亀の恩返し
21.生き返ることを願う。
生きなければ
生きて、太郎さんを地上にお連れしなければ
彼をこんな海の底まで
連れて来てしまった責任を
私は
取らなければいけない。
太郎さんだけでも……!
私は蓋を開けると
薬を一気に飲み干した。
乙姫様! 乙姫様!
大変でございます!!
その日、
太郎を隣に置いて
くつろいでいる乙姫の元に
1人の兵士が駆け込んできた。
何事じゃ騒々しい
いつも平和な竜宮城に
似つかわしくない緊迫感が
あたりを漂っている。
この異変を察したのだろう、
乙姫は腰を上げた。
兵士は言う。
見たこともない巨人が城を破壊しております!!
巨人!?
そんなもの、さっさと片付けるがよい!!
海の底に巨人?
目の錯覚かなにかではないのだろうか。
そんな訝しげな視線を
乙姫は兵士に投げつける。
説明に窮した兵士は
一時、言葉に詰まり、
それが……
うぎゃ――――っ!!
説明のかわりに兵士の口から
発せられた悲鳴は
地鳴りのような音に掻き消された。
天井から
壁から
ぱらぱらと瓦礫が落ちる。
ひび割れた壁から水が染み出す。
給仕や踊り子たちが
慌てふためき
我先にと逃げ出していく。
たーすーけーてー!!
たーすーけーてー!!
狭い入口は
そんな魚たちに埋めつくされ、
出ることもできない。
ええい! どかぬか!!
そこをどけ! 愚か者!!
ぎゃあああああ!!
乙姫の声も
パニック状態の彼らには届いていない。
たーすー
その時。
一際大きな音がして天井が崩れた。
その砕けた天井の向こうから
乙姫を見下ろす1体の巨人がいた。
な、なんと……
銃口は乙姫に向けられている。
この城は包囲した!!
降伏を認めなさい!!
巨人の声が響く。
なにかを通したようなくぐもった声だが
乙姫はその声に聞き覚えがあった。
その声は……カメ!?
何故……お前はあの時にばっさりと
そこにもう1体の巨人が現れる。
ほらぁ
太郎様はお助けしたわよ~
太郎様!?
乙姫は慌ててまわりを見回す。
が、何処にもあの人間の男はいない。
この騒ぎで太郎を
放置していたことを彼女は悔やんだ。
踊り子たちと逃げ出したわけでは
なかったらしい。
おのれ……カメの分際で!!
卑怯者!
さっさと降りてくるが良い!!
貴様などすっぽん鍋にしてくれるわ!
乙姫は巨人を見上げ、
語気を荒げた。
カメに対する罵詈雑言を
これでもかと並べ立てる。
それは
長年尽くしてきたカメへの感謝など
全く見受けられず、
ただ、自分の玩具を取り上げたことに
対する怒りだけで
埋めつくされていた。
カメはしばらく黙っていた。
黙って乙姫の言葉を聞いていた。
そして
最後まで変わらないのですね
……さようなら
う……う~ん……
気がつかれましたか!?
太郎さん!!
あ……カメ?
なんで……俺はいったい……
ああ……なんかでっかい音がして竜宮城が崩れたんだっけ……
そうよ~。それをあたしたちが助けたってわけ
薬を飲んで息を吹き返した私の前に
現れたのは海の魔女だった。
太郎さんを助けると言って
きかない私に
あの巨人を貸してくれたのも
彼女だった。
それで……乙姫ちゃんは?
……
竜宮城は壊滅した。
ほうほうのていで逃げおおせた魚も
いたけれど
その中に乙姫様はいなかった。
あの女はね
昔っから若い男を誘いこんではその精を吸い取ることで若さと美貌を維持してきたのさ
自分は竜宮城から動けないからまわりの魚たちの動向を探ってね
甘いことを言って連れて来させてはその男たちを……
あたしの王子様もそうやって……
そっか……
それじゃ、乙姫ちゃんはもう
太郎さん……
寂しそうな太郎さんに
本当にこれで良かったのだろうか、との
疑問が浮かんでくる。
いや、これで良かったはずだ。
あのままでは太郎さんは、
で、薬が本物だってことはわかったでしょ?
……ええ
太郎さんのために生き返った。
太郎さんを無事に助け出すことができた。
ちょっと薬以外の要素のほうが
大きかった気がしなくもないけれど
あの薬は、本物だった。
じゃ、約束。
お代を頂くわ
はい
薬のお代。それは亀の齢。
お、おい! それじゃあ、お前死んじまうんだぞ!?
いいのかよ!?
それが約束です
待て! 魚!!
それじゃ俺の命を半分やるから、カメから取るのも半分にしてくれ!!
太郎さん!?
なにを言い出すんです!
せっかく助かったのに!!
そりゃこっちの台詞だ!!
そう言い争っていると
いきなり目の前が真っ白になった。
あの光はなんだったのだろう。
やっと目が慣れて視界が戻ってきた頃、
遠くで魔女の声が聞こえた。
ほほほ、宿敵・乙姫を倒してくれたんだから、お代はチャラにしてあげるわ
見ると波打ち際のほうで
魔女が手を振っている。
じゃあね~
魔女さん!!
魔女はさっと身を翻すと
波に飛び込んだ。
飛び込んだところは
しばらく白い泡が浮かんでいたけれど
それもやがて見えなくなった。