小学校の課外授業か何かで、医者だという人が来たことがあった。あのときは、高学年の子どもが体育館に集められたと思う。医者は、こう切り出した。

 生まれる前のことを覚えている子はいるかな?

 当然、誰も手を挙げない。男子は特に

 何言ってんだこいつ?

という顔をしていたけれど、そんな反応は慣れっこだとばかりに、医者は話を続ける。

 はい、いませんね。それはそのとおりです。生まれて五年くらい経つと、その前のことは大体忘れてしまいます。人間の脳はそういうふうにできているんですね。

 えー、でもオレ幼稚園あがる前とか覚えてるしー。

 少し声が揚がる。

 そう! そうなんです。だから私たちは、もっと幼い……三歳になるくらいの子どもたちに、生まれる前はどこにいたの? とたずねて回りました。

 部屋が暗くなり、プロジェクターの映像が流れる。
 三歳くらいの幼児が映っている。インタビューらしい。

 ママのお腹の中にいる前はどこにいたのかな?

 おっきいテレビがみててね、ママがみえたの。そんで、しゅーってなった。

 しゅーっていうのはすべり台かな?

 あ、すべいだい。

 どうして降りたの?

 ママだーって、おもったから。

 この人が自分のママだって思った?

 ん? んー。

 そうした映像がひとしきり流れ、部屋が明るくなる。

 今見てもらったとおりなんですが、生まれる前の記憶のある子の多くが、自分でママを選んだと言うんですね。

 映像を引き継ぐように医者は語る。

 「どうしてママを選んだの?」と聞くと、「ママを助けるため」とか「幸せにするため」と言う子もいます。ここにいるみなさんもそういうふうに生まれてきたのではないでしょうか。

  誰も音を立てなかった。

 感想を書けと手渡された原稿用紙を、私はただじっと見つめていた。

周音(あまね)

 ……。

 母親を助けよう、幸せにしてやろうと選んで生まれてきたのなら、

周音(あまね)

 私は、一体何なのだろう。

 私を産んで間もなく、お母さんは亡くなった。私がいなければ、もっと長く生きられた可能性は高い。

周音(あまね)

 私がお母さんを選んだのなら……。

 何のために?
 命を奪うため?

周音(あまね)

 ……。

 何を書いたかは、もう忘れた。

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