ようやく客室の外から男性の声が引き戸越しに聞こえてきた。

 近藤と名乗りし男性が、入ってもいいかと尋ねてきたのだ。
 レインフォードはようやく待ちわびた相手方だ。
 快諾すれば、そこから現れたのだ優しげな顔の男……──。

初めまして、レインフォード・フィリア氏。

私、この地で領主をしております、近藤孝則です




というか、男と表現して正解なのか、よく分からないぐらいに美女がいらっしゃる。

名前からして男で間違いないのだが、美女は頭を下げて座椅子に腰を下ろした。

その居住まいも優雅で女性らしい。



 側には翻訳係の飛騨もいるが、サトミが申し出てこの場に居合わせている全員に『コンセンサス』で言語を共有させる魔術を施しておいた。

 ということで、実際に飛騨は用無しになった訳だが、帰ろうとする彼を引き留め、近藤は彼を側にいるように言った。

 やはり、サトミの示唆したとおり、飛騨は近藤のお気に入りとお見受けできる。




先程は物々しい出迎えで申し訳ございません。

せっかくこの地へ来てくださったというのに、ここ一週間前からこの港町の人間が老若男女関係なく失踪しているんです





 目を伏せないでほしい。あんまりにも儚げな月下美人に見えるのだ。さぞかし胸を痛めているんだろうと賢誠だって分かってしまう。

 最近、この汐乃では、出掛けたまま帰ってこない、仕事から帰ってこないと騒ぎになっている。

 その中でも特に消えるのはこの町を守るために夜間の見回りをしてくれている警備人達。侍の出で立ちをしている彼らの仲間達だった。
 中にはその警護人が消えると、後を追いかけるように家族までポツリポツリ消えていく。

赤石賢誠

夜逃げでは?

飛騨零璽

近藤様が治められている領地で、人が入ってくることがあっても生活が苦しいという理由で出ていく人間などいない……

家族想いの警備人や、警備の上層部の一人も自ら捜索に出たその日に消えているんです。

階級に応じて年俸は確かに違いますが、下層でも申し分ないので夜逃げの線は無いと信じたいところですが……


 少し渋面を浮かべた近藤のそばに控えていた飛騨がそう放つ。

赤石賢誠

領主さんのこと、大好きなんですねぇ

飛騨零璽

心からお慕いしているだけです。平民の私でも、こんな重役を任してくださいました

レインフォード

おや。平民の方だったんですか?

すごく上品だから、名家の出身かと思ってました

飛騨零璽

レインフォード様ほどではありません

事態が収集しておらず大変申し訳ない。こんな物騒な事件が起きていなければ、町をご案内できたのですが……――今回は、あまり長居しない方が得策かと思います。

万が一に備えて夜間の外出は控えてください。それと、行動する時は必ず警護人を伴っていただけますでしょうか?

私達も異国からの来客者に怪我をさせたくありません

レインフォード

そうですね。私は独り身ですが、仕事仲間には家族もいますし、今回は事態が事態ということで予定より早めに出航することにします


 近藤は、本当に申し訳なさそうに深々と頭を垂れた。その隣の飛騨も、同じく頭を下げる。
 良いんですよ、と笑いながら、二人の商人は商談に入っていった。
 





















赤石賢誠

宿一番のお部屋ってどんな場所なんでしょうねぇ♪

レインフォード

そうだな

 今、レインフォード達は客室を準備してもらうから、待っていてくれとのことだった。



 商談はちょっとしたハプニングがあったものの、和やかに終了した。

 ちょっとしたハプニングというのは お酒を飲めるならと近藤にテルファートの特産品であるワインを薦めた時のことだ。

 この国の人間に果実酒があまり馴染みがないのはリサーチ済み。

 日光を遮るための深緑の瓶から香り立つ芳醇な葡萄の香りで期待を誘い、そこでテルファートから持ってきたワイングラスに注げば……──大概の人間が嫌そぉーな顔をするのだ。



 この暗い赤紫色の飲み物を見ると怪訝そうな顔をする。

 怪しいものじゃないのか、こんなものが酒なのか。


 そこを狙ったわけだが、飛騨が真っ先に帯刀していた小太刀を握ったことで騒ぎになりそうだったのだ。

 といっても、すぐに近藤が宥めてすぐに事態は収拾した。
 彼も酒のたしなみがあってか、ワインに好評価をいただいた……――女性みたいな笑顔で。

赤石賢誠

飛騨さんが小太刀を出した時は驚きました。

でも、レインフォードさんが意外に冷静だったので、もしかして狙ってました?

レインフォード

あぁ。
あれが良い掴みになるんだよ。

見た目の毒々しさを裏切るような香りと味わいだからね。

そのギャップに漬け込むのも商売人の腕の見せどころだ

赤石賢誠

そこが交渉の肝なんですね

レインフォード

そういうことだ

すみません。お待たせいたしました





 近藤が飛騨と宿の「オカミ」という女性従業員をやって来て、部屋へと案内される。

 渡り廊下を歩き、別館へ移動すると、こちらは造りがまったく違う宿へと繋がった。木板だけの床に絨毯がぴっちりと敷き詰められ、大きなロビーがあった。




 そこから階段を上っていくと、とある一室へ案内される。

どうぞ、こちらです。
私自慢の一室なのです。

ぜひ、異国からいらっしゃった皆様に見てもらいたくて







 女性のような朗らかな笑みを浮かべると、オカミにその戸を開けてもらい、中へと促される。

 明るい室内。

 緑の畳。

 でも、何よりも先に飛び込んできたのは。巨大なはめ殺しの窓から見える、薄紅。
































宿自慢の、桜の間です。
レインフォードさん、本当にあなたは運がいい。

桜は春先に咲く花で、開花は一週間と短いのですが、今年はちょうど遅咲きでつい、昨日満開になったんですよ










 近藤の声が、遠くに聞こえた。



 レインフォードは窓際へと吸い込まれるように駆け出していた。

 目を見開き、窓にべたりと手を貼りつけ、その薄紅の花に心が奪われる。












これだ

燃え盛る木に
咲いていたのは

この花だ






レインフォード

サトミ! これだ!
私が今日、夢で見た薄紅の花の木だ!

赤石賢誠

え? その話、初耳なんですけど

レインフォード

間違いない!
すまない、近藤氏!

もう一度、この木に咲いている花の名前を教えてくれ!

桜です。桜の木でございます


 近藤は頬を薄紅に染めて、本当に嬉しそうに微笑んだ。
 さながら、美女のように。


 レインフォードは長い髪を翻し、再び窓の外いっぱいに咲き誇っている桜を凝視する。







 
































 なぜだろうか。


 惹きつけられた目が、離せない。


 この桜という木に会いたかったかのように、ひどく懐かしさを覚える。

 ただ見つめているそれだけで、心が穏やかになっていく。





 もっと、見ていたい。

 もっともっと、ずっと。




 それは、恋焦がれた薄紅色……―ー。













赤石賢誠

そぉーだ!

お花見でもしませんか!?

レインフォード

はなみ?

赤石賢誠

桜の下に御座を敷いて、お酒を飲んだり食べたりしながら、ワイワイガヤガヤ騒ぐんです!

ピクニックみたいなものですよ!

桜の下でやるので、この国では花見と呼ばれる春の風物詩です!

お詳しいんですね

赤石賢誠

はい! ボク、この国の出身かもしれないんですよ!

記憶喪失なので詳しくは分かんないんですけど



 それは、と言葉を詰まらせて眉を悲しげに下げてしまった近藤に、サトミは屈託なく笑う。


赤石賢誠

なので、ついでに色々詳しく聞けたらなぁって思ってるんですよねー

それでしたら、オカミさん。

今晩の夕食をいつもより早めにしてもらうことって可能ですか?

明るいうちに、桜の下で提供してもらうという形に

もちろん。大丈夫ですよ

赤石賢誠

やったー! お花見だー!






 両手を挙げてはしゃぐサトミ。

 やはり、この国の言語を知っているのも祖国だから。


 喜びはしゃいでいるサトミのそばへ、ライトとルームフェルが寄っていく。

 楽しみですねぇ、お花見! とはしゃぐ彼女は、本当に子供っぽい。

 それを遠巻きから眺めている飛騨の視線が、なんとなく気になった。
 憂いを帯びているような、サトミに対して、何か慮ったような。


 

飛騨零璽

……!

レインフォード

……




 目が、合った。

 そう思った。


 すると彼はすぐに顔を逸らして背を向けると、戸口から姿を消してしまった。

赤石賢誠

そうだ! 桜を直で見たいです!

桜の根元まで行っても良いですか!?

えぇ、もちろん。
ご案内いたします!




 近藤がそう微笑むと、サトミはやったー! とレインフォードの護衛であることなど忘れて彼らと共に部屋を出て行った。

 なんとも、自分の欲望に忠実。
 だが、そのおかげで桜を間近で見られある機会が巡ってきたということだ。


レインフォード

私も、ご一緒させてもらっても?

えぇ。もちろんです。
零璽も一緒に行きましょう

飛騨零璽

いえ、俺は……――。




 部屋の外で待機していた飛騨の腕に自分の腕を絡ませて、近藤は歩き出してしまう。

 その後を追いかけるように、サトミも並んだ。



 しかし、近藤達と並ぶサトミの姿はこの国の人間というのは頷けた。


 その肌の色、漆黒の髪。
 そして鳶色の瞳……――。




 なぜだろうか。

 その事実が、異様に羨ましいと思えてしまう。


赤石賢誠

近藤さんと飛騨さん並んで歩いているところを見ると、親子みたいですねー

飛騨零璽

恐れ多い……

私は息子同然に接していますね。
何分、この歳にもなって独り身なので

飛騨零璽

……!



 飛騨は急に立ち止まると動かなくなった。
 その様子を心配し、近藤が覗き込む。

どうしたのですか? 零璽?

飛騨零璽

……近藤様は皆さんをお連れして、先に行っててください。俺はお手洗いへ行きます

分かりました。先に行ってますから、来てくださいね

飛騨零璽

はい。必ず




 そうポツリと言い残すと、足早に去っていく飛騨。
 相当我慢していたのだろうか。

 近藤は彼の後姿を一瞥し、改めて案内すると先を歩いて行くのだった。


第一章 日本によく似た港町(四)

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