よそよそと気持ちの良い風が頬を撫でる。
 座り心地の良い椅子に腰掛けて、彼の到着を待つ。
 今頃きっと彷徨っているに違いない。


 彷徨う?どこを?
 そう、彼自身の「心の中」で彼は迷う。


 青空の下、草木の上にたくさんの本棚が並ぶこの場所は俺の庭、いや、俺の、俺の一族が守ってきた場所、受け継がれてきた能力。書物の宝庫、サボリーの書庫、コヤギの胃袋……様々な呼ばれ方があったが、俺が一番気に入っている名称は「知識の箱庭」だ。
 まさに知識の箱庭と言っても過言ではないだろう。なんせここはサボリー一族が代々収集し守ってきた知識が書物という形をもってこれでもかと棚に並んでいる。
 現実の場所ではない。俺の能力の中……俺の心象風景、と言うのがわかりやすいか。



 とにかくこの場所は存在しないものなのである。



 だからこそあの未熟な猊下様がここまでたどり着けるかが問題なのだ。
 たどり着くための道標はたった一つ。「知りたい」という好奇心だけ。

 俺がアヴァター・キリアサンタをここに導くのは今回が初めてになる。
 この場所を祖父さんから譲り受けたのも5年程前の話であるからだ。


あ、あの……



 消え入りそうな声がした。

 アヴァター・キリアサンタがこの場所に到着したらしい。
 思ったより早かった、ということは人並み以上の知的好奇心を持っている人物であるということが読み取れる。

ここは……

俺の能力の中だ

の、能力……?



 「恐怖」の表情を顔にまとっているアヴァター・キリアサンタ。
 彼に近づき、彼の手をとって、この俺お気に入りの椅子に着席させる。

何も知らないのか

わ、わからない

この場所は少し模様替えをした。
祖父さんの時とは少し違うかもしれないが、使い勝手は変わっていない。
好きにするといい。

…………



 ちょこん、と座って俯く我が国の王。
 太ももの上に握りこぶしを二つ置いて、肩を震わせる。

…………

…………



 沈黙。
 沈黙は嫌いではない。むしろ沈黙していてくれと思う相手は山ほどいる。

 だがこの少年の沈黙は痛い。迷っているのだ、ここで、俺に、どう振る舞えば良いのかと。


自分の能力は理解しているのか?

……わからなくて

これは重症だ。
記憶喪失?いいやこれは初めから何も知らない。



 俯いていたアヴァター・キリアサンタが顔を上げた。
 丸っこい目をさらに丸くさせて、なんとも言えない表情を作っている。

……そうだな、俺の話をしよう。
興味を持てるか?

ええと、はい。

この場所について、だ。
ここは俺の心の中にある。
そしてここに辿り着くまで、お前は自分の心の中を彷徨ったはずだ。



 心の中、と呟いて、また俯くアヴァター・キリアサンタ。俯いたその姿のままで小さく、こわい、と囁いた。

この能力はちょっと特殊でな、他者が操ることは絶対にできない。
お前のような特殊な「アンノウン」という能力ではなく、一応「ヴェルディグリ」という能力に分類されるが。

べ……なに?

ヴェルディグリ、草木や風を操る能力、またはその能力者を指す言葉だ。



 そう、草木を操り、風を操る能力者はヴェルディグリと呼ばれる。
 炎を操るものならばクリムゾンと、水や氷を操るものならばアフロダイティと、光を司るのであればダンテライアンと、闇に魅入られし者はブーゲンビリアと。


 そしてそれに該当しない能力、または能力者ではない人間を「アンノウン」と呼ぶ。

……一般常識だ。
肉体はおろか、魂の記憶そのままにアヴァター・キリアサンタへの転輪はできなかったようだ。
まるで赤子そのものだな。

…………

24代目である肉体のアヴァター・キリアサンタが滅んだのはつい半年前のこと。
お前の年齢は見るからに10歳を超えている。



 すると少年が指を折り数え始めた。
 いち、にい、さん、……と、まるで幼児が数を数えるように。
 それがとても痛ましい姿に思えて、思わず制止する。

まて、お前の年齢は知ったこっちゃない。
……つまり俺が言いたいことはお前の中には別の魂が入っている、ということだ。
それともお前は一度生贄として殺されたのか?




 うーん、と考える素振りを見せて、一瞬思考を止めて、そしてそれから首を5度程大きく横に振った。






 ならばこいつは誰だ?


 

二章 アヴァター・キリアサンタ Ⅱ

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