どこから話し始めたものか。さて、困った。

まず僕がここにいる理由なんだが、それは他でもない。君たちに、とあるエピソードを語れと命じられたためなんだ。
僕は副業として語り部を名乗っているから、ものを語ること自体に抵抗はないのだけれど、いかんせん、この話の「全体」を語るには、ある男を主人公に据えなくてはならないようでね、そいつが厄介なんだ。
その男は、僕の天敵とも呼べる男。いい歳して自分の本能の赴くままに好き勝手に行動をする。粗暴。野蛮。とにかく何事も雑で荒い。こいつが関わると僕たちのありとあらゆる計画が倒されてしまうんだ。いやはや、迷惑千万ここに際まれり。二度と関わりたくないと思っていたんだが。
だからこの仕事、気が乗らないなぁ、なんて思って冒頭に至るのさ。引き受けてしまったからには仕方がないことなのだけれどね。
……ちょっと気になってきた?コイツのことが?えっ正気かい?
僕の語り部としてのセンスゆえかなぁ、なんだか釈然としないけど、君がそう言うなら話さざるを得ないじゃないか。飽きたら飽きたって言っておくれよ。すぐに止めるから。
じゃあ、コホン、ひとつ話そうか。………

その男はいかにも南国生まれといった目鼻立ちのくっきりとした顔貌で、しかし背は高かった。その頃は名前をイツキと名乗っている。心が動けば体も動く、少年がそのまま成長したような生来の無邪気さを持っていた。言ってしまえば芸のない、只の一本調子の男に過ぎないのだが、自分ではその性格が気に入っていたらしい。裏表のない性格ゆえ、人からよく好かれる男だと自負していた。しかし、どうやら28歳という歳にしてその直情的な性格は幼なすぎたようで、数年前に大きな敵をつくり、己の居場所を追い出され、今は行く宛もなくほうぼう旅をしている。そしてたどり着いたのがこの辺鄙な村だった。村についたばかりのイツキの手記にはこう書かれている。

❝早朝。森の最奥。霧が立ち込めている。

土の匂いが濃い。

小さな広場で何十もの老若男女が群れている。

喧騒。

何者かがが岩の上に立つ。

静寂。

遠くに川のせせらぎ。

岩上の人間は、集団の指導者のようだ。

性別はわからない。

指導者がマントを脱いだ。

金色の長い髪を風に靡かせる。顔は見えない。

杖らしきものを掲げた。何かの合図か―――



そこまでノートに書き殴って、私は顔を上げた。
それは、歌だった。
私と集団とは100メートルほど離れていたが、
その指導者の歌はよく聞こえた。
美しい旋律と声だった。
この静謐な森に寄り添うかのような歌だった。
集団は指導者の声に合わせ、歌っていた。
美しい。
私は本能で震えた。
同時に、私は理解した。
これは宗教的儀式であると。
間違いない。
これこそが私の求めていた村であった。❞

さて、集会が解散した後、この男は一人残った少年に声をかけた。少年は仕事をしていた。裸足の信者たちが傷つかぬよう、少年はしゃがみこんで小石を拾っている。その背中に

そこな少年!

とまぁ、こんな調子で声をかけたに違いない。少年は顔を上げた。少年はイツキが予想していたよりも幼く、歳は10も半ばにいっていないと思われる。真ん丸とした藍色の大きな瞳がじっと男を見つめた。パシャリ。男は少年の写真を一枚撮った。例によって自分を印象付けるためである。この男はいつだって他者との中で自分の個性が確立することを最重要視した。少年は何も言わず、ただまぶたを上下した。

人の印象に残らねば私のいる意味がない

とは彼の言である。それでよく芝居がかった物言いもした。それが堂に入っていると感嘆して言う者もいれば、癪に障るという者もいた。私は後者である。

これは失敬。この村の教主に会いたい。案内を頼めるかね?

少年は表情を変えず、静かに立ち上がった。少年の膝から砂がぱらぱらと落ちる。

透き通った声である。意外にもその声からは戸惑いも警戒も感じられない。淡々とした問いに若干鼻白みながら、男は意識して堂々と言った。

その質問は至極当然だな。イツキという。写真家として世界中を旅している

一応の事実である。男は笑顔をつくる。少年は目を細めた。

……何しにきたの

ん、この村の教主を写真に収めにきたのさ

写真?

知らんか

聞いたことはある。でも何で

仕事だ。趣味も兼ねているが

…………

俺は美しいものは写真にするのが信条だ。なぁ少年、教主は美しいのか?

教主様はお美しい

ふむ。噂に違わず、か。ならば1枚撮らせてもらいたいものだ

少年は無表情のまま、小首を傾げた。長い前髪がはらりと顔にかかる。パシャリ。イツキは機嫌良く笑った。

少年よ、名を何という

………サトリ

サトリ、お前も美しいな?

……僕は美しい……

そうだ。お前は美しい

知っているよ

ほう?

だからこそ、僕は教主様のお傍に侍ることを許されているのだから

成程。ではやはり、お前は教主の御付きの人か何かかね

イツキは集会の中で、少年が教主と会話をするところを目撃していた。

そう。僕は、この世でたった一人の『神の御遣い』の小さな付き人

……………

僕は特別。教主様はもっと特別

サトリの顔に漸く表情が灯る。歳に似合わぬ艶やかな笑みだった。パシャリ。イツキはまた写真を撮る。彼らしい粗雑で拙い撮影である。イツキにとって写真を綺麗にとることは然程重要なことではない。彼にとって、シャッターを切る行為は

お前は美しい

という称賛の意であり、写真は記憶を呼び起こすきっかけとなれば十分であった。写真家を名乗ることおこがましいことこの上ない。そも、写真を撮って生計を立てているわけではないから、写真家なぞ、彼の名乗りの一つにすぎない。自称写真家は言った。

この村の教主とはよほどすごいお人なのだろうな

そうだよ。全知全能の神様だもの

神……。君の信奉する宗教は、教主を讃える宗教なのか

違う。あくまでも神様はこの森で、教主様は『神の御遣い』。森の代弁者。だからこの森のもとみんな平等

少年は、少年らしからぬ遠い目をする。

教主様はそのようにお説教されるけど、でも、僕にとっては、教主様も神様に違いない………

教主が大好きなんだな

そのような俗な感情ではない。教主様へのこの思いは、言葉にしようとすることすら愚かだ。いやむしろ、あの方に思いを持つことすら恐れ多い……。

………

ねぇ、旅人

なんだ

旅を続けて何年になるの

さぁ。5,6年にはなるだろう

面白い体験はした?

応とも。嫌な体験も山ほどな

教主様にお話ししてくれる?

旅の話を?

約束してくれたら、教主様のところへ案内してあげる

なんと

教主様は村をお出でになれないから、きっと君の話も喜ぶ

良かろうとも

取引成立

お互いに良い取引だな

教主様が貴方のことを気に入ると良いけれど

心配なぞいらん。俺は万人から好かれる

憎たらしい人だ

よく言われる

かくして男はサトリ少年に連れられ、露で濡れた草木を踏みしめて歩いた。

1.イツキという男

facebook twitter
pagetop