コンクール当日、俺は、やはり来ないのかという諦めと、もしかしたらという期待の入り混じった複雑な気分で、コンサートホールの入口で観音寺彩音を待っていた。
コンクール当日、俺は、やはり来ないのかという諦めと、もしかしたらという期待の入り混じった複雑な気分で、コンサートホールの入口で観音寺彩音を待っていた。
既に前日までに準備はほぼ完了し、当日は簡単にリハーサルを行ったのち、開演を待つだけだった・・・。
もう諦めて中に入ろうかと思ったそのとき、聞き覚えのあるしわがれた声が辺りに響いた!
こらっ、彩音!!さっさと歩かんか!
驚いて俺が声のする方を見ると、まるで嫌がる犬を引きずるように、彩音の腕を引っ張って観音寺が姿を現した。
・・・・。
こ、・・・こんにちは・・・!
すみません。大変遅くなってしまいました!!
ちゃんと挨拶せんか!バカ者が!!
・・・。
ご主人様、おやめください!!
騒ぎを聞きつけて、姫島先生が駆けつけてきた!やんわりと二人を引き離すつもりのようだ。
これはこれは!観音寺さん、今日は遠い所をわざわざありがとうございます!!
君が姫島さんかね・・・。手紙は読ませてもらったぞ!
はい。お話はあちらで伺いますわ!有馬君は、彩音ちゃんを楽屋にご案内して!
わ、分かりました・・・。
俺は、まるで生気のない彩音を楽屋まで案内した。
彩音は椅子に座ったとたん。こうつぶやいた・・・。
死にたい
俺は、突然のことに何と声を掛けたらいいか分からなかった・・・。すると、そんな俺を無視して彩音はさらに言葉を続けた。
お父様は、私の残りの人生を見世物にすることに決めたんだ・・・。
今までは、世間の目につかないように隠されて・・・これからは、世間の目にさらされて・・・
一生・・・世間とは関われないまま一人さみしく死んでいくんだ・・・
何でも、姫島先生が手紙を書いて以来、すっかり上機嫌になった観音寺は、彩音を悲劇の6本指のピアニストとして売り出すことに決めたらしい・・・。
彩音の気持ちを完全に無視した曲目と衣装で、全国ツアーをやって金儲けに走るつもりらしい。
彩音が嫌がると、彩音の代わりにメイドの冨美子に暴力を振るうそうだ。
俺は予想以上の観音寺の下種ぶりに言いようのない怒りが湧き上がってきた。
そんなことは姫島先生が許しませんよ!
どうかしら?あの女にそんな力があるとは思えないわ・・・
でも私はあなたとあの女に感謝してる・・・
今日ここで好きな曲を好きなように弾いて・・
終わったらこのビルの屋上から飛び降りて死んでやるの・・・!
な、なんだって・・・
と、俺があまりのことに絶句したまさにそのときだった。楽屋のドアが開き、姫島先生が姿を現した!
ごめん!お邪魔だったかな!二人きりのところ・・・
姫島先生、観音寺さんが・・・
ああ、悪いけど話なら聞かせてもらったわ!
そういうと、姫島先生は彩音のそばに歩み寄り、彩音の手を優しく握った。
綺麗な手ね・・・。ずっと触っていたくなるような美しい手だわ
!!
あなたは、あなたが思っているほど無力じゃない・・・
演りたいことを演りたいように演る力がある
そんな私は・・・お父様に・・・
もしここが嫌ならヨーロッパでもアメリカでもロシアでも・・・
どこだって好きなところに飛んでいけばいい!
そこまで飛べるだけの翼を持っているのだから!
ありがとう・・・。でも、それは無理ね・・・
あなた達はお父様の恐ろしさを知らないんだわ・・・
あいつは裏で葱土呂組とつながってるの
ハハハ・・・葱土呂?そんなの知らねえよ!
悪いけど私の親父は桜の代紋の頭やってんだよ!
桜の代紋って・・・確か・・・
警察庁長官!!
そういえば、先月から就任した警察庁長官は、確か「姫島剛」って名前だった・・・。超強硬・超法規的な手段をもって犯罪の撲滅に当たると宣言していて、既に精鋭の警察官らによって「処刑部隊」が構成されたという噂もある・・・。
姫島先生の父親が警察庁長官ならば、さすがの観音寺もそう簡単に手は出せないだろう。それにしても、俺はつくづく恐ろしい人の下で学んでいたものだ・・・。
そういう訳だから、もう何も心配しなくていいわ!あなたは、ただ・・・あなたの想うところを、演りたいだけ演りたいように演ればいいの!
ありがとう・・・本当にありがとう・・・
こうして、観音寺彩音のステージが始まった。
初めのうち聴衆は「観音寺彩音」という見慣れぬ演奏者名にざわついていたが・・・
・・・
彩音が鍵盤に触れた瞬間、まるで嘘のように静まり返ってしまった・・・。
そして次の瞬間・・・聴衆はまるで、セイレーンの歌声を聴いた船乗りのように、強烈に魅惑的な音の塊に心を奪われていた。
ウソだ・・・あんな演奏が人間にできるものか!
信じられない!これは夢よ・・・悪い夢を見ているのよ!
ふざけるな・・・。こんな演奏の批評記事をどう書けというんだ!!
演奏が終わっても、しばらく何の反応もなかった。誰もが自分の耳を疑っていたのだ。やがてどこからともなく拍手が上がると・・・
拍手は瞬く間にホール全体を埋め尽くし、彩音は戸惑いの表情を浮かべた。
これは一体・・・・。
俺は、そこまで見届けると静かにホールを後にした。
コンサートホールの出口には、俺の行動を知っていたかのように、姫島先生が立っていた。
もう行くんだ?
はい。今日あの演奏を聴いて決心しました!
俺も外に出ようと思います!
そう!最後に挨拶くらいしていったら?
いや、いいです。きっとまたすぐに会うはずですから
ピアノを弾いている限り
翌日、俺は空港のロビーにいた。行先はまだ決めてない!ヨーロッパか?アメリカか?ロシアも悪くない・・・。
でも行先なんてどこでもよかった。行きつく先はどこも同じ・・・
「世界的なピアニスト」なんだから!