私は月に一、二回くらい、パパとママに連れられて、外でお夕飯を食べに行く日があった。



 この日もテレビのCMでもよく見かけるファミリーレストランで、目の前に置かれたお子様プレートのハンバーグにフォークをめり込ませながら、私は幸せを噛み締めていた。



夢ちゃんってば、ほんと目が離せなくて

 ママが私を横目で見たあと、少し笑いながらパパに話しかけた。

何かあったのか

 パパが大きなステーキをナイフとフォークで上手に切りながら聞き返す。



 きっとママは、駅でのことを話すつもりなのだ。



 この日は土曜で学校はお休みだったが、パパは夕方までお仕事だったので、ママと二人でお出かけすることになった。



 お昼前、ママに手を引かれながら駅へ行くと、私は落ちている財布を見つけた。


 ママが切符を買っている隙に、私は落ちている財布を拾って駅の外へと走り出した。



 財布の中身は見ていないが、財布はお金を入れる物だ。


 だからきっとお金が入っているだろう。



 可哀想なホームレスのおじちゃんも、お金があれば幸せになれるはずだ。


 そう思って私は、いつも公園のベンチで空を見上げているホームレスのおじちゃんに財布を渡してきたのだった。



 そのあと、急にいなくなった私を探して駅の構内でキョロキョロしていたママにちょっとだけ怒られてしまった。



 電車が来る時間が迫っていたから、その時はホームレスのおじちゃんに財布をあげたことを話す暇はなく、電車に乗って外の景色を眺めているうちに、もう財布のことは忘れていた。



 切り取ったハンバーグを口の中に入れながら、私は今になって財布をあげたホームレスのおじちゃんのことを思い出した。



 ホームレスはお金がないから、いつもはご飯もまともに食べられないはずだ。


 今日はあのおじちゃんも今の私と同じように、美味しいご飯を食べているかもしれない。


 もしそうなら、おじちゃんもきっと幸せだと感じている。

越谷 夢乃

パパ、ママ。
美味しいね

 私が幸せを声にすると、パパとママがにっこり笑って私を見た。

ママの料理は美味しいけど、たまには外食もいいな

 パパがお腹を摩りながら言った。


 パパは覚えていないのかもしれないが、外でご飯を食べると、いつもこのセリフを口にしている。

そうね

 ママは私の首にマフラーを巻きながら、苦笑いで答えた。



 ちょっと前までは、「ママの料理も美味しいけど」というところが、ママは気に入らない様子だった。

「いちいち私へのフォローを入れるあたりが、なんだか嘘くさいんだよなぁ」



 ママがそんなことを口にして、パパが焦りながら言い訳をする流れだったのが、あまりにもパパが同じことを言うので、ママの返事もそっけなくなったようだ。


 私はちょっと前までのパパとママのやり取りが大好きだったので、少しだけ寂しく思っていた。



 パパとママの歩く速さはゆっくりで、大人って皆歩くの遅いなぁと思いながら、先へ先へと小走りで進む。

危ないぞ

 パパが慌てて私の手を掴み、大人のゆっくりに付き合わされることになる。



 レストランのショーウィンドーや赤い提灯が沢山並ぶ見慣れた夜の街も、クリスマスが近いせいか、いつもより光り輝いていた。



 ふと、私が歩いている歩道の向かい側を、力なく歩く人影が目に止まった。


 今にも倒れそうなぐらいにフラフラで、普通に歩いている人たちと比べると、どうしても目に留まりやすかったのだ。



 しばらくして、それが財布を渡したホームレスのおじちゃんだと気付く。

越谷 夢乃

あ、おじちゃんだ

 私は夜の街で、偶然にも知っている人を見つけた小さな喜びで、声を上げた。



 ホームレスのおじちゃんは、私の声が聞こえたようで、俯いていた顔を上げて辺りをキョロキョロと見渡した。



 ママが読み聞かせしてくれる絵本は、可哀想な女の子やお兄さん、お爺ちゃんや動物達が、最後にはたくさんの食べ物や大きな家を手に入れたりする。



 だからホームレスのおじちゃんも、美味しいものを食べることができたのではないだろうか。


 もしかすると、温かい家に住めるようになったのかもしれない。



 私が渡した財布で、ホームレスのおじちゃんが幸せになれたのかを知りたかった。



 私は今日も幸せだったよ。


 おじちゃんは?



 私の手を握る父の手を振りほどいて、おじちゃんに向かって両手を振った。

越谷 夢乃

おじちゃぁん!

 私の声で、おじちゃんがこちらを見た。


 おじちゃんは私を見つけるなり、目を丸くして驚いている。


 それはなぜか怯えているようにも見えて、私が思っていた幸せな顔とは全然違っていた。

夢ちゃん。
あのおじさん、知り合いなの?

 ママが後ろから私に問いかける。

越谷 夢乃

うん。
夢ね、あのおじちゃんにお金あげたんだ

 物語に出てくる魔法使いがシンデレラに素敵なドレスを与えるように、湖から現れた女神様が金の斧を与えるように、私も可哀想なホームレスのおじちゃんに、拾った財布を渡したのだ。



 この時の私は、物語と現実の当たり前が、まったく違うものだというのを分かってなく、正しいことをしたのだと信じていた。

あげた?
どういうことだ?

 パパが普段はあまり見せない厳しい表情で私に詰め寄った。


 こんなパパの顔を見るのは初めてかもしれない。

ちょっと、夢ちゃん。
それ、きちんとお話して

 ママも少し怒ったような顔を私に近づけて言った。



 ホームレスのおじちゃんの怯えた顔も、パパとママの厳しい表情も、何もかもが私の思っていたものと違っていた。


 ありがとうとおじちゃんにお礼を言われて、いいことをしたねとパパとママに褒められると思っていた。



 私は少し怖くなり、不安な気持ちでおじちゃんを見た。



 すると、おじちゃんがまるで逃げ出すかのように突然走り出した。



 どうしたというのだろう。


 まるでおじちゃんが悪いことをしたかのようだ。



 この時私は、ホームレスのおじちゃんのいる道が、車道を挟んだ向かい側の歩道だとは思っていなかったのだ。


 というのも、車道は車二台分くらいがギリギリ行き来できるかどうかの幅だったし、ほとんど車が通ることはない。



 道行く大人の人や、腰の曲がったお爺ちゃんやお婆ちゃんだって、右も左も見ずに渡っているのを何度も見ていた。

越谷 夢乃

あ、おじちゃん

 逃げ出すホームレスのおじちゃんを追いかけようと、走り出した。


 車道に飛び出していることなんて、まったく気が付いてなかった。

 その時、眩しくてまともに目を開けていられないくらいの真っ白な光が私を照らした。



 周りの音が全く無くなり、世界に私だけが取り残されたような気がした。



 本当はとても短い時間だったはずだけど、それはとても長く感じられた。






 光はどんどん大きくなり、やがて私を包み込んだ。

夢!

 私は肩を掴まれて強い力で後ろに引っ張られた。


 止まっていた時間が突然動き始めて、街のざわざわした音がゆっくりと戻っていった。



 とても不思議な出来事だった。


 まるで、天国を覗いてきたような気分だった。



 私がパパの手によって歩道に引き寄せられると同時に、白い車が私の目の前を通り過ぎていった。

どうして急に飛び出したりするのよ!
危ないでしょ

 ママは目に涙を浮かべながら、私を大きな声で叱りつけた。

危なかった。
あの車、スピード出し過ぎじゃないか?

 パパは私の肩を掴みながら、走り去った白い車を睨んでいた。



 私はというと、一体何が起こったのかわからず、ただただママの顔を眺めていた。



 突然パパが走り出す。

ちょ!
パパ?


 ママがパパの背中に向かって叫びだした。


 パパはホームレスのおじちゃんが逃げていった方向に走っていった。


 何故なのかはわからないが、ホームレスのおじちゃんの後を追いかけていったらしい。

もう。
どうしたっていうのよ

 ママが少し怒った顔で、パパが走り去っていった方向を見ていた。



 しばらく待っていると、パパが歩いて戻ってきた。

一体何があったっていうの?

 ママがパパに問い詰める。

うちの娘のせいで人様のお金が盗られたってことになるだろ。
だから追いかけたんだよ。
だけど、あのホームレスはちゃんと交番に財布を届けたらしい。
遠くからだけど見届けたし、交番のお巡りさんにも話を聞いてきた

 肩で軽く息をしながらパパが言った。


 その時、私は初めて自分が間違ったことをしてしまったらしいと気付いた。

だからって……

夢乃の行動は親である俺たちの責任だ。
なんにしても、あのホームレスが良識のある人間でよかったよ

 パパはさっきホームレスのおじちゃんが逃げていった方向に目を向けて、ちょっとだけ微笑んでいた。



 よくわからないが、どうやらパパがあのホームレスのおじちゃんに良い印象を持ったみたいだった。


 パパの顔を見て、少しだけホッとした。

確かに、そうかもしれないわね。
夢ちゃん、今度から拾った財布はちゃんとお巡りんさんに届けなきゃだめよ。
それから、道路に飛び出すのもダメ。
わかったわね

 ママは私の肩に両手を乗せ、厳しい声で言った。

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