが本気で抵抗すると乗っ取りに時間がかかるようになり始めたのだ。
同じ体内にある二つの人格は、双方の精神的な強さによって優劣があるようで、以前はシャルルに対して俺の人格が圧倒的に優位だったのが、最近ではそこまで差がなくなってきているようだ。

そんなこんなで、俺がシャルルの身体を乗っ取るのにてこずっている間に、シャルルは作戦への参加を了承してしまっていた。

シャルル

う……、うん。
り、リシャールが危険な目に合わないなら、反対する理由なんてどこにも……ないよ

シャルルも、おそらく自分が囮役をやるんだろうな、という予感を感じながら、恐る恐るそう言った。

コゼット

じゃあ決まりですね。
リシャールさんの代わりに、シリルさんに囮になってもらいましょう

シリル

は?

急に水を向けられて、シリルはきょとんとした表情をみせた。

コゼット

他に囮役ができる人がいないので、しょうがないです。私は重い鎧など着られませんし、後方から作戦領域に目を配って、何かトラブルがあれば魔術で支援しなければなりません

コゼット

でも後方支援は一人いれば十分ですから、シリルさんは余ることになります。囮役をやることが可能です

コゼットは落ち着きはらってテーブルの上の紅茶を一口飲んでから、シリルをまっすぐに見つめた。

コゼット

もちろんやってくれますよね。
それともまさか、自分でできないほど危険な役目を、子どもであるリシャールさんにやらせようとしていたのですか?

シリル

ぐ……

さっきまで余裕しゃくしゃくで作戦を説明していたお調子者の猫は、コゼットに完全に追い詰められていた。

コゼット

リシャールさんが囮役をできないのなら、この作戦は廃案です。また別の作戦を考えましょう

コゼットにしてみれば、そもそも危険なこの作戦、廃案になるならそれはそれで願ったりかなったりなのだ。

コゼット

ですが、もしもシリルさんもシャルルさんもそれぞれの役目を引き受けてくれるのなら、私は支援役として、責任を持ってお二方の安全を守ります

一方で彼女は、自分の実験を先へ進めるためにはこの計画が成功した方が良いとも思っているのだろう。だからやるとなれば自分も作戦の成功のために全力を尽くすつもりでいる。

コゼットがいれば、危険なこの作戦も成功しそうな気がしてきた。

シリル

わ、わかった。
囮役は私がやろう

シリルも同じ思いだったのか、ついに囮役を引き受けてくれた。

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