僕は水実にお願いされて、直人様に残していただいた物をイメージし、カウンターの何もない空間に手をかざした。
やがて、飲み物が入っている蓋のついたカップがカウンターの上に現れる。
そのカップを見ながら、少女の身代わりとなった大岩直人様のことが脳裏に浮かんだ。
僕はふと考える。
人は死ねばそれで終わりだ。
現世とは無縁の存在となるのに、なぜ自分が死んだ後のことまで考えるのだろうか。
死ぬということは、この世との接点が切れるということだ。
そんな世界に何かを残しても無意味ではないだろうか。
例えば発明王エジソンは多大な功績を残し、死んだ後も称えられているが、それを彼が喜ぶことはできない。
そう考えると生きていることそのものにも、意味なんてない気がしてくる。
この疑問は身代わりになる全ての人を否定している。
それは、バー・アルケスティスの存在意義も否定しているに他ならないのだが、それでも考えることを止められなかった。