昔々、この地にある男が居ました。




 彼は死の間際、親友である男と約束したのです。




 必ず、お前の元へ行く。



 そう約束して、死にました。







 彼はとても善良で勇敢な男性でした。

 なので天国の門を潜りました。




 ですが、彼はすぐに転生したいと申し出た。

 記憶を残したまま、親友の側に行きたいと願ったのです。





 だけれど、天国の神々はそれを許すわけにはいきませんでした。

 それは、その男にだけ平等ではない扱いをすることになる。



 つまり、特別扱いをすることになる。



 困り果てた神々は、どうにか百年、彼の記憶を消そうと彼を天国に住ませました。

 しかし、彼は友人の所に今すぐいかなくてはいけないのだと、聞いてくれません。




 なので、神々は泣く泣く、勇敢で心優しいその男を、地獄へ突き落としました。


 記憶をなくさなければ、辛いのはその男だからと知っているからです。




 そこで男は拷問にかけられました。

 地獄の拷問は凄惨を極める。




 何より、ずっと与えられる苦痛で全身が引きちぎれても、その傷はたちまち治っていく。

 大概の魂は、絶望して感情を手放します。

 そうやって自我と記憶を、地獄の住人達は消し潰すのです。



 繰り返される苦痛により思考を、思想を放棄する。



 そうすることで魂達は精神の崩壊を免れようと、その苦痛が自分に与えられるのは当然だと思を受け入れさせる。



 地獄の住人達にしてみれば、いつものことでした。



 大概、三十年分やれば魂の中は空っぽになります。





 ところが、男は三十年経っても、まだ記憶を残したまま。




 なのでそれから二十年、刑期を追加しました。



 それでもまだ、友の元へ行かねばならないと記憶を残したままでした。




 なので、さらに酷い所へ放り込みました。




 阿鼻叫喚の地獄で、どんな大罪人も己の罪を泣いて詫び、助けを求める場所。





地獄の中でも最下層




 そこへ放りこみました。




 ここでしか記憶は消せないだろうと、判断したからです。

 そもそも、地獄で五十年も記憶を保持するふざけた精神力のある人間などいないのです。





 そこでも、まだ彼は十年、友を想いました。



 二十年、想いました。



 三十年、五十年……――。







 ようやく、彼は友の元へ帰るとは言い出さなくなりました。




 我々も、彼の魂が記憶がちゃんと無くなったか、確認するために話しかけます。


お前は誰だ?

答えない。



お前はどこに生まれた?

答えない。



お前は何の仕事をしていた?




口にした。





 普通なら、どんな問いかけにも答えない。

 それぐらいに記憶と自我を削り取るからだ。



 また、十年ぐらい拷問にかけて獄卒は尋ねます。

お前は誰だ?

答えない。



お前はどこに生まれた?

答えない。



お前は何の仕事をしていた?





また、

十年前と同じことを
口にした。





 また、十年ぐらい拷問にかけて、訪ねます。

 毎日尋ねると魂に記憶が逆に残ってしまうので、きっかり十年後と決められています。


お前は誰だ?

答えない。



お前はどこに生まれた?

答えない。



お前は何の仕事をしていた?





また、

二十年前と同じことを
口にした。

あの男は、仕事を尋ねるとそれだけは口にした

ライト・ネスター

何を口にしたんですか





 小笠原は、少し間をおいた。


彼の、友の名を











 ポツリと、友人の名前。

 男は、それだけは口にした。




 三十年後、四十年後、友の名だけを口にした。



 まるで、彼の側にいることが、自分の仕事であると言わんばかりに。






 そして、地獄の住人達にも変化が訪れる。

















もう俺には無理だ

誰かこいつの拷問代わってくれ







彼の拷問担当していた鬼が、

泣いた。









 泣きながら、上司に訴えた。




 もう無理だ、これ以上できない。

 訴えても、誰も代わってくれなかった。

 誰もが、この男を手にかけることを激しく拒絶した。



 もはや屍も同然なのに、

 友の存在だけは、

 彼の中から消し去ることができない




獄卒達が、この魂に

手をかけることを拒絶する。






これでは
もう仕事にならない









地獄の住人が拷問にかける仕事を放棄するなど、降格モノです。

その獄卒は、名誉ある仕事から引きずり降ろされました。

そして、その男は天国へ送り返しました






ですが、他の獄卒もまた同じでした。
二十年耐えきった魂を見ると、
かの男を思い出して




これ以上は嫌だと言い出す獄卒が現れたです




二十年ぐらい耐えきる魂は極稀にいますが
もしかしたら、あの男なのではないかと







畏れて

怯えて



仕事が手につかない




お陰で、仕事が滞ります。







そこで、

一つのお触れが出ました。



その男の魂だけ、

この地獄に出入り禁止とする






レザール

……そんなこと……

そんなことだと!? 貴様らに我々の仕事の何が分かる!!




 突然、小笠原が声を荒げた。

 彼の纏う気が瞬く間に空気を怪我して澱ませていく。


我々の仕事は魂達に次の新たな生と未来を与えるためにある、誉れ高き仕事だ!

現世の罪を清算し、新たに生きても良いと歪んだ魂達を助け、守る仕事でもある!!





 それを『そんなこと』だと!?

 鬼神は、臓物が締め上げられるような覇気を発して猛り怒る。


だったら、今から

地獄へ連れていってやる!



私が最高級の拷問をもって

貴様を魂の底から懺悔させてやろう!!



魂であろうと苦痛は顕在する!



残念ながら生きている時と
体内構造は同じだ!


血が出ないだけで

生きている時よりも

数百倍の苦痛となる!


まずは
その両手両足の
生爪全部剥がして

拷問の開始の
合図にしてやろう!!




私の拷問で
一日でも持ったら、

その発言を許してやる!!



あの男の魂をこの地で死なせないことは、現在、我が地獄でも最上級の責務だ!

 


 小笠原は、また、あの静かな口調に戻る。

あの男だけは、何があろうとこの地では死なせない。

その魂が消滅するまで絶対に、何があろうとも。

あの男の魂がこの地で死ぬことになれば、我々はそれを何があろうと阻止する。

それは例え、死する予定の無い人間を殺すことになっても



 鬼神は、呟く。

つきましては、貴方達にお願いしたいことがある。

この男の魂を、二度とこの地に入れないようにしていただきたい




 小笠原は、改めて背負ったレインフォードを背負い直す。


もしこの地でコレが死にそうになったら、我々は何がなんでも阻止するべく計略し、場合に依ればその他大多数の魂を搾取する策も弄します。

そう、そこの老魔術師。
確実にまずは貴方からいただく

ライト・ネスター

地獄のことは詳しくわかりませんが、それは理不尽なのでは?

だから、あの男をこの地に入れなければ良いだけのこと。

忠告はした






 あぁ、そうか。




 そういうことか。



 ライトは、状況をようやく理解した。





今までの昔話も。

彼の語ったことも。



すべては、このため。

ライト・ネスター

ここまで忠告したんだから、それでもこの地にレインフォード・フィリルを入れて死なせることになるなら、お前らの責任だからその魂をいただくというわけですね

そういうことです













 一方的だ。

 あんまりにも、一方的。



 自分達の私情で、他人の命は遠慮なく搾取するという悪逆非道と冷酷無慈悲な申し付けだ。


 そこまでするなんて、異常だとも思う。




 だけれど。

 そうは思うのに。







この鬼神との約束を、
何がなんでも果たしたてやりたいと
思ってしまうのは、

自分の頭がおかしくなったからだろうか。





レザール

了承いたしました

ぽつり。

 泣き崩れたのは、老魔術師・レザール。

レザール

レイン坊っちゃんは、死んでないのですね……

えぇ





 小笠原は即答した。

 そして、即座にこう返した。


ですが、魂を消滅させてでも助けられる方法をご提案させていただいた

レザール

!?




 小笠原はようやくレインフォードを静かに下ろして……――うっすらと微笑んだ。









あの男なら、

間違いなくやるでしょう






死してもなお、地獄の拷問からも耐えきって巡り会いたいと妄執した友が、あの地に居るのだから





 横たえたレインフォードの胸元から細い糸がぽぉう、と淡い光を放って伸びていた。




 それは、隠れ山道に続く階段を下りていた。




 地獄に出禁を食らった男の魂を見下ろして、鬼神は呟く。




魂ごと消えて無くなれ、渡辺彰久(わたなべあきひさ)……──





恨みとつらみをこめた音声で、

鬼神はかの男の名を呼んだ。


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