やはり世間の目というのはどこへ行っても突き刺さる。



 強烈に食欲を掻き立てる期間限定キムチ鍋丼のポスターが貼られたガラスのドアを恐る恐る開けて中に入ると、店員を含めた店内のほとんどの人間が冷ややかな目で私を見る。



 牛丼のチェーン店なら庶民的だし、私のような者でも問題はないかと思ったが、やはり甘かった。



 私は箸を止めて嫌そうな顔をこちらに向けている人々を見渡しながら、身なりはそれなりに整えておけというニトロじいさんの言葉を思い出した。



 ニトロじいさんは決して小奇麗にしているわけではない。


 きっと彼はもう諦めがついているのだろう。


 だからこその教訓として、私や他のホームレスに対してそのようなことを言うのかもしれない。



 いたたまれなくなって、注文もせずにそのまま店を後にする。



 私の知っているホームレスの仲間たちは、たとえ私のように身なりが汚くても、周りを気にせずあの場で牛丼を食すことができたと思う。


 全員がそうだとは言い切れないが、それができない私は、生き抜くことへの覚悟が足りないのだと思った。



 家族連れが歩いていようが、女子高生に笑われようが、陽ノ下を歩くサラリーマンの白い目があろうが路上で寝そべり、ゴミ箱も漁る。


 そういうことに私も少しは慣れてきたのだが、それはかろうじて他人の迷惑にはなっていないはずだと思っているからで、そうではないとなると話が変わってくる。



 他人に迷惑をかけるな。

 私の父が幼少の頃から叩き込んだこの言葉が、歪んだ形で私を縛っていた。


 他人のお願い事が断れない。


 他人に助けを求めることができない。


 何より、他人の目が怖くて必要以上に気になってしまう。



 まともに飯を食うためには、周りに不快を与えないだけの清潔感も必要だったのだ。



 私は、毎日のように身にまとっているボロボロのコートの左胸あたりに手を添えた。


 内ポケットに忍ばせた財布の厚みが手のひらに伝わる。



 情けない話だ。


 人の目を気にするくせに、普段から見た目を整えることを怠っているのだから。



 道行くサラリーマンたちの邪魔にならぬよう、道の端っこをのっそのっそと歩きながら、これからどうしようかと考えた。


 もはや私の胃袋は、久しぶりにまともな食事にありつける期待感でいつにも増して音を立てており、諦めるという選択肢を許してくれそうにない。


 ファーストフードの看板や、ファミレスのショーウィンドウに飾られた食品サンプルが私の心を掻き乱す。


 世の中にはこれほどまでに食にあふれていたのかと思うほど、いたるところに飯屋の看板が立ち並んでいる。



 なぜ私はこの国に生まれながら、こんなにもひもじい思いをしているのだろう。


 まるで目の前にぶら下がった人参を食べることができない馬のようだ。



 食欲が私の中で暴れだし、息苦しさを覚え始める。



 そのうち足も重みを増していき、私は手近な物に手をのせ、体重を支えて歩いた。



 ふと、服屋の外にあった平台ワゴンの囲いに手を乗せた。


 ワゴンの中には灰色のトレーナーが、安っぽい透明の袋に入れられて並んでいる。


 値札を見ると、赤い文字で大きく『500円激安ワゴンセール』と書いてあった。



 新品の服を着れば、一応の見た目は整うのではないか。



 私の喉がゴクリと鳴った。



 さらに偶然にも隣の建物には、電光掲示板で『サウナ』の文字が点滅していた。



 懐のお金でちょっとした飯を食わせてもらうことは、私の中ではもう決定事項であるし、それを実現するにはそれなりの清潔さが求められる。


 格安で手に入る新品の服とサウナと飯代を足しても、財布の中身から社会の常識として得られる一割には程遠い金額だ。



 こうなってくると、もはや迷いなどない。


 激しい食欲に駆られていた私は、人様のお金に手をつけることへの罪悪感について、この時は深く考えなかった。

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