飛騨零璽

なん、で……

 あんまりにも驚きすぎて、それ以上に言葉が出ないみたいだった。



 それはレインフォードも同じで何で自分があれほど何も考えずに突撃したのかも分かっていなかった。


 ただあの瞬間、この青年が傷を負っていると分かった瞬間、思考は白に奪われたのだ。後は走っただけだった。確実に敵の息の根を止めるための一撃を、迷いなく躊躇いなく打ち込んだ。

 その理由を、レインフォードは良く分かっていなかった。

 ほぼほぼ反射の領域で動いた身体に、一番理解が追いついていないのは、レインフォードの方だった。

レインフォード

……うるせぇ。心配してんぞ、近藤さん



 おそらく、近藤の大事な人間だからだ。
 今更になって、ちゃんとした理由があることを、思い出す。

 飛騨は近藤が大事にしている使用人だ。その彼が、これだけの怪我を負っていたら悲しむだろう。それ以上の怪我を増やせば、きっともっと悲しんだはずだ。




 そう思う。
 今は、そうとしか思えない。


飛騨零璽

! 危ない!

?!




 細腕から出力された予想以上に強い衝撃にレインフォードはバランスを崩して背から落ちる。



 慌てて身体を起こす視界の隅に飛騨と切りつけたはずの警備人。

 その警備人が、ぉぉぉ、と低い声で呻いて、飛騨を押し倒していた。



 レインフォードは体勢を立て直す。








 今更気づく、骨と皮だけのような身体。

 今更気づく、切り裂かれても滴ることのない紅。



 そして今更思い出す……――これは、アンデット。



 大口を開けたアンデットに、まるで子供の喧嘩で対応するかのように飛騨はその顔を掴んで押す。



 体勢を立て直し、再び赤い魔力が炎を渦巻いて白銀の刀身をさらした。



レインフォード

零璽!


 叫んで、一歩、踏み込んだ。

 その瞬間だった。

 がぎん!

 そんな破壊音と共に、飛騨はアンデット顔を押さえつけていた手を外側に振り払っていた。
 その手に握られているのは。




 そんな破壊音と共に、飛騨はアンデット顔を押さえつけていた手を外側に振り払っていた。



 その手に握られているのは。










……

面……?





 はぁ、はぁ、と息を切らせて、青色の仮面を片手に握ったまま飛騨はピクリとも動かなくなったアンデットの身体をゆっくりと押し、仰向けに転がした。


 息を切らせながら起き上がり、片膝を立てる。




飛騨零璽

すみません、綱淵さん……




 ぽつりと、飛騨は詫びながら手に握った仮面を両手で包むように見下ろした。


 まるで、仮面と向き合うように。


飛騨零璽

ごめんなさい、綱淵さん……俺の、せいで……

レインフォード

何を言ってるんだ……?

何言ってんだ。お前のせいじゃない。むしろ、助かった。ありがとう……




 レインフォードは気づく。

 仮面だ。

 飛騨が包んでいる仮面から、声がする。



 レインフォードは駆け寄って、飛騨のそばに片膝をついた。

 ぎゅっと口を引き結んで、飛騨は仮面を見下ろす。


飛騨零璽

何か……何か覚えてることはないですか?

一体、何があって綱淵さんがアンデットなんかに……!


 顔をしかめて見下ろす飛騨に、仮面は動かない。

女に……噛み付かれた

飛騨零璽

他には!? 他に、何か……!

すまない……夜に危ないからと声をかけたら、そのまま……

赤石賢誠

いや、チョー美人だったんじゃないんですか?

そう、ものすごく美人……て、アンタ誰だ




 そこへ無粋にも割って入ってきたのはサトミだった。

 彼女はひょこっと覗き込むように割って入ってきた。

赤石賢誠

あれでしょ?

チョー美人がこんな夜遅くに歩いてるなんて、変だとは思ったけど下心が疼いてちょっとトキメイタでしょ?

飛騨零璽

おい。お前黙ってろ

……面目ない。
アンタの言うとおりだ……

飛騨零璽



 仮面が、詫びた。

赤石賢誠

でも、近づいた理由はそれじゃないでしょう?

どこかに居て、ツナブチさんは、何か気になって彼女に近づいた。

そして声をかけたらあらビックリ。超美人だった

順番をさかのぼると、あなたは美人だったから話しかけたんじゃない

彼女が困ってるんじゃないかと思って声をかけたんだ

そう! そうだ!

最初は、橋の上で川を見下ろしてるのを見かけたんだ。

長い間、見下ろしているから何か落としたのかと思って声をかけたんだ!

赤石賢誠

それは、この港町のどこら辺の橋ですか?

東西南北、どこら辺だろう?

東西南北……

あぁ、東だ。

この近くにある羽流(はりゅう)川の橋だ

赤石賢誠

そうですねぇ……
おっぱい大きかったですか?

あぁ。デカかった。
嫁よりデカかった……

赤石賢誠

柔らかかった?

あぁ……柔らかかった……

赤石賢誠

たゆんたゆんな感じでした?
それともふんわり柔らかな……

レインフォード

サトミ!
もっとマシな質問しろ!!

赤石賢誠

え?
いや、ここは聞くべきでしょう?

Ms.サトミ。私情を挟まないでください

レインフォード

おい!
それ、私情なのか!?

女としてその質問は私情で良いのか!?

飛騨零璽

そいつの名前は!?







 そう切り出した飛騨に、先程から声を発している仮面は一拍の沈黙の後、聞いていない、と残念そうに答えた。




 その後はカロンが引き継いで、矢継ぎ早に仮面へ質問していく。

 服の色は? 帯の色は? 瞳の色は、この街で見かけたことは今まで見かけたことはあったか。

 さすがはギルドマスターというべきか、彼は的確に仮面から情報を次々と引き出していく。

赤石賢誠

飛騨さん。霊魂状態の人間は亡くなる直前の記憶って、ほとんど曖昧なんですよ。

まだ魂に残ってることは残ってるんですが、一番強烈に覚えていることしか、ぱっと出てこないんです。

さっきみたいに美人でおっぱいでかくて柔らかかったとか……

レインフォード

柔らかいとかは君の私情だろう

赤石賢誠

なので、記憶に合致するような単語をこちらから提示していくと、記憶に引っかかることがあります。

そうやって、少しずつ堀り出してあげると良いんですよ

飛騨零璽

……

その金髪美女の頭は、貴方のどこら辺にありましたか?

ちょうど……首辺り……
あぁ、そうだ。

簪を落としたと言っていた。

橋の下に簪を落としてしまって、どうやって降りようか考えあぐねていたと……

赤石賢誠

それで、橋の下まで降りて探しに行ったら、美女も追いかけてきて押し倒されちゃったんですね?

あぁ……その通りだ……

赤石賢誠

そして、その巨乳が押し当てられたと

あぁ……その通りだ……

レインフォード

なぜ、羨望の眼差しで面を睨む……?

 






 目玉通信機がくるくると飛び回ると、サトミの肩に着地して、ギョロリと面を包んでいる飛騨へと眼球を向ける。






少年。死んだ場所が橋の下ということになると、これ以上の情報は持ってないでしょう

飛騨零璽

そうか……
ありがとう、綱淵さん






 飛騨は両手で包んでいた仮面を空へ放り上げた。

 彼の手の中でお面になっていた魂は、元の姿をとる。

 そこにいたのは、中年男性だった。
 ほどよく肉もついており、そこで転がっている人間と同一人物だったとは到底思えないほどに。


 彼は、その姿を黄金色の光に包まれた。








 天に昇って、その姿は消える。

 それを、飛騨は見上げていた。


 苦しそうな、その表情に胸の奥が締め付けられる。



 アンデットとして港町の人間を襲わせるなんて、悪趣味にもほどがある。

 その事実が、徐々に熱を帯びてレインフォーの中で燃えあがる。




レイジとおっしゃいましたっけ?
詳しい事情をお聞かせ願えます?

特に、貴方のその力について

飛騨零璽

話すことがない。
話せることが、ない

それはこちらで判断することですね。

すでに、サトミが貴方に興味津々なので逃げられるとは思えませんが

赤石賢誠

あ、バレました?

付き合いこそ短いですが、貴方の性格は特徴がありすぎるので、すぐに分かりますよ。

ですが、仕事そっちのけで専念されても困ります。
今回の事件が終わってからにしてください

赤石賢誠

いやいやいや! 何言ってんですか!

今すぐにでも調べて尽くして仲間として確保すべきですよ!

プレゼンしますから、飛騨さんを同行させ……――

レインフォード

駄目に決まってんだろ!






 しん、と空気が静まり返る。

 そんなこと、知ったことではない。


 レインフォードはサトミにしか目が行っていない飛騨の腕をとっ捕まえて引っ張る。



レインフォード

とにかく、まずは宿に帰還する。
近藤氏がお前のことを心配していたからな。

どうして宿を単独で出たかについても詳しくな

飛騨零璽

…………

赤石賢誠

そんなの、聞くまでもなく自分で解決しようと思ってたからに決まってるじゃないですか

レインフォード

……

Ms.サトミ。今は黙ってなさい。
フィリア氏はひどくご立腹ですから。

それに、このご遺体の首元にある歯形をごらんなさい



 言われるがままに骨と皮だけになっている遺体に手を合わせると、こともなげに観察するサトミ。

 そして、その首元に素手で触れる。

赤石賢誠

……二つの大きな犬歯のあと。
もしかして、ヴァンパイア!?

なっ……!

飛騨零璽

ばんぱいあ?

赤石賢誠

吸血鬼のことですよ。異国ではヴァンパイアと呼ばれるんです

飛騨零璽

!!!

赤石賢誠

事件の匂いがしますねぇ



 サトミは、青い空を見上げて、つぶやいた。

 彼女がほんの一瞬浮かべた顔は……――笑っているように見えた。

第一章 日本によく似た港町(質)

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