朝、窓の外を見るとあたり一面が真っ白だった。
朝、窓の外を見るとあたり一面が真っ白だった。
うわ。
寒そうだな
パパが私の横でネクタイを締めながら、めんどくさそうな顔で言った。
私は休み時間に皆で雪合戦が出来るかもしれないと思い、ワクワクしていた。
夢ちゃん。
早く朝ごはん食べちゃいなさい。
皆を待たせてしまうわよ
ママが朝食のお味噌汁をテーブルに置きながら、私に声をかけた。
私はまだ小学一年生になったばかりなので、同じくらいの子供が集まって、近所の上級生のお兄さん、お姉さんに連れられて集団登校することになっていた。
ママはいつも慌てさせるのだけど、この時間ならまだまだ早く着いてしまって、待たされるのは私の方になるのだ。
といいつつ、いつも早めに集合場所にやってくる大好きなお姉さんがいるので問題ないのだけど。
はぁい!
皆を待っている間に、お姉さんと小さな雪だるまを作るのも楽しそうだなと思いつつ、私はママに返事をした。
集合場所は、歩いて五分くらいの所にある床屋さんの入口前だ。
床屋さんの子も集団登校のメンバーだけど、目の前が待ち合わせ場所なのに来るのは一番遅い。
多分、今日も床屋さんの子が眠そうな目を擦りながら一番最後に来るんだろうな。
そんなことを考えながら一歩踏み出すと、私の足が白い地面にめり込んで、綺麗な足跡を残す。
ウキウキした心を抑えきれずに、雪を手で握ってみたり、ケンケンで片方の足跡を連続で作ってみたりした。
途中、歩道の脇から下へと降りる四段くらいの小さな階段があり、その先に小さな公園がある。
いつもよりゆっくりのペースで歩いて、その公園まで来た時、人影が目の端に見えた。
私は何となくその人影のある公園の方向に目を向けた。
公園の小さな建物の壁に背中を向けて、汚れたコートを着た二人のおじちゃんが、並んで座っていた。
きっとこのおじちゃん達もホームレスなのだ。
私はどうにも気になって、ガードレール越しにおじちゃん達を見ていた。
不思議なことに、一人だけあちらこちらに雪が乗っかっていた。
さっきまで雪に埋もれていたのを、もう一人のおじちゃんが掘り返したみたいだった。
よく見ると雪が乗っかってる人は、昨日私が財布を渡した、あのホームレスのおじちゃんだった。
私は、雪が積もって足場が見えにくくなった階段を、ゆっくりと下りた。
お嬢ちゃん、どうかしたかね
ホームレスのおじちゃんの隣であぐらをかいて座っている人が、前歯の欠けた口でニッカリ笑いながら言った。
こっちのホームレスはおじちゃんというより、お爺ちゃんだ。
このおじちゃん、眠っているの?
昨日出会ったホームレスのおじちゃんは目をつぶっていて、眠っているようだった。
ああ、眠ってるんだ。
寝坊しちまったんだわなぁ
起きている方のお爺ちゃんは、丸い大きなヒゲを手でワシャワシャと弄りだした。
こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ。
起こしてあげなきゃ
そんなことを言いながらも、一方ではホームレスのおじちゃん達は家がないのだから、いつもこんなところで寝ているのかなと思った。
それはさておき、寝坊となると早く起こしてあげた方がいい。
私だって寝坊しないようにいつもママに起こされている。
私は足元に注意しながら、ホームレスのおじちゃんに近づいていった。
いいっていいって。
もう手遅れだからな。
ほら、完全遅刻ってやつだ。
だったら、ゆっくり寝かせてやらにゃ。
このおっちゃん、諦めて寝ちまってんだからよ
丸いヒゲのお爺ちゃんにそう言われて、私は歩みを止めた。
そういえばだいぶ前、一度だけパパとママが揃って寝坊してしまった日があった。
パパは「諦めた」とか言って、すぐさま布団に潜り込んだっけ。
このおじちゃんもあの時のパパと同じなんだ。
いつもならなぁ。
わしはこのトイレで夜中に洗濯をしに来るのが日課だでなぁ。
だからいつも通りにここへ来てたら、このおっちゃんを起こしてやれたんだけどよ。
なんでだろうなぁ。
昨日は急に面倒になってよ
丸ヒゲお爺ちゃんは腕を組み、眉を寄せて目をきつく閉じながら言った。
その顔が、つい先日ママに読んでもらった絵本に出てきた、顔のある木のお化けにそっくりで、どこか可愛らしく見えた。
お嬢ちゃん、山田さんのお知り合いかね
このおじちゃん、山田さんって言うんだ
私のクラスにいる山田君という男子が頭に浮かび、同じ苗字だから覚えやすいなと思った。
うん。
知ってるよ。
昨日、山田さんに財布をあげたの
言いながらパパとママにそのことで注意されたのを思い出し、声が自然と小さくなる。
ほう。
お嬢ちゃんの財布をかえ?
ううん。
拾ったの
悪いことを告白する気分だった。
どうして山田さんに拾った財布をあげたりしたんだい、お嬢ちゃん
丸ヒゲお爺ちゃんは目をキョトンとさせ、口元を軽く微笑ませて言った。
特に怒った様子はなく、ただ聞いてみたいから聞いている感じだった。
だって。
ホームレスの人はお金がなくて可哀想な人だってママが言ってたから……
かっかっか!
お金がないのは正しいがよ。
可哀想なもんかい
丸ヒゲお爺ちゃんは大きな声で笑い出した。
その様子を私が不思議がって見ていると、丸ヒゲお爺ちゃんは眠っている山田さんの顔に右手の親指を向けた。
見てごらん。
気持ち良さそうな寝顔だろうて。
道端で寝ているホームレスを五万と見てきたが、こんな安らかな顔で寝とるやつを初めて見たわ
そう言われて山田さんの顔を見ると、確かに幸せそうに笑っていた。
きっと、いい夢を見ているに違いない。
いいかいお嬢ちゃん。
本当に可哀想なのはわしなんだよ。
だから今度から拾った財布はわしに届けるんだぞ
駄目だよ。
拾った財布は交番のお巡りさんに届けるんだから
私は、ちょっと悪いことを企んでいるような顔でニヤけている丸ヒゲお爺ちゃんに、きっぱりと言った。
かっかっか!
お嬢ちゃん、一つ賢くなったってわけだなぁ。
そりゃ残念だ
そう言って丸ヒゲお爺ちゃんはもう一度笑い出した。
山田さんは幸せ者よ。
お嬢ちゃんのような優しい子に、ちゃんと覚えててもらえたんだからなぁ
じゃあ、お爺ちゃんのお名前は?
私が尋ねると、丸ヒゲお爺ちゃんは笑うのをやめて首を傾げた。
ニトロじいさんだ。
覚えててくれるのかね?
ニトロじいさんと名乗ったお爺ちゃんは、目を細めて優しく笑った。
うん。
だからニトロお爺ちゃんも幸せになれる?
うむ。
これでわしも幸せ者だな。
かっかっか!
人に覚えてもらうだけで幸せになれるのなら、とても簡単なことだ。
いつだったかパパがママにお仕事の話をしている時、人の繋がりは大事だとか言っていた。
その後、私にお友達を沢山作るんだぞって言っていた。
それはきっと幸せに必要なことなんだろう。
大きな口を開けて笑うニトロお爺ちゃんの顔を見ながら、私はそう思った。
そうそう。
お嬢ちゃんに一つだけお願いがあるんだ。
山田さんがぐっすり眠れるように、一緒に子守唄を歌ってくれんかの。
ほら、ねんねん、ころりよーってやつな
うん。
いいよ
もう眠っている山田さんに、そんなことをしたら逆に起こしてしまわないかとも思ったが、歌うのは嫌いじゃないし、子守唄を歌ってあげると、山田さんはもっと幸せになれるような気がした。
よし。
じゃあ歌うぞ。
さんはい
ねーんねんーころーりーよー
ニトロお爺ちゃんの合図で歌い始める。
おこーろーりーよー。
坊やはー……ねぇ、ニトロお爺ちゃん
おっとっと。
どうしたんだい?
山田さんは坊やじゃないよ。
大人だよ
そんな小さな疑問を口にしながらも、大人用の子守唄なんてものは無いんだろうなぁと思った。
子守唄は子供を眠らすための歌だもの。
だから山田さんに歌うのは、やっぱり変だと思った。
いいのいいの。
輪廻転生と言うてなぁ。
山田さんはこれから坊やになるのさ。
だから歌ってやろうな
ニトロお爺ちゃんは笑っていたが、その顔を見てるとなぜかちょっとだけ悲しい気持ちになった。
さんはい!
ねーんねーんーころーりーよー。
おこーろーりーよー。
坊やはーよいーこーだー
山田さんはどんな夢を見ているのだろう。
歌っている途中、私は山田さんが坊やになって学校のお友達と一緒に遊び回るところを想像していた。
だけど、想像の中では坊やなのにヒゲが生えてて、それがおかしくなって私はついつい笑ってしまった。