執務室に辿り着くまでの道のりは戦場のようだった。
 すれ違う客がしきりに男に握手を求めてくる。

素晴らしい舞台でした

ありがとうございます

感動しました

ありがとうございます

デューク

………


 気配を消して、オレはそれを見守っていた。
ついでに、オレの事を紹介する。

あの人形は彼の作品です

デューク

……

なんて余計なこともしてくれるから、
握手を求められて……こっちは作り笑顔を連発する羽目になった。

ようやく執務室についた。
普通に歩けば三分もかからないだろうに、この男が長話をするものだから一時間もかかった。
だけど、俺はまだ落ち着けない。
座るようにと促されたフワフワとしたソファーは苦手だった。
貧乏民なので、もう少し固目なのが丁度良いのだが、この男は誇らしげに勧める。
有名デザイナーのデザインした最高級のソファーだという。
 苦手なソファーに座り。苦手な飲み物であるコーヒーを口にする。コーヒーの苦みは好きになれない。せめてミルクと砂糖があれば良いのに、この男の好みによりブラックコーヒーだった。その上、この男の好みにより強い酸味のある代物だった。どうでも良いコーヒー自慢まで始まる気がして、オレは彼に問いかける。

 奥の部屋で微笑む女の姿があった。あれは蝋人形だという。ある作家が作った最高傑作。まるで、人間そのものだ。

 “こんな蝋人形を造って欲しい、モデルは別に用意する”

 初対面で、この男に依頼された。
 初めに見た時は気味が悪いと思った。今でもやはり気味が悪い人形だと思う。まるで、この前で生きていたような……そんな人形だから。

 あの頃、街では失踪事件が起きていた。ある貴族の娘が家出をしたまま帰ってこなかったとか……未だに見つからないが。故郷に引っ込んだのだろう、って話になっていた気がする。

 執務室には他にも蝋人形が並べられている。
 オレは一頭のオオカミの人形の前で立ち止まる。
今にも襲い掛かってきそうな表情でこちらを睨む、このオオカミ。きっと最期までハンターを威嚇していたのであろう。

デューク

このオオカミは?

ここだけの話ですが……魔獣を飼育している者たちが居るのですよ。彼らから購入したものです

デューク

………

どうされましたか?

デューク

いいえ、あまりの美しさに目を奪われただけですよ。

ハハハハ!私の最高のコレクションですからね。どうぞ、どうぞ、もっと見てください。


 上機嫌になった男は鍵のかかった部屋も開けると、中に在る作品を一つ一つ自慢し始めた。
 しまった……と舌打ちをする。
 コーヒー自慢から避けたというのに、男の自慢話は幕を開けてしまった。

デューク

………疲れた

 息苦しさから解放されたような気がする。
埃くさい空気でさえ、心地よいと思う。
 空を見上げる。
 月が嗤っていた。
 誰を笑っているのだろうか。
まるで、自分が嗤われているような気がして目を閉じる。

蝋人形なんて、もう作りたくない。
大きなものを作るのは疲れる、しんどい。商売とはいえ、死ぬほど喋った気がする。
あのあと、男による自慢話は延々と続いた。おそらく劇場で彼の舞台を観ていた時間よりも長かっただろう。彼の執事が現れなければ、もっと続いていたかもしれない。
彼はあの後、パーティーだという。誘われたけど断った。これ以上、自慢話に付き合いたくはない。とにかく報酬だけは……と、貰ってやっと帰ることが出来る。

 かなり、気が抜けたいたのかもしれない。

 近づく気配に気付けなかったのだから。

こんばんは。蝋細工職人のデュークさんですね

 しばらくは喋りたくない、そう思っていた矢先だった、突然声をかけられたので、反射的に振り返る。

デューク

君は?

とある館の使用人です。

 メイド姿の女だった。客の誰かかと思ったが知らない相手女だ。
髪も目も服も黒づくめで、顔色も悪い。
月が隠れてしまえば夜闇に紛れて見えなくなりそうなほどに。黒い女だった。

デューク

へー……

 【普通】ではないのは一目瞭然。女が何かをすればいつでも殺せるように懐のナイフを確かめた。
女はそれを小バカにするように嘲笑する。

そういえば、この辺りで殺人事件があったみたいですね? 自警団の方々が騒いでおりました

デューク

そうか………珍しいことではないだろ

 この街は死で溢れている。毎日のように誰かが不審な死を迎えていた。人間、動物、魔物、誰かしらが命を落とす。自警団が死体処理をするなんて日常茶飯事。

我が主が貴方に蝋細工の依頼をと

デューク

依頼? 依頼だったら店に……っ

 来てくれ






そう言おうとしたが、一方的に封筒を押し付けられる。
思わず受け取ってしまった。

お願いします

 女はそう言って、さっさと闇の中に消えて行った。
 都合良く、厚い雲が月を隠して辺りが漆黒に染まる。

デューク

待て、俺はまだ引き受けるとは……

 女の走り去った方向に手を伸ばす。月が隠れたのは一瞬だったが、すでに女の姿はなくなっていた。

デューク

消えたか

 月明りに照らしながら封筒の中身を確認する。

デューク

依頼品は薔薇の蝋細工。依頼主はベン・カサブランカ。報酬は……………なかなか良いな。

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