コゼットの顔に、驚愕の表情が浮かぶ。
そしてその声は、この国の言語ではなく、懐かしい日本語を紡ぎだした。
もしかして、ま……
コゼットの顔に、驚愕の表情が浮かぶ。
そしてその声は、この国の言語ではなく、懐かしい日本語を紡ぎだした。
もうその時点で、彼女が端山さんであることは判明しているようなものだ。
ま……、ま……、間宮さん? じゃなかった。
あの、あの方ですよね?
まあ十三年も会ってなければ名前忘れちゃうよね。そんなに覚えやすい名前でもないし。
C#チームの真庭ですー。
ご無沙汰しておりますー
こんな風に、会社の同僚だった頃と全く同じノリで挨拶してる俺の方が普通じゃない。
と、とりあえず建物の中と外で長話も変ですから、そちらへ行きますね。
コゼットは一旦窓を閉めて、玄関から再び姿をあらわした。
シャルルさんの正体が真庭さんだったなんて、全然気が付きませんでしたわ。
随分と子どものふりが上手なんですね。それとも素で精神年齢が十三歳なんですか?
違うよ。
普段のシャルルは正真正銘、本物の十三歳の人格なんだよ。俺は別人格で、こんな異常事態でもない限り表には出てこない
俺はコゼットに今の、二重人格状態のことを簡単に説明した。
なんでそんな事に?
んー
話せば長いんだけど
十三年前、両親にシャルルと名づけられた赤んぼうの中で俺の意識が活動を始めた頃、俺はすぐに、シャルルの精神の中に、俺でない何かが存在する事に気付いた。
それはまだ自我を確立する前の、シャルルとしての意識の萌芽だった。かき消そうとすれば消えてしまうような、年齢相応の赤んぼうとしての人格。
俺がそれを消してしまわず、むしろそちらにシャルルの身体の主導権を預けたのは、この生まれたばかりの未熟な意識を殺してしまうようで嫌だったという以上に、もっと自分勝手な理由もあった。
簡単に言うと、赤んぼうの身体に俺の人格が宿っていることで生じる違和感を両親や周囲の人に感じさせないためなのだが、特に切実だったのが、赤んぼうと同じ速さで言葉を覚える自信がない、という点だ。
赤んぼうが驚異的なスピードで言葉を覚えていく理由は、まず第一に、親との意思疎通ができないと何もできないというのが一つ。第二に、思考するための道具としても言語が不可欠だからだ。言語を知らないと思考すること自体おぼつかないし、ある程度言葉を覚えたらそれ以降はその言葉を使って、起きている間ずっと思考し続ける。
対する俺はどうだ。身体は赤んぼうだから親の手助けなしで何もできないのは同じであるはずなのだが、大人だったころに形成されたプライドが邪魔をして、まず『自分で何とかできないだろうか』という思考が働く。普通の赤んぼうにとって当たり前の『親に助けてもらう』というのが俺にとっては最後の手段なのだ。親との意思疎通の重要性は、どうしても本当の赤んぼうにとってよりも低くなってしまう。
思考に関してもそうだ。この世界の言葉を覚えなくても、俺は日本語で思考できる。現在はほぼ完璧にこの世界の言葉を覚えたにも関わらず、今でも日本語とこの国の言語のチャンポンみたいな言語で思考している。
そんなこんなで、どうしても俺がこの国の言葉を覚える速さは本当の赤んぼうと比べると目立って遅くなる。すると、親や周囲の大人からは「発達の遅い子」と見做されてしまうのだ。
なるほど。
発達の遅い子だと思われると最悪の場合捨てられかねないですからね。
私もそれは危惧していましたから、必死で言葉を覚えましたよ
俺が搦め手で乗り切った問題を、コゼットは正攻法で突破していた。さすが端山さん。
その時急に玄関のドアが開き、建物から人影が出てきた。
コゼット君。
来たと思ったらすぐ出て行って、玄関前で誰と立ち話しているんだい?
綺麗な銀髪の、肌の浅黒い男性の猫だ。年齢は二十歳前後だろうか。薄暗い室内から明るいところに出てきたので、黒目が急激に縦に長細くなる。
この人は?
端山さ……コゼットの知り合い?
『端山さ……』までを日本語で言ってしまい、あわててこの国の言葉で問い直す。
神秘学研究所の所長をしてらっしゃるシリルさんです。
前世の記憶があるそうです
つまり、俺らと同じってこと?
それは違いますね。
彼の前世はこの国の隣のブルグニアで冒険者をしていたそうです
つまりは、俺らのような地球からこの世界への転生者ではなくて、この世界からの転生者のようだ。
細かいことはシリル氏自身が説明してくれた。
俺の前世は冒険者で、職能は魔術技師だったが、努力が嫌いでね。二十九歳になって、経験年数的には中堅の部類に入ってもレベルは一のままだった
あれー? 他人とは思えないぞー?
俺も努力嫌いで、前世では二十九歳になってもプロジェクトリーダーの経験もなく一兵卒だったぞー?
それはともかく、彼の前世は周囲からの『もう若手じゃないんだから少し高難易度のクエストを受けろ』というプレッシャーに負け、分不相応な(しかし、経験年数に対してみれば相応な)クエストを受け、魔獣に殺されてしまい、猫に転生したのだという。
転生してみて驚いたよ。
猫というやつは、特に訓練を積まなくてもネズミ程度の魔獣なら倒せるではないか
人工の魔獣である猫の生来持つ強さは、努力嫌いのシリルにとっては素晴らしい恩恵だった。
彼が猫に転生したのは、もしかしたら彼の前世の怠惰に対する罰だったのかもしれないが、彼にとってはむしろ猫のほうが性に合っていたらしい。
そこで俺は思ったのだ。もっと強い魔獣、たとえば、ヴィクトル山に住むグリフィンになることが出来れば、努力せずにもっと強くなれるのではないかとね
という事で、彼は魔術技師としての技術を使って、グリフィンになるための方法を研究し始めたのだった。
一方私は、コゼットとして転生してしばらく経って、この世界には地球にいたような猫がいないと知ったときに、ある計画を立てました
ある計画って、どんな?
大昔の魔術師たちが猫を人工魔獣にした魔術の逆作用を起こす魔術を開発し、猫を元の姿にもどす、という計画です
意外とえぐい計画たてるね端山さん。
でも、元の姿に戻したら、今の人間みたいな状態だった時の人格はどうなるの?
脳が小さくなるので、人格は保てないでしょう。そこで、あらかじめ人格は別の器に移しておく必要があります。
幸いなことに、私は転生時に、釈迦十大弟子の一人、神通第一と呼ばれた大目犍連さまより、神通力の一つ『他心智證通(たしんちしょうつう)』という、他人の精神に干渉する力を授かっています
彼女の話では、彼女の転生を担当した仏弟子の大目犍連という人が、自身の持つ六種類の神通力のうち、一つを貸し与えてくれたのだという。
大目犍連というのは、手塚治虫の『ブッダ』に出てくるモッガラーナと言えばわかる人もいるだろうか、不思議な力を持った仏弟子だ。
ただ残念なのは、力は授かったのですが、その使い方は自分で習得しなければなりません。
単純に力をぶつけるだけなら、例えばシャルルさんの身体から真庭さんの人格だけを消し飛ばすといった荒事なら簡単なのですが、人格を他の器に移すとなると技術が必要です
さらっと俺の人格を消し飛ばそうとしないでくれるかな
また、肉体を離れて別の器に移ることを了承してくれる猫も探す必要がありました。
さすがに本人の意思を無視してそんなことをするわけにはいきませんから
いや、さっき端山さんが俺のことを『消し飛ばす』って言った時、割と本気で消し飛ばしたそうに聞こえたけど。もちろん俺の意向なんか無視して。
その点で俺の存在は渡りに船だったわけだ。
俺の前世の魔術技師としての知識と経験は、猫を魔獣化した魔術の解析に多少は役立つだろうし、この肉体を離れてもっと強力な魔獣に人格を移したがっている
さらに言えば、俺が別の魔獣に乗り移るための研究を始めたのは、コゼット君が猫の人格を別の器に移す方法を探り始めたのよりも早い。
その研究においても俺は一日の長がある
えへん、とシリル氏は胸を張る。
もっとも、努力嫌いの彼が持つ『一日の長』など、努力家の端山さんならすぐに追い越してしまいそうだが。
なるほど。
持ちつ持たれつの関係ってわけだね
そうですね。
それで、ここで二人で人格を別の器に移す研究をしているのです
状況は分かった。
分かったが、何やら妙な事に巻き込まれそうな予感。
前世の知り合いである端山さんと再会できたのは嬉しいけど、強力な魔獣になりたがる猫のシリル氏は、控えめに言っても変人の部類だろう。できればあまり関わり合いたくない人種だけれど……。
多分、割とどっぷりと関わる羽目になるんだろうな、と俺は思った。
(続く)