【33】深紅
音がした。
目の前に飛び散った紅が
鮮血
だと気づくのに
あまり時間はかからなかった。
でも
それが何処から出てきたのかが
わからなくて
お前……は……
オッサンの声が聞こえて
なにかが倒れる音がして
はい消えたー!
虎次郎!?
気がつくと、
虎次郎が記憶と同じ顔で
へらへらと笑っていた。
何故虎次郎がここにいる?
彼はシアタールームで手形を残して
消えたはずだ。
何故、
やだなぁ、みんなして僕のこと死んだ扱いってわけ?
剥製だって僕の分があったのに?
虎次郎はそう言うと
床の上で開かれたままになっていた本を
拾い上げた。
ほら、僕は死んでなんかいない。
ちゃんと証明されてるでしょ?
例の静物画。
そう言えばオッサンが
薔薇と一緒にある白い花のことを
「トラノオ」だと言っていた。
トラノオ。
「虎」。
虎次郎……?
来栖さん!!
そ、そうだ、オッサン!!
杏子の悲鳴に、俺は慌てて
倒れているオッサンに駆け寄った。
床に血だまりが広がっていく。
オッサン!!
どれだけ呼びかけても
返事をしない。
動かない。
オッサンが銃を持っていたことも
驚いたけれど
だけど、それ以上に
無駄だよ。
もう動いてない
何故。
俺は虎次郎を見た。
すぐにいなくなってしまったから
あまり憶えていないけれど
こんな感じの
冴えないオタク青年だった。
とても
銃なんか撃てそうにない感じの。
でも、
虎次郎が撃ったのか?
銃マニアだという裏設定があって
扱いを知っていたとしても、
そう簡単に人に向かって
引き金って引けるものなのか?
無駄とか、なにわけのわかんねぇこと言ってんだよ!!
あ、いいのかな、そんなこと言っちゃって。
あのオッサンの後を追うことになるよ?
虎次郎は笑いながら
俺に銃口を向けた。
向けながら
もう片方の手で
呆然としているうさぎの手を掴む。
僕が生きてたってのに、みんなそこには感動しないわけ?
死んだオッサンより僕でしょ?
んなこと言ってる場合か!
なにやったかわかってんのか!?
狂ってる。
虎次郎はそんな俺には目もくれず
うさぎを振り返った。
じゃあ行こうか、うさぎちゃん
以前と同じ
頼りなさげな青年は
その顔からは予想もできない強引さで
うさぎを引きずるように連れて行く。
い、行くって、何処へ
なに言ってるのさ。
僕はうさぎちゃんの騎士だよ?
騎士?
それじゃさっきのあの声は
あれは……お前なのか!?
あの暗号も、全部お前の仕業なのか!?
フェンリルも?
配膳室に行けなくなったのも?
俺たちをここに閉じ込めたのも?
邪魔者はみ~んな排除してあげる。
あの女も。
あのキザったらしい軍人も。
この汚いオッサンも。
虎次郎は答えない。
キリオが消えた時
オッサンが俺に言った言葉を
思い出した。
殺られたことにしてさっさといなくなれば自由に動ける
あの時はまだ
犯人がキリオか虎次郎か、
はたまたオッサンかわかっていなかったし
オッサンも特定する気は
なかったみたいだったけど
まさか
本当に虎次郎が……?
うさぎちゃんには僕だけいればいいんだよ
虎次郎はそう言うと、
と、うさぎの手を引いた。
うさぎちゃんは僕が生きてたこと、喜んでくれるよね?
ひっ!
あ、あたしは
ヨロコンデ、クレルヨネ?
……
相手が銃を持っているからだろうか。
人をひとり殺したのを
目の当たりにしたからだろうか。
虎次郎に対して
あれだけ強気だったうさぎが
何も言えないまま身を強張らせている。
さあ、行こう
強張らせたまま
連れて行かれようとしている。
待て!
追いすがろうとした俺に
虎次郎は無言のまま銃を向ける。
……
そうやっておとなしくしてりゃ、撃ったりしないさ
そうして俺と杏子を残したまま
虎次郎はうさぎを連れて
部屋を出てしまった。
……ねぇ、うさぎちゃんたちってここから出て行ったの?
それからどれくらい経っただろう。
ずっと動けないまま
彼らが出て行った扉を
見続けていた俺は、
杏子の声に我に返った。
わかんねぇけど……行ったんじゃねぇの?
彼らが無事に出て行けたのか、とか
虎次郎はその術(すべ)を
知っていたのか、とか
どうやって知り得たのか、とか
出て行けてよかったね、とか
自分たちだけ逃げ出して
なんてやつ、とか
うさぎは大丈夫だろうか、とか
そんないろいろよりも
撃たれずに済んでよかった、と
それだけしか思えなかったのは
オッサンのことを
目の前で見てしまったばかり
だからかもしれない。
オッサンには悪いけど……俺らも行くか
わからない。
なにもかもわからない。
今回のことは全て虎次郎が
仕組んだことなのか?
でも
フェンリルみたいに
虎次郎が、いや人間が
できる範囲を超えている部分は
どう説明したらいいんだ。
オッサン……
ちゃんと葬ってやろうにも
ここにはなにもない。
仕方ないので
テーブルクロスを剥がして
その身体の上にかけ、
追憶という花言葉の枝を
供える。
橘、か
橘。
そう言えば虎次郎もうさぎも
字は違えど「タチバナ」だった。
そうして花を供えて
俺が腰を上げた時
杏子がぽつりと呟いた。
それなんだけど、
時計の元に行けるのはひとりだけなんじゃなかった……?
……
いいことを教えてあげよう。
時計の元に行けるのはひとりだけ。
肩を並べる必要なんてない。
たったひとり、
生き残った者だけが
時計の呪縛から
逃れることができるのさ。
あの声はそう言っていた。
虎次郎の出現で
てっきりあの声は虎次郎のものだと
ばかり思っていたけれど
うさぎを連れて
出て行くという行動は
それと矛盾している。
……
俺は彼らが出て行った扉を開けた。