その日は月が隠れていた。

 ふいに気配を感じて足を止めると鈴を転がすような声が聞こえた。



「アナタはどこに行くの?」
 彼女は言った。

「どこでもない、どこかだ」
 面倒臭そうに男が答える。

「んー……………それって、どこ?」
 また、彼女が問いかける。

「ここじゃない」

「あっち? こっち? どっち?」


「………」


面倒な奴に捕まった気がする。

このままだと、同じ会話が永遠に繰り返される気がして……



「ああ、西だな」


 適当にそう答えると、




「西に行く? じゃあ、私も行く」



「何でそうなるんだよ」



「私、これから何処に行けば良いのかわからなかったの」



「好きなところに行けば良いだろ」



「だから、アナタの行くところに!」


 ……なんて目を輝かせて言い切った。
 こちらの承諾なんて、聞くつもりはないらしい。



「……わかったよ。仕方ないな」



「ありがと。でも、アナタがダメだって言ってついていくつもりだったよ」



「そうだと思った。勝手について来られても困るからな。行くぞ」



「エヘへ……ところで、アナタの名前は何ていうの?」




オレの名は………

 ゆっくりと、月が姿を現した。

 キラキラとした月の光が青年を照らす。

 銀色の髪と瞳を持つ青年は、面倒そうに笑みを浮かべた。

………

デュークさん!

デューク

!!

 ああ、呼ばれたのはオレだったのか。
 表情がない、とよく言われる顔で振り返ると風貌の男が立っていた。
 高級そうな茶色のスーツに白シャツにワインレッドのネクタイ……服装はブランドものを着ているが顔はパッとしない。こいつは誰だっただろうか。どうでも良いか。
そういえば、オレはここで何をしているのだろうか。
ぼんやりとしていた頭の中を整理する。
ここは劇場で、オレはそこのオーナーに職人として雇われていた。
因みに仕事は蝋細工職人。
蝋を溶かして、小物を作るのが主な仕事。
小物は主にインテリアとして飾られる。
今回は舞台上で使う蝋人形を依頼されていた。
小物ではない、大物の依頼を受けることは珍しいが報酬が良かったので引き受けたのだ。

自分の造ったものを客席から観てはどうだね?

って言われたからこうして開演前のロビーにいる。

もうすぐ、はじまりますよ。ぼんやりしないで

デューク

ああ、ありがとう

 誰だか知らないが礼を言って、重い扉を開けて中に入った。
客席は満席。開演を今か今かと待ち望む観客たちの興奮の息づかいが聞こえてくる。

御来場のみなさま本日は~

 観劇マナーのアナウンスが流れて……消灯。
 ざわめきは途端に消失。劇場内は静寂に包まれた。
 静かにポツポツとスポットライトが点灯すると役者たちの演技が始まる。
 それは、退屈な時間の開幕だった。
 オレは少しだけ目を閉じることにした。





 物語は佳境に迫っている

何で、お前がそこに居るのだ? 確かに心臓を一突きにしたはず

残念ながら貴方が殺した私は人形だったのよ

そんな、バカなことが

貴方が愛人をあんなに作るからいけないの。私も、つい真似したくなっただけよ

………知っていたのか

✕されるのは貴方よ。安心して寂しくないから

あ……

貴方の愛人たちよ、先に✕しちゃった

ぐぁあああ

 ドーンっと雷が落ちたような激しい効果音と雷鳴のような光、
 そして男の悲鳴とともに……舞台上は再び闇に包まれた。

 暫くの静寂の後、会場内をパァーっと照明が照らす。
舞台袖から、役者たちが満面の笑みで姿を現し、頭をたれる。
 拍手喝采の嵐が起こったので、オレは視線を上げた。

内容は面白いものではなかった。
妻の浮気に怒り狂った男が妻を✕す。……が、それは妻によって用意されたシナリオ。彼が妻だと思って✕したのは人形だった。最終的には、妻の手で男と男の愛人たちは殺害される。
 嫉妬と嫉妬が殴り合いをするだけの、つまらない愛憎劇だった。

内容など、どうでもよかった。オレが見つめるのは美しい女優などではない。

デューク

オレの蝋人形が舞台上に立っている。いや、倒れている

 表情もなく、気配もなく、オレは舞台を眺める。
視線の先に映るのは、女。舞台上で鉈が頭に刺さったまま倒れていた。あれが蝋人形なのだと告げても信じられないだろう。主演女優と瓜二つに作ったのだから。
 この公演は一公演のみ。だから、あの蝋人形が舞台で華々しく刺されるのは一度きりものだった。

いやぁ、最高の舞台でした


 隣の男がパチパチと手を叩いた。

デューク

………

貴方の蝋人形のお蔭です。素晴らしい。


 ああ、思い出した。この男は劇場のオーナーで。この演劇の脚本と演出を手掛けている男だ。
 つまりは、依頼主。だから、報酬は彼から貰うのだ……

デューク

お役に立てて何よりです


 咄嗟に作り笑いを浮かべて頭を下げる。
 無愛想な態度では報酬の額が下がる。

次の作品もお願いできますかね?貴方の蝋人形を舞台に並べるだけで華になりますから。

デューク

俺の本職は蝋細工職人です。小物が専門なので、申し訳ありません(二度とやるものか)

ああ、残念だ。勿体ない才能だよ。立ち話もなんだし執務室に

デューク

はい、喜んで(とりあえず報酬を寄越せ)


 
本当は嫌だった。
報酬をまだ貰っていないことを思い出した。何より大事なのが報酬。
だからオレは言われるがままに執務室へ向かうこととなった。

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