彼女は異世界の人間だから

第三話
「異世界の人間は
 ボウリングができない」











 連絡先の交換を忘れるという失態をした僕は、一週間後の金曜日までずっとやきもきすることになった。

来てくれないってことはないと思うんだけど


 例えメールやらで連絡を取り合わなくても、連絡先がわかるというだけで安心できたと思う。

 おかげで期待と同じくらい不安が膨らんでしまい、この一週間は色んなことに手が着かなかった。


……会えたら絶対連絡先を交換しよう


 もっとも、異世界人を名乗る彼女が、連絡先を交換してくれるのかという疑問はある。
 でも、聞くだけ聞いてみるしかない。

 そんなことを考えながら、そわそわと出会った公園で彼女を待つ。







あ、永一くん。おまたせ!
ごめんね、寒かったよね

あ……よかった。笹井さん


 笑顔で公園に入ってきた彼女を見て、ほっとする。
 すると彼女は首を傾げて、

うん? よかったって?

い、いや。なんでもないよ

うーん? ま、いっか。
それより、私のことは理沙子でいいよ

え、でも……


 さすがにそれはちょっと抵抗がある。
 女子は基本名字でさん付け。名前で呼んだことなんてない。
 ……小さい時、覚えてない頃のことは別として。


異世界の人間だからね、名前でいいよ。
ほら、私も永一くんって呼んでるし

そういうもんなの?
なら……うん。理沙子って、呼ぶよ


 勇気を出して呼んでみたが、やっぱり気恥ずかしい。


うん! それじゃ、行こっか。ていうか、案内してくれるんだよね?

あ、ああ。もちろん。駅前だから、こっちだよ

 僕は指をさして、二人並んで歩き始めた。

















 金曜日の夕方ということもあってボウリング場は若干混んでいたが、待たずにゲームを始めることができた。

靴とか借りるんだ。へぇ~

普通の靴だと滑るから。あ、先に飲み物なんか買っておこう

うん、そうだね。喉渇きそう





 僕は自分の分のコーラを自販機で買って、振り返る。

えっと、ジュースくらい奢るよ。なにがいい?

いいの?! えへへ、ありがと。そうだなぁ……

 理沙子はじーっと自販機に並ぶジュースを眺める。




……オレンジジュース。炭酸じゃないの

オッケー。……炭酸苦手なの?

ほら、私異世界の人間だから。炭酸とか飲めないの

なるほど


 炭酸苦手なんだろうな。
 そう思いながら、僕は彼女が選んだオレンジジュースを買う。


あとはボールだよね。ずらーっと並んでるけど、どれでもいいんだよね?




 彼女はそう言いながら、近くにあったボールを両手で持ち上げる。


う、うわっ、重たい、ボウリングの球ってこんなに重たいの?!

一旦置いて!
ほら、ボールに数字書いてあるでしょ? 16って、たぶん一番重いヤツだよ。向こうにもっと軽いのあるから

そ、そうなんだ? どれどれ?

 軽いボールが置いてある場所に理沙子を案内し、6から9ポンドくらいのボールを持たせてみる。


あ、ほんとだ。軽い! これなら持てそう

よかった。僕はいくつにしようかな……

 彼女は一番軽い6ポンドを選んだようだ。

 正直僕もボウリングが得意というわけではないし、力もそんな自慢できるようなものでもないので、10ポンドにしておいた。


 カウンターで言われた自分たちのレーンにボールを持って行き、靴も履き替える。これで、準備はオッケーだ。




ちなみに……聞くまでもなさそうだけど、やったことないんだよね?

うん! 異世界の人間だからね。ボウリングとか初めてだよ

わかった。じゃあ僕から投げるよ

 ここは格好良いところを見せたい。
 そう思ったのだけど……。












 倒れたのは、右端の3本だけだった。

う……ま、まぁ、僕も久しぶりだから


 そう言いながら振り返る。

 しかし彼女は、口を小さく開けて惚けていて、僕が見ていることに気が付くとようやく我に返り、慌てて立ち上がった。


あ、次は私が投げるの?

え? あ、いや、もう一回僕だよ。一回で全部倒れない限りは、基本的に二回投げるんだ

そうなんだ。なるほどなるほど

えっと……理沙子。もしかしてボウリングのルール、わからない?

当たり前だよ。やったことないし。異世界の人間だからね

オッケー、わかった。とりあえずもう一回投げて、その後に説明するよ

 僕はもう一投し、3本倒す。結果6本。……最初はこんなもんだろう。

 それよりも、理沙子にルールを説明しなければならない。






・・・・




……というわけで、それを一〇回繰り返して、倒したピンの数を競うんだ

へぇ~……そういうルールなんだ


 理沙子は感心した様子でうんうんと頷いている。

本当に……知らないんだな



 やったことがないというのは、ここに来てからの様子でわかっていた。
 それならば、ルールも知らないのも当然なのかもしれない。

 でも、それでも、改めて驚いてしまったのだ。


異世界人だから? ……まさかね

ね、永一くんみたく片手で持つのって、どうやるの?

え? あ、そうか……。ボールに穴が開いてるから、そこに指を入れるんだよ


 僕はボールの持ち方と投げ方を指導して、彼女が投げるのをすぐ後ろで見守ることにした。

投げるっていうか、転がせばいいんだよね

そうだね。腕を振り子みたいにすると投げやすいと思うよ

ふむふむ。よーっし……


 理沙子はボールを持って、とことこと歩いて行き、レーンの手前で腕を小さく振ってボールを転がした。




お……


 意外にも、ボールは真っ直ぐに転がり出した。

 だけど勢いが足りない。だんだん右に曲がっていく。




え、永一くん。横の溝に落ちたらダメなんだよね?

うん。ガーターになるね

お、落ちるな~! 落ちないで~!


 しかしボールは無情にも右に流れ、今にも溝に落ちそうになり――







 ギリギリ一番端のピンを1本だけ倒し、ボールは落ちていった。

あ……やった、やったよ、倒したよ!

う、うん。
……おめでとう、やったね

 1本だけで――と思ったが、初めてなのだ。喜んで当然だ。
 僕は素直に笑って、一緒に喜んだ。



もう一回投げるんだよね? よーっし、今度はいっぱい倒すよ!

……あっ

 勢い込んだ理沙子の第二投目は、すぐさまガーターに落ちてしまったのだった。










 その後、何回か投げて少しづつコツを掴んだのか、ガーターは減り、理沙子も数本倒せるようになってきた。

 ゲームは5フレーム目まで終わり、僕が6フレーム目を投げ終えたところだった。

また6本……追いつかれないよね

 今のとこ6本前後しか倒せていない。せめてスペアくらいは取れないと、どうにもカッコが付かない。




あ、理沙子の番だよ。……あれ?


 振り返ると、理沙子はスコアのモニターがある真ん中のイスに座ったまま、俯いているようだった。

 どうしたんだろう、と僕は近付いて、彼女の顔を覗き込む。

り、理沙子? どうしたの、顔真っ青じゃないか

……え? あ、ごめん。大丈夫、大丈夫だよ

いやいや、全然大丈夫に見えないよ!

 顔を上げ、理沙子は笑顔を作るが……とても力ないものだった。
 やっぱり顔色も悪いし、とても大丈夫には見えない。

本当に、なんでもないよ。ちょっと疲れちゃっただけだから

疲れたって……

 まだ、ゲームの半分しか投げていないのに。

い、異世界の人間だからね。こっちの世界であまり運動はできないんだよ

まだそんな……。いや、わかった。そういうことなら、ボウリングは終わりにしとこう。片付けて、向こうで休憩しよう

でも……いいの? まだ途中なのに

いいよいいよ。ほら、向こうのが座りやすいイスがあるし。靴だけ履き替えて。あとは片付けておくから

うん……。ありがと、永一くん

 理沙子の笑顔は、さっきよりは少しだけ元気なものになっていた。



















 ゲームを終わりにし、ボールと靴を片付けてカウンターでスコアをもらう。
 僕は店員さんに断って、レーンの後方にあるベンチに理沙子と一緒に座った。

はい、これ。今日のスコア

へぇ~、こういうの出るんだ

 理沙子はまだ少し顔色が悪いが、声には元気が戻っていた。
 僕はちょっとだけ安心する。

途中までだけど、よかった。ボウリングできて。
一度やってみたかったんだよね

……でも、あんまり無茶しちゃダメだよ

うん、わかってる。ごめんね、ビックリさせちゃって

いいけど……




 僕は理沙子のさっきの言葉を思い出す。

 異世界の人間だから、こっちの世界であまり運動はできない。



 いや、まさか。

 だんだん信じてしまいそうな自分がちょっと怖い。


今度は、運動とかしないとこに行こう

え……。それって、永一くん


 言ってから、僕はハッとする。

 つい、次がある前提で話してしまった。




それって、まだ、どこかに連れて行ってくれるの? 今日、こんなことがあったのに

つっこむところ、そこなのか?
でも……そうか


 デートだとか、まったく意識されていないのはわかっていた。

 理沙子は純粋に、自分の知らない場所へ連れて行ってくれることが、経験したことのないことを教えてくれるのが、嬉しいのだ。

 だから、僕の方から誘っているのに、上目遣い気味に、こっちを窺うように聞いてくる。



いいよ、どこへだって連れて行くよ。今日は……ほら、僕もボウリング、楽しかったし

永一くんも? ……そっか。
えへへ、じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな?


 理沙子は本当に、嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。


 僕は自分の頬が染まっていくのを感じ、意味も無くスマホを取り出して誤魔化そうとする。


……あ、そうだ

うん? どうしたの?


 理沙子が首を傾げて僕を見る。
 僕は思わず声に出してしまったことを後悔した。

いや、今こそチャンスだ!


 今日必ずすると決めていた、連絡先の交換。

 切り出すのは今しかなかった。

あ、あのさ。理沙子は、スマホとか持ってるの?

一応持ってるよ。異世界の人間だけど、こっちの世界に来る以上は、必需品だからね

そ、そうなんだ。よかった

 異世界の人間だから持ってない、と言われたらどうしようもなかった。
 一先ず安心し、次のステップに以降する。

それじゃ、よかったらさ。LINEとかメールとか、教えてもらえないかなって……


 最後の方、声が小さくなってしまったのが情けないが、彼女にはちゃんと伝わったようだ。

う~ん、LINEはよくわからなくて、やってないんだ。メールアドレス教えればいい?

う、うん! それでいいよ!

 僕は勢い込んで、スマホを持った手でガッツポーズをしてしまう。

 彼女はそれを見てちょっと笑って、スマホを取り出した。

 そしてじっと自分のスマホを凝視する。




……理沙子?

あ、えっとね。……自分のメールアドレスってどうやって見ればいいのかな?

ああ。じゃあ僕の方を教えた方が早いかな? それでメールを送ってくれれば

永一くん。できればその……メールアドレスの登録の仕方、教えてもらっていい?








もしかして、異世界の人間だから

うん! スマホ、慣れてないんだよ





 結局スマホを借りて、僕が両方の設定をしてメールができるようにしたのだった。





















本当に家まで送らなくて大丈夫?

うん。もう、元気になったし。大丈夫大丈夫


 ボウリング場を後にした僕たちは、そのまま出会ったあの公園まで戻ってきていた。

 僕としては、さっきの彼女の様子が心配だし家まで送りたかった。

それにほら、私が帰るのは異世界だからね。家までは送れないよ?

……そうだったね。じゃあ、気を付けて

うん! あ、来週行きたい場所。決まったら、メールするね

わかった。待ってるよ


 来週の金曜日に会うことにしたものの、場所までは決まらなかったため、そういうことになった。



……来週って、クリスマスなんだよな

 25日。なにか、用意した方がいいだろうか?





それじゃ、またね。永一くん

あ、うん。またね。本当に、気を付けて



 そう言って僕らは、公園で別れ。
 僕はこっそり彼女の去って行く後ろ姿を見送ってから、家に帰った。






















 だけど、翌週の金曜日。

 朝になって彼女からメールが届き、その日は急遽会うことが出来なくなったと告げられたのだった。




第三話「異世界の人間はボウリングができない」

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