……




 覚えが無い天井を見上げていた。

 それと同時に、レザールの心配そうな顔が安堵に変わる瞬間をぼーっと眺めていた。



 レインフォードは異様にだるい身体を起こした。
 心なしか、頭も痛い。

レザール

大丈夫でございますか。

近藤様の家に到着すると同時に倒れましたが……

そう、だったか……?


 まるでそんなこと覚えていない。
 記憶が、あいまいだ。
 言われてみればそんなような気がする。



 結局、森の中を歩き回っても見つけられず朝を向かえ、近藤邸宅へ人具で飛行しながら帰ったのまでは覚えている。


 その朝日と澄み切った空気が綺麗だと思ったのを、わずかに覚えているが、それまでだった。







 あぁ……――あの人に詫びなければ。

 ヴァンパイアを、取り逃がしてしまった。


 そんなことを言ったら、零璽は呆れるだろうか。




 レインフォードは立ち上がろうとしてふらつく身体をレザールに支えてもらう。

レザール

ご無理はなさらないでください、レイン坊ちゃん

近藤氏に謝りにいかねば……――

せっかくのチャンスだったのに、ヴァンパイアを仕留め損ねた……




 あのコロコロと人を馬鹿にしたように笑うヴァンパイアの姿が脳裏にちらついた。

 無性に腹立たしかった。

 あのヴァンパイアの言うことも。
 それを取り逃した自分も。




 そんな回想を払拭するように、失礼します、と襖を開けてきたのは飛騨だった。

 彼は盆に粥を入れて持ってきてくれたようだった。


飛騨零璽

……!

……



 目が、合った。

 ガッチリと。



飛騨零璽

お体は、大丈夫ですか!?

あぁ、大事無い……



 お椀が割れ、まだ湯気の立ち上っている粥がぶちまけられる。

 ところが、飛騨はソレを片付けるどころか跨ぎ、随分焦った顔でレインフォードの元へ駆け寄ってきた。

 しかも、すっ転びそうだ。
 そんなに慌ててどうした?

飛騨零璽

いえ、魔力が大幅に減っているように思えます。

どうか、ご無理はなさらないでください。

近藤様もレインフォード様を心配してらっしゃいます

レインフォード

いやいや、お気になさらず……

飛騨零璽

近藤様を呼んで参ります。
目が覚めたら呼ぶように言われているので、しばしお待ちを……

レインフォード

なんだか、随分怒っているような……



 飛騨は駆けつけてきた女中達に、近藤を呼んできたら自分も手伝うとまずは片付けと、新しい粥を改めて準備してほしいと部屋を離れていった。

赤石賢誠

ビックリしたぁ

!? サトミ!?



 とりあえず、着物がはだけているのを誰か注意してくれ。

 その傍には、ルームフェルとライトも一緒にいるのだが、なぜかルームフェルは紐で縛られて芋虫になっている。

 それで背を向けている状態だ。




 何があった。

 彼女はふわぁあ、と眠そうにあくびをして、ぼっさぼさの頭を掻く。



赤石賢誠

なんで芋虫になってるんですか、ルームフェル?

ライト・ネスター

反省したいそうだ

赤石賢誠

何を?

ライト・ネスター

ヴァンパイアの腕を飛ばした瞬間が心地よかったらしい

赤石賢誠

ゾンビ殺戮するゲームでストレス解消する人もいるんだから、気にしなくても良いのに……――

赤石賢誠

て、待った!?

いつからその状態なんですか!?

ライト・ネスター

ざっと二時間か……

赤石賢誠

わわわわわ!
やばい!?



 慌てたように紐を人具で出現させたナイフでばっつばつ切っていくサトミ。

赤石賢誠

きつい拘束が長時間続くとカリウム異常分泌による死に至るケースもあるんですよ!

クラッシュ症候群っていうんです!

精神異常患者の拘束はくれぐれも気をつけないと駄目なんですからね!?

 それに、拷問器具でも相手の動きを締め付けるものも多いくて無理な体勢を敷いて長時間拘束の末、身体の骨格と肉を断裂させるものもあると、女子が知っているにはちょっぴり恐ろしい情報も付け加えて、サトミは紐を全部切断。

赤石賢誠

ていうか、ルームフェルの奇行はほとんど『ミュート』時代の拷問に近いものを模してるので気をつけてくださいってあれほど言ったじゃないですか!?




 もそ、と彼は起き上がる。

 ずっと背を向けて、こちらを見ようとしないルームフェル。


 まさか、本気でサトミに怒られると思って自殺でもしようとしたのか。




 それは迷惑だからやめろ。

 せめて本国帰ってからやってくれ。



ルームフェル

気持ち悪いが、気は落ち着いた

赤石賢誠

違うでしょう。

気持ち悪くして気を誤魔化したんですよ




 というか、やはりなのか。

 サトミはテルファート王国直属の、暗殺部隊の存在を知っている。


 彼をギルドに引き込んだのは、やはり彼女なのか。


赤石賢誠

もう……これだからドMは困るんですよ

レインフォード

ドMとか関係ないだろうに……

赤石賢誠

自分に意地悪したら、め! ですよ!

レインフォード

おい、叱り方が子供か。
そいつ、お前より随分年上だぞ

ルームフェル

――……。

レインフォード

スゲェ、凹んでる!?

赤石賢誠

もう。本当に死んじゃったらどうするんですか。

ダメですよ。ボクが嫌なんですから

しかも、今回の重要戦力だってちゃんと自覚してます?

ルームフェル

……す、すみません……

赤石賢誠

ブッブー。謝り方間違いです。

『ごめんなさい』じゃないと許してあげませんー

レインフォード

何でダメなんだ!?



 そのあと、すぐにルームフェルは『ごめんなさい』と言いなおし、サトミはご満悦。

赤石賢誠

『すみません』は目上の人に使う言葉だから、ボクに使ったら許してあげません。

友達に謝る時は『ごめんなさい』なのですよ

レインフォード

余計なところ細かいな

赤石賢誠

今度から芋虫もダメですよ。

死ななかったから良いけど、もしかしたら身体の一部が使い物にならなくなっちゃうかもしれないんですから……

赤石賢誠

て、あれ?


 サトミは不意に目を伏せると、視線を天井へ向けた。

 しばし沈黙の後、彼女はぱぁっと目を輝かせる。

赤石賢誠

むしろ、身体の一部が壊死とかして動かせなくなった方が、余計な戦闘せずに済むからルームフェルには良いかもしれませんね

ルームフェル

!?

レインフォード

おい! この小娘、今、とんでもないこと言わなかったか!?

赤石賢誠

今までたくさん国のために頑張ってきたんですから、ルームフェルのことを助けてあげても良いと思うのですよね♪

赤石賢誠

身体が動かなくたって、ルームフェルの魂さえあれば、たくさんの魂が助けられますし

レインフォード

おい! この爆裂娘、いろんなこと爆裂させてるぞ!?

思考とか発言とかぶっ飛びすぎだろ!?


 それは困る! とルームフェルが前のめりにサトミに詰め寄る。

ルームフェル

身体が動かなくなったら、お前を護れない!

レインフォード

普通に告白した……

赤石賢誠

そうですね。

ボクも、ルームフェルのことは頼りにしてますし、困ったことがあったら助けてあげたいのです

レインフォード

あぁ、ダメだ。
こっちは気づいてない

赤石賢誠

だから、自分が盾になろうとかふざけたこと考えてるの聞くとどうもムカつくんですよね。

先生、本気でコイツの足使えないように壊死させましょう

ライト・ネスター

……

ライト・ネスター

右足で良いか? 利き足だし

ルームフェル

外すな!

赤石賢誠

このボクがテメェの元上司と同じぐらいのクソ野郎だと思われていることが胸糞悪くなるほど腹立たしい

レインフォード

愛の言葉がまるで伝わらない……!

ルームフェル

い、いえ……!
そういうつもりではなく……!

さっきのは……!!

赤石賢誠

敬語ヤメロ
だるまにするぞ



 このあと、どうにか必死に誤解を解いたルームフェルに、サトミはまたいつもの調子に戻って、唇を尖らせる。

赤石賢誠

しょうがないなぁ。
じゃあ、モフモフの刑です

ルームフェル

いや! あれはやめ……――!

赤石賢誠

えいっ!

ルームフェル

っ!




 サトミは逃げようとした橙色の魔法陣をルームフェルの背中に展開する。



 『変化』属性の魔法だ。
 これは変身魔法とか、錬金術によく使用される魔法だが……




 ルームフェルが、なにやら愛くるしい瞳の小動物にに変身。

 見たところ、その姿は狐にそっくりだが、その尾はつややかな尾が三つもゆらゆら揺らめく。

 月を思わせる銀色の毛並みを持つやたらめったら小さい子狐だ。



 途端に、サトミは、待て! と、確保。



 その顔のご満悦なこと。

 嬉しそうに、幸せそうに抱きかかえて、戻ってくる。



 一方、子狐はと言うとその小さな足でパタパタと暴れる。

レインフォード

お前……仲間だよな

赤石賢誠

コレ使うとですね。
旅費削れるんですよ。

マスターお手製の特別魔道具ケージに突っ込んで持っていくんです

レインフォード

お前のギルド、人件費に関しては最悪だな

赤石賢誠

はい……あのケージの中、一人ぼっちで超寂しいです……むしろ、拷問です……

レインフォード

いや、そういうことじゃないんだが……

赤石賢誠

あと、ルームフェルがものすごく嫌だけど、ボクが猛烈に幸せになれるパワーハラスメントとして重宝してます。

名づけて、モフモフの刑なのです!

レインフォード

モフモフ……?

 まだまだ逃げ出そうとパタパタ暴れる子狐をぎゅっと幸せそうに抱きしめるサトミは、可愛い幸せ、と呟いてニマニマ笑っていた。

赤石賢誠

ボク、動物が好きなので召喚師になりたいんですよ。

でも、『召喚』属性じゃないでしょう?

ソレに加えて、魔力属性が超個性的で変換難しいでしょう?

レインフォード

……もしかして、お前が致命的だって言ってたあの理由は……

赤石賢誠

そうなんです!

召喚師になりたいのに、魔力変換がぜんぜん上手くいかなくて、幻獣さん達を召喚できないんですよーお!

 そうして、まだまだまだ諦めない子狐はパッタパッタと暴れる。

 前足の脇に手を差し込まれて逃げるすべの無い子狐。

レインフォード

たぶん、満更じゃないと思うんだが

赤石賢誠

だから、今は野郎をこういう風に換えて楽しむしかないのです……



 しょぼーん、となるサトミ。

 楽しむために人を変身魔法にかけるのはよろしくないと思う。

レインフォード

なら、魔獣使いになれば良いのでは?

赤石賢誠

世話の経費がかかるから動物類は飼うの禁止なんですよ。

ボク、ギルドの中にある部屋で世話になっているので、大きい動物飼えないんです。

それに、どうせなら一緒に寝たり起きたり、食べたりした、一緒に居たいんですよ

レインフォード

君が実費で飼えば良いのでは?

赤石賢誠

そう申し出たんですけど、借金額の関係で

レインフォード

……彼をずっと子狐にしておけば良いのでは?

赤石賢誠

変身魔法は効力が切れちゃうんですよ。

でも、あと二時間はこのままです。

それに、ボクはどっちかって言うと大型が好きなので、大きい狐さんが良いんです

もふもふっとした、大きな尻尾に絡まれたいと言うか……

レインフォード

今は子狐のようだが……

赤石賢誠

大型だとルームフェルの力が強いので逃げられちゃうんです。

なので子狐っていうより、赤ちゃん狐ぐらいにしないとボクが応戦できないんですよ



 すると、子狐はまた猛烈な大暴れを始める。

 ひたすら狐パンチを食らわせようと試みているが、幸せそうなサトミには可愛いとしか言われない。


レインフォード

どうせ満更でもないんだから暴れなきゃ良いのに……

フィリル氏!



 血相を変えて飛び込んできた近藤が、転びそうになりながらレインフォードの傍に座り込んだ。

 居住まいを正して……――。

あぁ、すみません……


もぉーおれつに

美女の顔が歪んだ。


 視覚的に心の底から心配してくれた女性を泣かせたみたいに思えてきた、レインフォードはもぉーおれつに不甲斐無さが膨らんだ。

 しかも薄幸美人と言うか、何だか未亡人みたいに見えるので余計にだ。


レインフォード

申し訳ない!

赤石賢誠

申し訳ない!

 サトミも子狐を手放してレインフォードの横に並んで土下座。


 がつん! とほぼ同時に二人でを打ち付ける土下座。

 サトミもレインフォード同様に、近藤の美貌に大敗しての土下座であった。

何を仰っているんですか!

顔を上げてください!

私の方がおろさねばならぬ頭です!




 迷惑かけているのは私の方だと近藤も頭を下げる。

 そして、レインフォードの目が覚めたと聞きつけた浜松も入室てきて。

浜松火山

こんな不甲斐無い状況になってしまったのは我々の責です。

どうかお三方、頭を上げてください!





 トップが揃い踏みで土下座しているという、慎ましいというか異様な光景に変わっていた。



 そんな後ろで、ぱんぱん、と手を叩くのはレザール。

レザール

では皆様。

私の一拍で同時に頭を上げましょう。これで、水に流すと言うことで




 ぱん。


 乾いた、たった一度だけの拍手。
 四チームのトップが、ほぼ同時、見事綺麗に頭を上げた瞬間だった。

第三章 桜咲くこの町を

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