気が付くと俺は、見知らぬ部屋に寝かされていた。
白い天井、窓すらないのっぺりした白い壁。
ただ一つ、ポツンと切り取られた白いドア。

啓太

病院……かな?

最後の記憶が眼前に迫る暴走トラックだったわけだから、轢かれて病院に搬送されていてもなんの不思議もない。しかし体には痛みどころか、違和感のかけらもない。ベットから起きだして手足を見てみても、外傷はないようだ。

真庭啓太さん

ドアの外から、女性の声が聞こえた。
呼ばれるままに、ドアを開け外に出てみる。

不思議な世界が広がっていた。
上を向いても下を向いても、完全に真っ白。
視界の先はどこまでも空間が広がっているようだが、地面と空が同じ色なので、地平線すら判然としない。
視界の果てが白く溶けている。

そんな真っ白な世界の真っ只中、視界の中心十メートルほど先に、真っ白な机と椅子がしつらえられていた。そこには髪の長い女性が一人、座ってなにか書き物をしている。

状況から判断すると、俺を呼んだのはあの女性だろう。僕はその女性に歩み寄った。

竜女

ええと、真庭啓太さん、享年二十九歳で間違いありませんか?

啓太

はい。真庭です。
死んだ覚えがないので享年かどうかは知りませんが、二十九歳で合ってます

竜女

死んだのよ。
文字通り往生際が悪いわね

死んだ覚えはないんだけれど、まああのスピードでトラックがぶつかってくれば死ぬかもな、とは思う。

すると俺の今の状況はどうだ?
トラックにはねられて死んで、気づけば知らないところにいて、そこに何やら美人の女性が俺の死を宣告してきて……。

知ってるこれラノベで見たやつだ。

啓太

すると、あなたは女神様?

竜女

まあ似たようなものね。
あたしは竜女。お釈迦様の弟子です。

神じゃなくて仏の方だったけど、やっぱりラノベで見た展開と大差なさそうだ。っていう事はやっぱり転生しちゃうんだろうか。

竜女

で、死んだからには転生するわけだけど……。
あなたの生前の行いからすると修羅道に落ちる寸前だったんだけど、ギリギリのところで来世も人間道に転生できることになったわ

ラノベじゃなかった。ガチの仏教の転生だったわ。六道輪廻だったわこれ。

啓太

あの、俺ってもちろん善人ではないですけどそこまで悪人でもないつもりなんですけど、
それでも修羅道一歩手前なんすか?

期待したラノベ展開にならなそうなのはちょっとがっかりだけど、それよりも気になったことを尋ねてみる。俺が修羅道に落ちかけるぐらいだったら、部長なんか八大地獄へ真っ逆さまだろ常識的に考えて。

竜女

怠惰は罪なのよ

諭すような口調で、竜女さんは言う。

竜女

必ずしも善行ではないことでも、積極的に行動して他人と関わること。それがあるから人間の社会は回っていく。それは大切な事なの

竜女

あなたは職にこそついているものの、収入がないと生活できないから仕方なく就職したという感じで勤務態度も大して真面目じゃないし、なにより仕事以外に積極的に人と関わろうとしなさすぎる。

竜女

よって、修羅道に落ちて他人と憎み合い、争い合うという形で人と関わらざるを得ない状況に落とす、というのは、妥当な判決だとおもうけどね

竜女さんは俺の生前の行いが羅列されているらしい書類を眺めながらそう言って、まあギリで人間道に残れることになったから安心なさいな、と付け足した。

啓太

そうかー。
怠惰でなければ……。
俺が怠惰でさえなければ天道に生まれ変わって日がな一日猫を撫でていられたのに……

と、猫と言えば、気がかりなことが一つあった。俺がトラックにはねられて死んだのだとすると、その周囲の人達は大丈夫だったのだろうか。

啓太

俺が死んだ時一緒にいた端山さんと猫は?
無事にトラックから逃げられましたか?

竜女

残念だけど、端山沙耶子さん享年25歳も亡くなられたわ。今は別の仏弟子が対応しているはず

沈痛な面持ちで竜女さんはそう告げた。
端山さんは二、三年後にはプロジェクトリーダーも任せられそうな優秀な技術者だと聞いていたので、惜しい限りだ。

ぶっちゃけ俺が死んだところで、会社に与える影響は、せいぜい直近で俺がやっていたタスクの穴埋めのためにC#チームが今度の土日に出勤することになる程度でおしまいだ。それ以降に影響なんて残らない。

でも端山さんは違う。うちの会社の開発部には毎年のように新人は入ってくるが、素質のある人というのはそんなにいない。単にプログラミングの技術があるだけでなく、プロジェクトの進捗を管理したり、お客さんとの擦り合わせのできる人はあまり来ないのだ。だいたいIT技術者なんて、技術面で優れている人ほど対人スキルに致命的な問題がある。

中には俺のように対人スキルに致命的な問題がある上に技術も別に誇れるほどではない奴もいて、会社のお荷物になっているくらいなのだ。

端山さんはそういう凡百の技術者とは違う、将来有望な社員だったのに、若くして死んでしまうなんてもったいなすぎる。

竜女

不幸中の幸い、というほど慰めにはならないけど、猫の方は無事よ。ちょうどあなたの体がクッションになったみたい。ほら、こんな風に

竜女さんが卓上のリモコンを操作すると、何もなかった空間にテレビのような四角い枠があらわれ、俺の最期の瞬間がプレイバックされる。
目前に迫ったトラックから逃げようと背を向けた俺にトラックが追突し、弾かれるように俺の腕から猫が零れ落ちるが、いわゆる『猫ひねり』で華麗に着地し……

啓太

――って、
わざわざ映像とかいりませんから!

自分の死に様だけなら現実感がないから見ていられるが、このまま見続けていたらトラックは俺のさらに先にいる端山さんに衝突する。そんなの見たくない。

啓太

まあ、大体の状況はわかりました。
端山さんが亡くなられたのは残念ですが、俺にはどうすることもできない。

竜女

そうね。
さて時間もない事だし、そろそろ転生させちゃうけどいいわよね

啓太

ええ。
ちなみに転生先って人間道のどこらへんなんです? やっぱりまた日本ですか?

日本であればいいな。俺は思った。日本は安全な国だし、餓死するほど貧しい人もあんまりいない。そのうえ猫カフェもある。こんないい国は他にないだろう。

竜女

日本は人気が高いのに出生率が低くて、あんたみたいな修羅道一歩手前の奴を転生させる枠はないわ。

竜女

あんたはそうね、
世界屈指の貧しい国の、一般的な家庭より貧しい夫婦の元に、四男として生まれる枠だったらあるけど

絶対に難易度ベリーハードな人生が待ってるやつじゃないですか。

啓太

難易度イージーな日本での人生でも、辛くてヒーヒー言ってた俺が、そんな厳しい環境に耐えられるとでも?

竜女

知りませんー。
生前に善行を積まなかったあなたが悪いんですー。

反省してくださいー。と、まるで小学生女子が悪ガキ男子に正論を吐く時のような語尾を伸ばした口調で竜女さんは言う。

竜女

んじゃ、とっとと転生させるわよ。
この書類に判子ついた瞬間転生が始まるから覚悟しておいてね

そう言いながら何かの紙に、四角い判子を押そうとする竜女さん。
だがその時に、机の上でスマホがブー、ブブッと、クマバチの羽音みたいな低い音を立てた。

竜女

あ、お釈迦さまからラインだわ。

啓太

お釈迦さまラインやってんの?

死後の世界にスマホやらラインやらがあるだけでも突っ込みどころなのに、ラインで連絡とりあう釈迦と仏弟子、突っ込みどころの猛ラッシュにどう反応していいかわからない。

とりあえず、お釈迦さまのラインIDめっちゃ知りたい。

竜女

えーとね。
そこにいる真庭啓太の死に様は、結果的には抱いていた黒猫を救う結果になっているので、これを善行と見做して、良い判決を下してやるように、とのこと

甘っ。
いや嬉しいけどお釈迦さまの裁定、めっちゃ甘っ。

結果的に救ってるって言っても、積極的に救おうと行動した結果ではないし、そもそも俺が抱っこしてなかったらあの猫はトラックにぶつかること自体なかったかもしれないのに。

啓太

さすがは、人を殺した大悪人でも一度だけ蜘蛛を助けたことがあったら地獄から救い出そうとする方は違いますわ

竜女

あの作品を読んだのなら知ってるだろうけどそもそもその極悪人、別に蜘蛛を救ってないしね。自分で勝手に殺そうとした蜘蛛を、勝手に殺すのやめただけ

言われてみればそうだ。人生で唯一の善行がそれだけなんて人物、仮に救われて天道へ来てたら傍若無人の限りを尽くしたんじゃないだろうか。救おうとしてよかったのかお釈迦さまよ。

竜女

そんなわけで、お釈迦さまからの指示だから貧しい国への転生はやめてあげるけど、あたしの基準ではあなたを天道へ転生させるわけにはいかないと思ってる。かと言って先進国は押しなべて出生率が低いから枠がないし……

どうしたものかしらね……と呟きながら、竜女さんはリモコンを操作して先ほどのテレビ(?)で俺の最期を再生し始めた。

啓太

いや、だからそれ、見たくないんですけど?

竜女

蜘蛛を助けた大悪人が蜘蛛の糸で救われたように、こういう時はその人の行った善行にちなんだ救済をするものなの。
だからその善行の瞬間を見ているのよ

竜女さんは俺の背中にトラックが衝突し、俺の体が「くの字」の逆に折れ曲がった瞬間で映像を止め、トラックのバンパーあたりをまじまじと見つめて、やがて口を開いた。

竜女

エルフとかがいる異世界への転生なんてどう?

啓太

トラックの車種見て言ったでしょそれ

エルフにひかれてエルフの世界へ、なんて、善行にちなんでじゃなくてただのギャグだ。

竜女

まあいいじゃないの。好きでしょエルフ

啓太

好きです。トラックの方じゃなく妖精の方ならば

んじゃ決まりね。と、なにやら書類を訂正し始める竜女さん。どうやら人間道と言っても俺の知る世界だけじゃなく、異世界もありらしい。

竜女

でも魔物もいる厳しい世界だから、これじゃあなたを『救った』事にはならないかも。
生まれ変わるにあたって何か希望はある? ちょっとした事なら叶えてあげる

啓太

じゃあラノベみたいなチート能力を

竜女

却下

『ちょっとした事なら」と言われたのをあえて聞かなかった事にして、ダメ元でずうずうしいお願いをしてみたら一秒で却下された。
じゃあどんな希望がいいだろうか。しばらく考えた挙句、ふと思いついた。

啓太

その異世界に猫はいますか?

竜女

猫? いるわよ。
でっかいのがゴロゴロと

でっかいの? メインクーンぐらいの大きさの猫ばかり大量に繁殖している世界なのかな?
なにその天国。

啓太

じゃあ、猫に好かれる体質にしてください

竜女

そんなんでいいの?

啓太

今生は猫に避けられて困ってたんです。
猫に好かれれば他には何もいらないです

本当はチート能力とか欲しいけど、ちょっとした事じゃないといけないんだから、これくらいしか思い浮かばない。

竜女

わかったわ。あなた一人に時間かけすぎて後がつかえてるから、それでいいならちゃっちゃと転生させるわよ。
そんじゃ、行ってらっしゃーい

竜女さんが訂正した書類に判子を押した瞬間、俺は意識を失った。

(続く)

知ってるこれラノベで見たやつだ

facebook twitter
pagetop