村は森に囲まれ、昼間でも薄暗い。
この湿った村はどこか人を陰鬱な気持ちにさせる。
太陽の国で育った男には、ここで慎ましく暮らす村人たちの気持ちが理解できぬ。

どこへ向かっている?

聖堂だよ

あぁ。やはりそういうものもあるのか

基本的には雨の日しか使わないけれど

何故だ

だって我らの宗教は、我らを守ってくださるこの森と教主さまを讃えるための宗教だもの。きちんと森には面と向かって礼拝しなくては。それに、聖堂は教主様の御住まいでもあるから

なるほど。しかし歩きづらいな

ここは裏道。この村の人間は外の者に対して友好的な人ばかりではないから。どうせ知ってるんでしょ?

<隠された村。村人は美しく、村人は敬虔で、村人は排他的である>

すごいね。伝説みたいになってるんだ

正直ここに来るまで実在するのか半信半疑だった。外界との一切の接触を断った隠された村―――むしろお前が知っていて、驚いた。この村がこう歌われていることを

他を知らねば排せない

何だ?

情報は武器だ。この村を守るための。ま、僕も教主様もそれほど排他的ではないんだけどね

なにゆえ

知れたこと。僕も教主様も特別だから

素晴らしいことだな

ねえ。この村が排他的と知ってどうして僕に話しかけたの

どうしてだと?お前が美しいと思ったからだ

さっきから疑問に思っていたのだけれど。君の行動指針は対象が美しいか美しくないかだけ?

基本的にはそうだ

分からない。例えば、美しいと思って案内を頼んだ僕に変なところに連れてゆかれるとは考えないの

しているのか

それは、していないけれど。可能性の話でしょ

お前は頭が良いな

教主様もよく仰ってくださる

ふふん。では良いではないか。仮令お前がそうしようと目論んでいたとしても、美しければすべてが許される。これは真理だ

真理なの?

真理だ。間違いない

……………

美しいといえば、先ほどの歌も美しかったぞ。讃美歌か何かか?

朝の集会のこと?そうだよ

人が心を一つにして歌う歌は美しいな。この深い森に寄り添うようなハーモニーだった。魂が震えたぞ

貴方はたまに教主様と同じことを言うんだね。天と地ほども人間が違うのに。変なの

聖堂とは名ばかりの古びた木造建築にたどり着く。サトリが腐った裏戸を小さな手で叩く。美しいサトリの手が、木のトゲに傷ついてしまいやしないかとイツキは心配した。美しいものを傷つけるものは、イツキにとって憎むべきものであった。しかし、ただひとつ例外は存在して、それは美しいものが美しいものを傷つけることであった。これには、絵画のごとき美しさが宿るとイツキは信じている。

教主様。サトリが参りました

入りなさい、とくぐもった声がする。

裏戸を開けた先にはほの暗い廊下が続く。中は埃くさく、かび臭い。が、不思議と温かみのある聖堂だとイツキは感じた。美しさには多少欠けるが、ワインセラーに眠るワインたちもこのような気分なのだろうかとイツキはひとり考えて笑った。その横顔をサトリが怪訝そうに見つめる。

失礼いたします

入口からさほど遠くない、橙色の光のこぼれる部屋に例の教主は、いた。
イツキたちに背を向け、机に向かって何かを熱心に書き付けている。部屋は教主の筆記の音だけが響いていた。ほどなくして教主が息をひとつ吐き、長い金の髪を耳にかけて顔を上げた。こちらに振り返る。

やぁ、サトリ

教主はイツキを認識して嬉しそうに目を細めた。

おや、お客様を連れてきてくれたのだね

この教主と呼ばれる美しい男は、多面的な性格をしていた。多重人格者という意味ではない。教主の性格を語るとき、人によってその答えは実に様々であった。たとえば、多くの信者の前では彼は清廉で厳格な教主であったし、サトリ少年の前では近しい兄でいたし、今、イツキの前では何やら人懐っこい青年として存在していた。しかし、誰にとってもどこか温かくて安心する印象を与えていた点では、根底に揺るがぬ何かがあったに違いない。この男がひとつの宗教の教主となった理由は、その美しさだけではなかった。

俺は、イツキという。写真家をしている。邪魔するぞ

旅をしているというので、何か話をさせようかと思いまして。勝手なことをしてごめんなさい

教主は花が咲くように笑った。橙色の灯が教主の顔に影を落として、彼の睫毛の長さが際立つ。まるで、絵画のようである。
イツキは呆けた。この男にとって不覚なことに写真を撮ることすら忘れた。教主には、場を支配するオーラがある。

いや、構わない、むしろ歓迎さ。サトリならきっと連れてきてくれるだろうと期待していた………はじめまして、イツキ殿。この村の信仰する宗教の教主をしている者です

期待していた?どういうことだ?

私もちょうど気になっていたんだ、あなたのことが。先刻我々を見ていただろう

ばれてただと?

私とこの子は気付いてたよ

なんだお前もか

まぁ、ね

ふむ。なぜ分かった

私もこの子も特別だからね

お前らはそればかりだな

はは、気分を害してしまったかな。すまない。でもこれは私とサトリの合言葉みたいなものでね。どうか気にしないでほしい

別に構わんが

あなたに気付いた理由だけどね、異端者が居たら、森が教えてくれるのさ

はーん

あなたは面白い反応をするね。楽しい話がたくさん聞けそうな気がするよ。さ、サトリ。お茶の支度をしてくれるかい

承知致しました

いつもありがとう

サトリは頬を赤らめて退出した。イツキは何だか申し訳ないような気持ちになった。あまりこういった、下手にでたような気持ちにならぬ男には新鮮な感情であった。

なんというか……お前は随分軽やかな性格をしているな

そうかい?あなたがこの性格を気に入ってくれるとよいのだけれど

俺は、気に入るとか気に入らないとか、そのような次元で人と接しない

ふふ、本当かな?怪しいけれどね。それにしても、ここまで来るのは随分骨が折れただろう?

ああ。疲れた

はは。そうだろう。この村は我らが身を隠すために生まれたからね

そうなのか?

そうさ。むかし、我ら一門は狐の末裔として、人々から迫害されていてね。理由はなんてことない、我らが美しすぎたということだ。男女をたぶらかす不埒な狐どもとして村を逐われた。そうして美しすぎる自己を肯定するために我らが宗教は生まれたのさ。笑ってしまうだろう?

興味深い話だな

私の話をしても仕方がなかったね。さあ、聞かせてくれ。あなたの旅の話を

イツキは話をするのが好きだ。というよりも、自分語りをするのが途方もなく好きだった。長らくの一人旅で自分の話をしたいという欲求も溜まっていた。イツキは語る。氷の国の話。花の国の話。河の国の話。教主もうんうん、と頷きながら嬉しそうに話を聞くから、イツキもきっと話しすぎたに違いない。楽しいと嬉しいの感情の中で夜は更けていった。

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