翌日、俺は今回の件を姫島先生に相談するために、10年ぶりに帝都音楽大のキャンパスを訪れた。

嫌な思い出しかない大学だが、それでも10年ぶりに訪れると、それなりに感慨に浸れるものだということを、俺はこのとき初めて知った。

観音寺彩音

・・・

ふと、どういう訳か、俺は観音寺彩音が音大生としてこのキャンパスを歩く姿を想像した・・・。似合わない!これほど違和感のある光景はそうそうない!

しかし、だからといっていつもまでもあの薄暗い地下室に幽閉されているのが正しいとは思えない・・・。

観音寺彩音

・・・

やはり、彼女はスポットライトの当たるステージが、一番映えるんじゃないかと俺は思った。

そんな妄想をしているうちに、俺は姫島先生の研究室の前にたどり着いた。研究室からは、壊れたシンセサイザーのような不協和音が絶え間なく流れてくる。この音色も10年前から何も変わっていない。

有馬 明

またこの音を聴くことになるとは・・・

研究室のドアを開けると、アンテナのついた細長い箱の前で両手を小刻みに動かす小柄な女性がいた。

箱の名前は「テルミン」。1919年に、世界初の電子楽器として、ロシアで発明された楽器だ。安定した狙った音を出すには奏者の高い技量が要求され、演奏には熟練を要する。

姫島由紀子

有馬君、久しぶりね!元気だった?

有馬 明

は、はい。おかげさまで・・・

女性の名前は「姫島由紀子」。俺がいたゼミの指導教授で専攻は現代音楽論。学生時代は世界でも有数のピアニストだったが、突如、ピアノを捨ててロシアにわたり、テルミンやオンド・マルトノといったマイナー楽器の第一人者となった人物だ。

姫島先生がどうしてそんな心変わりをしたのか、ゼミに知る者は誰もいなかった。指導教授のセクハラに耐えかねて泣く泣く海を渡ったとか、付き合っていた男を追って全てを捨てて留学したとか、いろいろと噂だけは広まっていたが・・・。

ともかく、そんな変わり者ゆえに、姫島先生は、自らの才能に驕り、学内の誰からも嫌われていた10年前の俺を快く受け入れてくれたのだった。

もっとも俺はその後、いけ好かないゼミ長の先輩と同じ女を巡って争ったあげく、そんな姫島先生をも裏切って中退してしまうのだが・・・。

姫島由紀子

フフ、どうやら私と昔話はしたくないみたいね・・・

有馬 明

す、すみません・・・。そのとおりです。

姫島由紀子

分かったわ!じゃ、前書きはいいからメールにあったミトンちゃんのビデオ見せてよ!

有馬 明

そうですね。お願いします。

俺は、事前にメールで知らせていた通り、姫島先生に観音寺彩音の演奏を見てもらうことにした!

有馬 明

先生、どうでしょうか!

姫島由紀子

へえ、ずいぶん女の子の好み変わったんだね!

有馬 明

はあ?そんなことないすよ!!

有馬 明

もし俺が今、付き合うならば・・・

ごめん!明くん待った?

有馬 明

って感じの子が好みです!!

姫島由紀子

ハハハ、それを聞いて安心したわ!

とはいえ、それはあくまで恋愛に関しての話・・・。音楽の才能でいえば、全く別だ!

あのクソ親父を殴って、身柄をさらってでも彼女を広い世界に連れ出してやりたい!!あんな牢獄のような場所にこれほどの天才がいるのは絶対に間違っている!!いつしか俺は言いようのない激情に駆られていた。

有馬 明

どうですか!すごい演奏でしょう?

姫島由紀子

確かに、君がこれだけご執心なのも無理はないわね・・・

姫島由紀子

でもそれが本当に彼女にとって幸せなのかしらね・・・?

姫島由紀子

お父さんは、娘をマスコミどもの見世物にされたくないと思ってるんじゃないの?

有馬 明

はあ?自分が愛人に産ませた子を世間に知られたくないだけですよ!

有馬 明

それに、彼女は世界レベルで活躍するべき天才です。初めから日本のマスコミなんかの相手じゃないんだ!

有馬 明

お願いします!何とか姫島先生の力で、彼女を助け出してやってください!!

有馬 明

このまま一生、あの日の当たらない地下室で、誰も聴いていないピアノを一人で弾き続けるなんてあまりにもかわいそうです・・・。

姫島由紀子

分かったわ!それじゃ、私が何とかするわ!

有馬 明

ありがとうございます!!

有馬 明

でも・・・先生には一体どんな解決策があるのですか?

姫島由紀子

ハハ、簡単よこれくらい!私の力を甘く見てもらっちゃ困るわ

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