飛騨零璽

……





 暗闇の中、人の雄たけびが聞こえた。


 零璽は弾かれるように顔を上げる。



飛騨零璽

あ……!





 真正面で、真っ赤な液体が夜空へ昇った。

 武器が、軽い音をたてて転がった。


飛騨零璽

やめ……やめてくれ……!
その人達は関係ないだろ!?





 金髪の女吸血鬼は驚いたように振り返った。そのまま、すっと町人達に背を向けてこちらへズカズカと歩み寄ってくる。


はぁ!





 近藤が吸血鬼の背へ向かって薙刀で切りかかった。
 かわしようのないその距離で、吸血鬼はくるりと振り返る。



……




 その細腕で、男の一振りを片手で受け止める。

 見て分かる、圧倒的な力量の違い。


っ!?




 掴んだ薙刀を引き寄せるように吸血鬼は腕を引いた。

 それにより、近藤はバランスを崩して二、三歩吸血鬼の元へ歩み寄る形になった。

 そして、そのまま吸血鬼の身体に覆いかぶさるように倒れこみ……――近藤の身体が大きく跳ねた。

か、はっ……!




 口から、零れ落ちる紅。



 ぞぉっと、背筋から血の気が引く。


飛騨零璽

近藤さ……!




 吸血鬼は赤に濡れた手を引き抜いた。そして、流星のように金髪をくるりと靡かせて回し蹴り。

 近藤が、血液を撒き散らしながら軽い身体がやすやすと吹っ飛んでいく。


飛騨零璽

近藤様っ!
近藤様ぁっ?!

聖人の身体は頑丈なのね。勉強になったわ





 吸血鬼は再び零璽の元へ歩み寄る。

 髪を掴み上げて、顔を上げさせる。


ゆっくり食べたかったけど、目が覚めるなんて予定外




 再び、あの冷徹な痛みが傷口を駆け上がる。

 地面から、手が開放されるなり再び軽々と肩に担ぎ上げられる。


飛騨零璽

このっ! 離せっ!!

あら。せっかくだから、貴方一人だけにしてあげるわ。

あのナヨい男も生きてるし。
私の餌になるならこの町離れても良いわ

飛騨零璽

!?





 吸血鬼はぴょんっと屋根の上に乗り上げた。

 そこに零璽をおろして、跨る。


だって、レイジ。勘違いしてるでしょ。

私、レイジの気配があるからこの町襲ったんじゃないわ。

餌場として最適な環境だっただけ。


この近くにあるカラクリ屋敷が防御、奇襲、私にとって必要な要素を完璧に揃えた根城だったからそこに一番近いこの町を襲ったのよ

飛騨零璽

なんっ……

ほら、やっぱり。

自分が居るから町が襲われてると思ったんでしょう。


どおりで国王直属の魔術師部隊みたいなのが来ないと思ったわ。

自分のせいだってバレたら、もうここには居られないものね




 そう。
 この町が、好きなんだ?

 吸血鬼が、何でもないことのように呟く。


じゃあ、私と鉢合わせたってのに、その話はサトウにしかしてなかったのね?

飛騨零璽

!!?





 ほらやっぱり、と吸血鬼は無感情に見下ろす。


もしかしたら誘拐犯を見たかもしれないとか言って、サトウ達を上手く誘導したのね

普通、魔族だって知ってたらもっといっぱい連れてくるわ。

もしくは、とっとと国のお偉いさんに報告してる。


たぶん、サトウはあの屋敷の存在を元から知ってたんでしょう?

そうじゃなければ、五人で来ないと思うのよ。


だって、昨日上空から見降ろして見た班編成は三人一組か二人一組だったもの。

たまたま辿り着いたにしては編成人数がおかしいでしょう?


レイジは私と会ったことを、今回、敵が魔族だって知ってたことを大勢に隠そうとした……――





その理由



魔族に初めて会った人間を『佐藤に挿げ替えたかった』。

そうすれば、自分を狙ってきたとは周囲に思われないようにできるんじゃないか……とか、考えたんじゃない?




 答え、られなかった。


 吸血鬼が、ばっかねぇ、と呆れたように溜息をこぼした。



んなことどうでも良いじゃないのよ。
最初に会ったんだから最初に会ったって言っちゃえば良かったのに。

ていうか、魔族ならまだしも人間を追い出すような神経してる人達だと思ってたの?


それはそれで、この町の人に失礼なんじゃない?


だって、それって……――












      心   
      の   
   こ  底   
   の  か   
  町  ら  
信  の      
  頼  人          で  間        
  き  を        な         
い         
っ         
て         
こ         
と         
で         
し         
ょ         
う         
?         













お世話になってる人達に一番失礼なんじゃないかしら。

敵対してるならまだしも、一緒に暮らして温かく迎えてもらってるのに







 ざわざわと、心の奥底に封じてきた記憶が蠢きだす。


 蓋をしてきた過去の箱。

 その中から溢れてきたのは、どす黒い紅色の水。




 優しい誰かの、身体の中を巡っていた紅い水。




 ついに、蓋が開く。

 血色の液が詰まったそこに浮かんでいたのは、










あのとき、自分を庇って

ぽーんと鞠のように飛んだ

頭だけの妹






飛騨零璽

う……――




 頭が、白く染まる。


どうする? 入るのは難しくても、出るのは簡単。

だってもう、ここに居られないでしょう?

佐藤はあっちで生きてるわ。


私の根城で侵入者排除のお仕事をお願いしてたから。

でもあの銀髪がいないから、なんとかしてるでしょう。

そうすれば、詳しい事情は聞きだされてるでしょうねぇ。



だってアイツらどう見たってイカれてるぐらい討伐慣れしてるから、不自然さに気づくわ








 だって一日よ!?

 一回会った翌日に根城までこられたのよ!?



 吸血鬼はどこか興奮気味に呟いて。



特にあの銀髪!
絶対あれは気づく!





 饒舌に、語った吸血鬼は自信満々だった。










全てが、吸血鬼の言うとおりだった。








 あの時も、そうだったから。










『美味い魔力の匂いがする』
 そう呟きながらソイツは探してきて。




『あぁ、お前だ』
 見つかった。




 きっとここが襲われたのも、自分の魔力が美味しそうだと思われたからだ。





 そう思って、でも、言い出せなかった。




 この吸血鬼の言うとおりだ。




 自分が、この町の人達を信じられなかった。

 話したらきっと、追い出される。

 流れ者の自分は、追い出される。

 どこの馬の骨とも知れない赤の他人が、血に薄汚れて生きながらえた自分が、こんなところに居るのが場違いだ。




 そんなことばかりが、頭をよぎって離れなかった。

 ずっと、そう思ってた。




 思ってたけど、ここにずっと居たかった。



 ここは本当に暖かくて、優しくて。
 そんな温もりの中に、甘んじていた。

 あの時、サトミが零璽にいったことは、まさにその通りだった。


















自分一人だけ

無様に生き残ったそのツケが

清算される時が来た。










答えなさい。レイジ。
返答次第ではその人生終わらせてあげる

飛騨零璽

……






この明るい世界で、
この優しい世界で、

もう、十分生きた。




飛騨零璽

連れてって……




 自分でも、か細い声だった。




 聞こえたのか分からないほどに、小さくて弱弱しい声だった。

 それでも、強い力に抱きかかえられて、宙へと浮かび上がった。











零璽! 零璽っ!!





 心の底から慕っていたあの人の、声が聞こえる。

 夜風に、あの人から貰った着物が靡く。


飛騨零璽

本当に、俺を食ったら町の人は襲わないですか……?





ただソレだけが、心残り


えぇ。だって、今回は完璧に私の負けだわ。

根城も突き止められた。
あそこに長居すると逆に危ない。

私、死にたくて町人襲ってるんじゃないもの。

生きるために襲ってるのよ。

ソレぐらいの分別つけられない魔族から死んでくの





私達は。



『神』に『死ね』と呪われた種族なの。

だから殺される対象なのは、当たり前





 彼女は吸血鬼と言う割りに、纏う香りは血生臭くない。

 だけれど、彼女は吸血鬼らしく、発言は血生臭い。



飛騨零璽

できれば、一思いにやってくれ……痛いのは、嫌だ

安心しなさい。人想いにやってあげる。

血液が不足するとゆっくり息を引き取れるわ。

そうやって、何人も静かに眠らせてあげた





 最後の最後に、吸血鬼に留めを差してくれと希(こいねが)うなんて馬鹿だと思う。




 でも、これで良い。

 分かってる。




 自分には、とうの昔から生きている価値などないのだから。





























あぁー。ちょろいわーコイツ。
メンタル弱すぎ。

本当に美味しいのかしら?
魔力からして美味しいってのは肌で感じて分けるけど

で、どこで死にたい?
ご要望があるなら聞いてあげるわ





 これは、気まぐれ。

 死を受け入れた者に、最後の最後、そんなささやかな願いを聞いてあげると穏やかな顔で死んでいく。


 これも、人間の愚かさ。



飛騨零璽

桜の、下

桜の下?

飛騨零璽

宿に、遅咲きの桜がある……あの下が、良い




 あぁ、あの薄紅の花が咲き誇る木の下。

 そういえば、昨日、町まで入ったときに上空から見つけた。見つけたから気になって、近くまで見に行こうとしたらあの金髪紳士と銀髪野蛮人に遭遇したのだ。



 あれだけの強者が着たからには、そろそろ王国から魔術師が派遣されるだろと思って、町人に成りすまそうと本日やってきた。

 すると町に生気が感じられない。

 ヴァンパイアは本当に焦ったのだ。



 どっかに避難しやがった。

 どこに避難した……――で、あの建物だけちゃんと生活感があるのを発見して、遠巻きから様子をしばらく伺ったら町人がすでに立て篭もっていたのだ。




 今回は本当に後手後手。




何なのかしらねぇ。あの人間達

飛騨零璽

貴方が助けを求めた外国人達よ。
ほら、金髪と銀髪と、目玉生物

飛騨零璽

……あの人は、貿易商人……と、その護衛でギルド『アメノミナカヌシ』という万屋をやっている人達だ……

ギルドって、そんな仕事する場所だったかしら?

職業の寄り合い集団のようなものだったと思うけれど……まぁ良いわ。

ギルド『アメノミナカヌシ』という集団なのね

覚えておくわ




 ヴァンパイアは、覚えのある宿屋へ直行した。

 本当なら、昨日のうちに目に焼き付けておく予定だった、あの桜の木の元へ。


pagetop