「今年いっぱい、生き延びたいんだ」


彼女はそう俺の隣で笑っていた。
口調は冗談交じりでも、その目に映る寂しさは隠しようがなかった。

何言ってるんだとか、大丈夫だよとか、何を言っても無意味な気がして、彼女の意志を否定する気がして

俺は、肩を抱くことしかできなかった。



そして、遂に12月31日が訪れた――――

車が走っている。

深夜帯で他に車もないからか、法定速度を度外視したスピードで、一心不乱にどこかに向かっている。

もうすぐ着くぞ、気持ち悪くないか?

…………

まだ麻酔が効いているのだろう、声をかけてもあまり反応がない。



チラリと助手席の彼女を見て、再び運転に集中する。


時間を確認する。


23:40

もうすぐだな……

目的地に着いた。

まだ意識が曖昧な彼女をおぶり、車のカギをかける。



びっくりするくらい雲一つない星空だ。

ほのかな夜風が心地よい。

ん……んぅ……

お?起きたか

…………ここは?

目的地だ。体の方はどうだ?

ん……もうすぐって感じかも

……自分で分かっちゃうものなのか?

分かっちゃうっていうか、なんとなく悟っちゃう感じかな。体がなんかフワフワして、どうしようもない位自由がきかない感じ。漠然としてるけど

そっか……話振っておいてなんだけど、あまり喋らない方がいいぞ。おとなしくしてろ

…………うん

わぁ……

来たいって言ってただろ?

夜の海。


周期的に本来ありえないはずの満月が海面を明るく照らしている。
夜が遅いのもあって、周りには人影はない。

都合よく独占できている。


両手が塞がっているために敷物を持ってこれなかったが、彼女は気にしないと言ってくれた。

覚えてくれてたんだ……

これくらいしかできないからさ

嬉しいよ。ありがとう

普段なら病院で寝たきりの彼女だ。

「こういう時」ぐらい、行きたかったところに連れて行ってあげてもいいじゃないかとも思う。



季節が真冬なのもあり、砂浜と潮風が体を冷やしてくる。

着ていたコートを脱ぎ、彼女に着せてやる。

2度目のありがとうが、くすぐったかった。

……お母さんたち、心配してないかな

きっと今日も病室で寝てると思ってるよ。お医者さんだってのんびり年越ししたいはずだしさ

いや、きっと今頃病院にもいなくなったことが広まっているだろう。


そして、彼女の両親のことだ、身が張り裂けそうなほどに心配しているに違いない。

最近のセキュリティはとんでもないのは知っている。




怒られる覚悟もできている。
殴られる覚悟もできている。






それでも、彼女を連れて来たかったのだ。

しばらく何も会話せずに二人で海を眺めている。




何か話さないといけないはずなのに、いざとなると言葉が出てこない。


でも、この沈黙は全然辛くなかった。

…………

23:57

今日は12月31日

あと3分で、今年が終わる。



もうすぐ、彼女の目標が達成される。

よかったな
君は「今年」に勝ったんだ。


そうやって伝えられる――――

…………はぁ

どうした?眠くなってきたか?

うん……そうみたい

彼女もだんだん寒くなってきたようだ。

少しでも温かくなればと優しく手を握る。



これ以上彼女の体温が逃げないように、俺の体温で少しでも温かくなってほしい。

…………っ

ダメだ。

彼女の手を握り、改めて実感する。



彼女の体はもたない。

なにせ不治の病を引きずっているのだ、長くはないとは俺も思っていたが、こんなに急に来るとは思ってもいなかった。

彼女の呼吸はとても浅い。

それでも安定しているのが尚更不気味に映った。

…………ねぇ

ん?どした?

寝る前に………してくれない?

…………あぁ

落ち着け。
初めてってわけじゃないし、周りに人がいないのも分かってる。



何も恥ずかしがる必要なんてない。

ん……

ん…………

数回唇を重ねて、離れる。


そして、彼女は頭を肩に乗せて小さく息を吐いた。



スー、スー、と、規則的な息を。

…………

もうすぐ、もうすぐなんだ。



時間が進むのが異様に遅く感じる。

頼む、どうかあと数秒でいい、彼女に生きる力を…………

…………

彼女の頭が肩から落ちた。



すぐに彼女の肩を抱いて止めると、そっと手首に触れた。




凪いでいるように静かだった。

…………今何時だ!?

腕時計を見る。

祈りながら
願いながら



00:00

…………っ

一気に力が抜けてしまった。

口から深々と息が漏れ出てくる。



優しく静かに、彼女の頭を膝にのせる。

小さな頭をそっと撫でてやる。

よくやったな……「去年」に勝てたぞ

視界が滲む。

雫がこぼれる。

彼女の頬に降りかかる。



それでも、涙は拭えない。

撫でる手を止められない。



彼女を愛しいと思える気持ちを、抑えられない。

本当に……頑張ったな…………

「今年いっぱい生き延びたいの」

彼女はそう言った。

体を蝕む病は今の医学で治すのは不可能で
余命は今年いっぱい保たないと断言されていた。


それに抗いたいと言っていた。

どうせ死ぬなら、この年より新しい年に入ってから死にたい。
そうしたら、未来を歩いていく君の少しでも近くで立ち止まれる。
この年の中で死んだら、一気に君が遠くなってしまう気がしたから。

時間が止まってほしいと思った。

そうすれば、際限なく彼女と一緒にいられる。
彼女がわざわざ抗う必要もなくなるんだ。



でも、同時に願っていた。
どうか今年が早く終わりますように。


彼女がこれ以上無理をしなくて済むように。
彼女が大好きだからこそ、苦しんでほしくなくて、ゆっくり休んでほしくて。



良かったよ。

君と一緒に新しい年を始められて。
こんな身勝手な俺を愛してくれて。


君の分まで生きるから。





だから、「今年」から俺を見守っていてほしい。

たとえ「今年」が過ぎて「去年」になって「一昨年」になって
時間が残酷に流れていったとしても




俺は、君と始められた「今年」を忘れない

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