メナのベッドから見える夜空は、部屋が小さいせいか、随分大きく写る。ゴッツ爺の居るシーベルトとは、この空で繋がっている。おセンチに故郷を懐かしむ気持ちが、ハルの脳裏に浮かぶ。

ハル

爺ちゃん、ペクンタの
世話、出来てるっすかねぇ。

 故郷で飼っているジョージィ牛のペクンタが少し恋しい。まだ、四日しか経っていないのに、早くも取れたての牛乳が飲みたくなってきた自分を鼻で笑い飛ばした。
 明日にはディープスに向かう事を決めていたハルは、昨晩と違いなかなか寝付けないでいた。

ハル

旅立つのが名残惜しいっす。

 そんな独り言を呟くハルの耳に、物音が飛び込んで来る。

 昨晩と違う音だったが、同じ方向から聞こえてきた。メナの叔母さんが言ったように、家畜小屋が確かにあるのを、ハルは昼間確認していた。

ハル

しつけに苦戦してるっすね。
ペクンタを見事に育てた自分も
協力するっす。

 ハルのこの独り言は事実ではない。ハルが赤ん坊だった頃、母親の乳の代用として飲んでいたのが、ペクンタの乳である。むしろ育てられたと言ってもよい。しかし、家畜や動物からは懐かれやすいのは確かだった。
 昨晩恐る恐る降りた暗い階段を、すたすたとゆくハル。その調子で玄関を出て、家畜小屋に入っていった。

ハル

おー、よしよし。
かわいいポニーじゃないっすか。

 入口の近くにいたのは小ぶりで歳を取ったポニーだった。ハルが全身を撫でまわしてやると、身体を摺り寄せて喜んだ。戸板一枚隔てて、奥にも厩があるみたいだ。

ハル

お?
こっちにも何か
いるっすかね?

 フットワーク軽く奥の厩を覗き込む。

ハル

なっ!!

 目に飛び込んできたのは、衝撃的な光景だった。そこには、メナの叔母さんと、叔母さんから体罰を受けたであろう傷付いたメナが居た。

ハル

メナ! 酷いケガっす。
大丈夫っすか!

 メナに駆け寄るハル。埃だらけであちこちに血が滲む部屋着を着たメナ。痛みで声が出ない中、ハルを心配させまいとして少し笑ってみせた。

メナの叔母さん

…………

 メナの上半身を支えるハルは、見下ろされる視線を背中に感じた。凍り付いてしまうくらいの冷たい視線だ。

メナの叔母さん

どいてちょうだい。

ハル

何でこんな事するっすか!

メナの叔母さん

何でって、
あなたには関係ない事。

ハル

関係あるっすよ、
メナは自分の、

メナの叔母さん

いいからどきなさいっ!!

 メナの叔母さんは、ハルが居るのをおかまいなしに持っている棒を振り上げる。そして即座にメナに向かって振り下ろされる。

 ハルがメナを庇い、メナを守るように覆いかぶさる。ハルの背中に走る衝撃は、女性が振り回していると言えど生易しいものではなかった。

メナの叔母さん

使えない小娘がっ!
使えない小娘がっ!
使えない小娘がっ!
小娘ぇっ!
がっ!
がぁっ!
っがぁっ!!
がぁっらっ!!

 狂ったように棒を振り回すメナの叔母さん。その瞳は、狂気を宿し血走っている。乱雑なその衝撃の嵐を耐え続けるハルは、痛みの中で、メナを不憫に思った。
 メナの叔母さんの言葉から、おそらくは、職にありつけない・ガロンを稼げないメナに怒っているのだろう。メナ達はお世辞にも裕福ではない、それどころか並以下の生活をしているのはハルには分かっていた。ただ日々を生きるというだけの厳しさを、実感してしまう。

メナ

ひ、酷い。
ハル、私はいいから。

ハル

いい訳ないじゃないっすか。

メナ

私が悪いの。
生活するのも大変だから。

ハル

それでも酷すぎるっす。
こんなのって、許せないっすよ。

 メナと出会った日、メナがハルの事を羨ましいと言った事を思い出した。勇気がないというメナの言葉は、勇気さえあれば何かをしたいという事だ。今更になってそれに気付いたハルは、自分の鈍感さを恥じた。

 今迄いいように殴られていたハルが、振り回されていた棒を掴む。棒を止められたメナの叔母さんは、必死に振りほどこうとするがビクともしなかった。

メナの叔母さん

離しなさい!

ハル

少し静かにしてて欲しいっすよ。

 普段の騒がしいハルからは想像し難い静かな雰囲気。激高していたメナの叔母さんは、その雰囲気にのまれ圧倒されたように動かなくなった。

ハル

メナ!
本当にしたい事ってのは
何なんすか?
メナの望む事、求めるものって?

メナ

本当に……、したい事……。

ハル

そうっす。

メナ

何、言ってるの、ハル。
私は、別に……。

ハル

本当は自分では
分かってるんじゃないっすか?

 ハルのメナを見据える目が、メナの心の奥底にある望みを湧きあがらせる。

メナ

私なんて……、何も……

ハル

自分も一緒だったっすよ。
外の世界に出たい気持ちを、
なんだかんだ言って
押し殺してたっす。

メナ

そ、外の世界……。
押し殺すって……私は。

ハル

一緒に行くっすよ、
ディープスに。

メナ

ええっ!?

ハル

一緒に両親
探しにいくっすよ。

メナの叔母さん

はぁっ? 両親?
何言ってるの?
とっくに死んだに
決まってるじゃないの。

ハル

そんなの分かんないっすよ。

メナ

ハル……

メナの叔母さん

それにこの子みたいな愚図に
何が出来るって言うの。

ハル

出来るか出来ないじゃないっす。
メナがどうしたいかっすよ。

メナ

どうしたいか……、私が……

 メナの中で眠っていた気持ち。勇気が足りないと口にした自分の気持ち。出来ない事と決めつけ、塞いでいた気持ちは、ハルの言葉で一気に溢れ出た。

メナ

私、お父さんとお母さんを
探しに行きたい。

メナの叔母さん

死んでるに決まってるわ。

メナ

どんな残酷な結果でも私は知りたい。
二人がどうしてそこに向かったかを。

メナの叔母さん

あなたを捨てていった人達よ。

メナ

何か事情があったはずだわ。
いや、なくったっていい。
少しでも二人の事を知りたい。

メナの叔母さん

ックゥ!

 メナの決断に、メナの叔母さんは絶句した。メナの強い思いを止められないと感じたに違いない。

メナの叔母さん

フンッ、好きになさい。
どうせこんな愚図を置いてたって
金にならないんだ。
だけど今までの世話代として
100ガロン銀貨を最低でも
10枚は置いてってもらおうか。

メナ

そ、そんな……

 当然メナの手持ちにそんな大金はなかった。仕事にありつけてないのだから当然だ。

ハル

自分が出すっすよ。

 ハルの手には100ガロン銀貨1枚と10ガロン銅貨が数枚乗せられていた。

メナの叔母さん

笑わせんじゃないわよ!
全然足りないじゃないか!

 そう言ってハルの手の上の貨幣を払い落す。鼻で笑ってみせたメナの叔母さんの目に、無表情のハルが写る。

ハル

全財産っすよ。

メナの叔母さん

だから足らないって
言ってんのよ!

 ハルは胸元から何かを取りだした。それはメナの叔母さんの怪訝な顔色を、強烈に照らした。

メナの叔母さん

なっ!!
金貨ですって!?
いっ、10,000ガロン金貨!

ハル

さっきのと合わせて
手持ち全額っすよ。
遠慮なく使ってくれっす。

メナの叔母さん

ほ、ほほほほ。
良い心がけよ。
好きにするがいいわ。

 メナの叔母さんは、天井を突き抜けるように甲高く笑った。二人に目もくれず、普段目にする事のない金貨を取り上げ、まじまじと見入った。

ハル

メナ、行くっすよ。

メナ

わ、はわわ。

 メナの手を取ったハルは、満面の笑みをこぼす。一瞬驚いたメナもまた、屈託ない笑顔を返した。

メナ

ハル、ありがとう。
私もようやく踏み出せる。

ハル

メナの一歩目はここからっす。

 固く手を取り合った二人は、月夜のリユーマイトへ旅の一歩を踏み出した。

 ~新章~     7、新たなる旅立ち

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