最初に


このお話は実話です

作中に出てくる歌詞は、バンドの方から許可を得て掲載しています

作者

もう嫌だ…………

今から2年前の2015年3月



僕は、絶望のただなかにいた。

初めてできた彼女との別れを引きずり、役者になりたくて入った学校の進級公演でうまくいかずにメンタルがへし折れ、更に高校の頃仲良くしていた後輩から一方的に突き放され、精神的に限界だった。


22年生きてきて最もしんどかった時期で

学校辞めようとも思ったし
一番死にたいって思った時期だった。

自殺する度胸もなくて睡眠薬とかには手を出さなかったが、刃物で傷つけたりはした。


自分でも分かるくらい鬱だった。

今でこそあまり言わなくなったが、学生時代はよくTwitterで愚痴や病みを吐き出してた。

むしろ、はけ口がなかったから、進級公演の時期は毎日のように吐き出してた。


その時だ。

あの人からリプをもらったのは。

心さん

誰かに裏切られるのって辛いよね。
分かるよすごく

前々から好きだったガールズバンドの方だった。

偶然Twitterでフォローされてから頻繁にリプを送ったりライヴに行ったりしていた。

たまにいいねやリプをもらうことはあっても、こうした鬱に反応してくれたことはなかった。

心さん

傷ついた心に、音楽の絆創膏貼ってあげる

あの時、一瞬だけだが心がだいぶ軽くなった。

「音楽の絆創膏」

その言葉が、本当の傷薬のように心に沁みた。

3月28日

作者

…………来ちゃった

大阪・京橋のライヴハウス。

後にファンからは「京橋の奇跡」と呼ばれるライヴに、作者も参戦していた。



待ちに待ったライヴだからといって、気持ちが晴れるわけもなく、会場(ハコ)に着いてからも顔はかなり暗かったと思う。


その時は音楽で一時的に楽しんで嫌なことを忘れようとしか思ってなかったし、なにより……

作者

ヴォーカル、どうするんだろうな……

ライヴの1週間ほど前にヴォーカルが脱退していた。

心さんから楽しみにしててと言われた矢先である。



おかげで、はじまる前から不安しかなかった。

肺に酸素が回らずに吐きそうだった。
それでも、半ば意地でバンドの出番まで耐えた。

作者

…………えっ?

心さん

……

ライヴはまさかのアコースティックだった。


そして、本来ドラムである心さんの前にマイクがあった。

胸の不安が加速度的に息を詰まらせる。

あの時の作者は、縋るような思いだった。

心さん

―――では、聴いてください

作者

……この曲

初めて聴いた時から大好きだった曲。

心さんの伝えたい思いが詰まったバラード

曲名は 「Letter bouquet」

ありがとうって伝えたい人が
私には心(ここ)にいるんです

その人がいてくれなかったら
私は今此処にはいません

人のことばかり心配して
自分のことはあとまわし
そんな私の傷口を そっとなでてくれた

人に向けられてるその優しさのベクトルを
少しだけ君に向けてごらんよって
言われてこぼれた涙さえも
かわいいねって

いつもいつでもどこからでもいい
明るい声響かせて
幸せになって そして
自分の弱さも許せる人になりますように

作者

…………っ!

どうしてだろう。

聴いてるだけで、目の奥が胸の奥が熱くなってきて

苦しい想いが昇華されていく。



もはや言葉では表現できないような感情が、体全体を包み込んでいく。

もういっぱい泣いてきたでしょ
もういっぱい辛かったでしょ
聞かなくても目を見れば分かるよって

いいよ行きな 決めた方へ
君の気持のいい方へ
誰かが君を笑ったって
ぼくは笑わないよって

作者

…………ううっ

作者

うああっ……ああっ…………

次は君が辛いとき
どんな言葉をかけてあげられるかな ぼくは
そのときのために
いつでも包み込める準備をしておくね

ほら 見て
癒えないと思ってた傷口が癒えていく
助けて辛いよってなったっていいよ
次は僕があげるよ

言葉の花束を……

作者

うああああっ…………!!

泣いた。

涙が止まらなかった。

周りの他のお客さんとか気にする余裕もないぐらい
声をあげて泣いた。

首に巻いたタオルに顔をうずめて
溜まってた辛い気持ちを全部吐き出すように

一生忘れないくらい思い切り泣いた。

ありがとう

ありがとう


ありがとう


音楽の絆創膏、受け取ったよ


ありがとう

ありがとう………


心の中で、ずっとそう言いながら。

ライヴ後に聞いた話だと、心さんは用事でハコから出る直前まで作者を心配して探してくれていたらしい。
当の本人は転換の間に探しはしたが、あとは吹っ切れて残りのライヴをひたすら楽しんでいたが。


ただ、そのライヴのおかげで作者が鬱憤を吐き出せてまたこれからを生きようと思えたのは確かだ。


その後も、学校や私生活で辛かったりストレスがたまったりすると必ずライヴに行って、その度に泣いた。
しかも、毎回同じ曲で泣いた。

心さん

辛かったらいつでも言ってきていいからね?

一度ライヴの後でそう言われたことがあった。

実際、ライヴが無かった時に何回かTwitterでメッセージをもらった。


その時にもらった言葉が、今の作者の人格や作風に影響していると断言できる。
精神的にも、あれから成長できた。

作品にメッセージを持たせようとし始めたり、Twitterでたまに書く「誰もみてないシリーズ」は、ほとんど心さんの影響だ。

学生時代にたくさん絆創膏もらったから、今度は自分が絆創膏を渡す側になろう。

辛い気持ちを少しでも軽くできる表現者になろう。




すべては、あの京橋から始まった。

心さん

傷ついた心に、音楽の絆創膏貼ってあげる

作者

……ありがとう

そう言って笑えるその日まで


僕も頑張って紡ぎ続けるよ

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