身体が揺さぶられるような感覚で、徐々に小さな王兄姫の意識は現実へと戻ってきた。
もっふりと、何か温かい感触が心地良く伝わってくる。それと、「メェ、メェ~」と、沢山の声が。
……ん。
身体が揺さぶられるような感覚で、徐々に小さな王兄姫の意識は現実へと戻ってきた。
もっふりと、何か温かい感触が心地良く伝わってくる。それと、「メェ、メェ~」と、沢山の声が。
……もっふもふ~。
当然の事だった。
王兄姫ことユキの周りには、沢山の羊に似た動物達が所狭しに座っており、彼女をむぎゅむぎゅと押していたのだから。
どうやら、ここは荷車の中らしい。それも、動物運搬用の、大きな乗り物。
ユキ……、なんでこんな所にいるんだろう。
素晴らしいもふもふ天国だが、自分の傍に双子の王宮医師の姿がない事に不安を覚え、ユキは荷車の端へと移動し始めた。
確か……、お化け屋敷でグロテスクなものを見て、それで気分が悪くなって……、え~と。
よいしょっと……。ルイおにいちゃ~ん? セレスおねえちゃ~ん?
ガタゴトと野原を進んでいる荷車、いや、荷馬車。
羊もどきや自分達を覆い隠している垂れ布から顔を出したユキは、キョロキョロと広い景色を見まわしてみた。けれど、……彼らの姿はない。
遠くに見えるのは……、町、だろうか。
凄く小さくなっているが、もしかして。
ユキのいた、町……、かな? ユキ、いつの間に出てきちゃったの?
必死に記憶をゴソゴソと掻き回す。
セレスフィーナと別れ、朦朧としながら……、自分はルイヴェルの方へと向かっていたはずなのに。
……、……、……。
暫く考え込んだ後、ユキは思い出した。
そうだった……。可愛い羊さん達が荷馬車に並んでいるのを見かけて、それで……、触ってみたくて。
ルイヴェルに知られたら、絶対に怒られる。
可愛いもふもふに釣られて、全然知らない荷馬車に乗り込んだ後、ふらっと意識を失ってしまいました、なんて……。
あぁ、絶対に怒られる。いっぱいお仕置きをされてしまう。荷馬車の中に顔を引っ込め、ユキはもっふりとした羊もどきの身体に顔を埋めた。
うぅ~。怒られちゃうよぉ~。
子供相手にも容赦がない、大好きで、だけど、ちょっと困った、彼女の保護者的存在。
今回の事がバレてしまえば、きっと沢山お説教をされた上に、罰と称してかなりのお仕置きを嬉々として仕掛けてくる事だろう。
……大好きなおやつのプリンも、目の前で食べられてしまうかもしれない。
お仕置きは、いやぁぁ……。
心優しいセレスフィーナが庇ってくれるかもしれないが、それでもやはり……、お仕置きは確定事項だ。
ぷるぷると震えながら顔を上げたユキは、どうしようどうしようと考えて、とりあえず、町に戻ろうと決意した。
どこかの建物で休んでいたと言えばいい。
そうすれば、見逃して貰えるかも……。
などと、子供らしい穴だらけの事を考えたユキだxったが。
な、なに!?
突然響いた、ただならぬ馬の鳴き声と、急停止した荷馬車。激しく揺れたその中で、ユキは羊もどき達に掴まりながら、生じた気配に耳を澄ませた。
ひいいいいっ!! な、なんだ、お前達は!!
馬車を下りろ!! 俺達が貰ってやるからよ!!
な、なななななっ!! だ、駄目だ!! この荷馬車は私の大切な仕事道具!! そして、中にいるのは家族同然に大切な子供達だ!!
うるせぇっ!! さっさと置いてかないと、テメェの首が落ちる事になるぜ?
……ど、どうしようっ。
どんなにのほほんとしていても、ユキにだって危機感というものはある。
自分が乗り込み居眠りをしてしまったこの荷馬車が、……賊の類に襲われている事実を、正しく理解してしまった。
羊もどき達も落ち着きがなく、怖がるように鳴いている。
羊さん……、だ、だいじょうぶだよ!! ユキが守ってあげるっ!!
現実的には無理な話だが、ユキは必死にそう伝えながら、羊もどき達を庇うように移動を始めた。
怖い人が入って来ても、可愛いもふもふ達を守れるように。
荷馬車の主らしき男の悲鳴が響き渡り、次に聞こえたのは、沢山の男達の嗤う声。
怖い、怖い、怖い……!!
来ないで……っ、来ないでっ。こっちに。
――来ないで!!
お化け屋敷で感じたものとは違う、現実的な恐怖。
ガチャガチャと何かが擦れるような音が大量に響き、ユキと羊もどき達のいる荷馬車の裏側へとまわってくる大量の足音。
見つかったら……、自分とこの子達はどうなってしまうのだろうか。
――分厚い垂れ布が大きく開かれた瞬間。
ユキの瞳に、下卑た笑みを浮かべる大勢の男達の姿が飛び込んできた。
……西、か。
西!?
西のどこ!!
落ち着け……、
セレス姉さん……っ。
ユキ姫様の一大事に落ち着ける心の余裕なんて微塵もないわよ!! さぁ、どこ!? 西のどこなのぉおおおおおっ!!
ユキが行方不明となってから少し……。
町の片隅でその行方を追う為、集中して捜索用の魔術を駆使していたルイヴェルが告げた、西、という言葉。やはり、予想通りだ。あの小さな王兄姫は、この町を出てしまっている。
いや、攫われた……、のだろう。
美しい双子の姉に胸倉を掴み上げられながら、ルイヴェルは愛しい幼子の反応に意識を向け続ける。
……攫われた事は間違いない。気配がかなりの速さで移動しているからな。
セレスフィーナもわかっている事だが、子供の気配というのは、とても薄く、不安定なものだ。
成長と共に魔力の気配と本人の発する輝きのようなものが強くなるものだが、ユキはまだ五歳未満。
自国の王兄殿下と、異世界の女性との間に生まれた子供であるユキは、別世界の時間軸によって成長をしている。だが、この世界、エリュセードでは……、一年は二十四ヶ月。本来であれば、あの幼子はまだ、二歳程にあたる。
王宮内だけの話なら、すぐに気配を掴めるが……。やはり、ハーフというのは厄介なものだな。気を抜けばすぐに、ユキの反応を掴めなくなる。
だが、大丈夫だ。
小型の魔力感知用捜索アイテム。
あの幼子を捜す時の為に作った、ルイヴェル手製の品だ。捉えたユキの気配を完璧に追えるように作り上げた渾身の作。
これの導きに従えば、あっという間に幼子と感動の再会を果たせるはずだ。
……ウォルドアナ山に入ったな。また面倒な場所に。
ウォルドアナ山って……、『場』のひとつよね。外側からの魔術を一切受け付けないっていう……。
『場』とは、このエリュセードの大地における、魔力の補給場所の役目を果たし、また、歪みを生み出す事もある、所謂……、特別な領域。
『場』には色々な制約があり、各領域になってその影響も異なる。
そして、ウォルドアナ山は……、中に入って魔力を使う事は出来るが、外から行使した魔力による術を一切受けつけない。ついでに、この便利な捜索用の道具も、自分達の魔力も、行使が酷く難しくなる、と。
ユキ姫様の許まですぐに、というわけには、いかなそうねぇ……。
……恐らく、ユキを攫った奴らは、その利点を活かして入ったんだろうな。
それも、極端に魔力の弱い者達……。
でなければ、あんな場所を逃げ込む場所には選ばない。魔力の強い者であれば、あまり好んで入ろうとはしない場所だからだ。
ねぐらにしている可能性もあるが、……どうでもいい。
俺とセレス姉さんであれば、ウォルドアナ山攻略など、容易いからな……。
本当にそう思ってるの……?
あの山は確か……。
貴方の魔力と、
物凄く、相性……、
悪かったわよね?
大丈夫だ。
あんな山ひとつの存在で、俺とユキの絆をどうこう出来るわけがないからな……。
否定はしないのね……。でも、早くしないと、ユキ姫様に何かあったら……!!
ん?
まずは転移の陣でウォルドアナ山の近くまでひとっとび、……と、術を行使しようとした矢先。
ルイヴェルの耳に着けている耳飾りから、淡い光が溢れた。誰かが、耳飾りを介して彼に連絡を取りたがっているらしい。
溢れ出した銀緑の光がルイヴェル達の目の前で輪を作り、その中に人の姿を浮かび上がらせた。
やぁ、二人共揃っているようだね。
れ、レイフィード陛下……!! ど、どうなさったんですか?
光の輪の中に現れたのは、ウォルヴァンシア王国の王宮でゆっくりと休日を満喫している、彼らの主、レイフィード・ウォルヴァンシアだった。
兄の代わりに王の座を継ぎ、このウォルヴァンシア王国を統べている存在。
可愛い三つ子の子供達と戯れながら笑顔を浮かべている自国の王に、双子の王宮医師はすぐさまその膝を折った。
いやぁ~、ユキちゃんが君達と一緒に出掛けたって聞いてね~。本当は一緒に行きたかったんだけど、間に合わなくて。で、良かったら夕方から別の町である夜のイベントにユキちゃんを誘おうかな~と思ったんだよ。……って、あれ? ユキちゃんは?
じ、実は……っ。
恐れながら陛下。
ユキ姫様は今、手洗いの方に行かれております。すぐに合流いたしますのでご安心を。
ちょ、ちょっと!! ルイヴェ、――んぐっ!!
何を飄々と大嘘を吐いているの!?
と、青ざめながら騒ぎ出そうとした双子の姉をその背に隠し、ルイヴェルは言葉を続ける。
夜のイベントが何時から始まるのか、それを聞き出し、その町で合流しますと、最初から最後まで嘘のオンパレードで約束を交わす。
それじゃあ、また後でね~。
疑うでもなく、そのまま何事もなかったように通信を終わらせる事に成功。
くるりと、ルイヴェルが姉の方を振り向くと。
恐れ多くも、レイフィード陛下に嘘を連発するなんて……、どういうつもり?
落ち着け、セレス姉さん。陛下に不要な心配を抱かせる事こそ、俺達にとっては罪だ。
だけど!!
自国の王に対して、この美しい姉はとても従順だ。
叶わぬ想いを抱きながら、決して王を裏切る事を良しとしない、その忠誠心の高さ。
だが、さっきの通信で事実を明かしていれば、事は大きくなり、話が……、自分達の父親であるフェリデロード家の当主の耳にも入りかねない。
実の父親に対してあまり素直になれない、いや、対抗心を抱いているルイヴェルにとって、それは最悪の展開だ。
それに……、これは自分達の不始末。
最初から最後まで、その責任を取るのは自分達だ。
だから、余計な介入は望まない。
行くぞ、セレス姉さん。迅速に、全ての障害を踏み潰し、ユキを救出する。
それは良いんだけど……、無意味な殺戮はやめてちょうだいね?
ダークな気配を醸し出す自分に、双子の姉はげんなりとしながら言い含めてくる。
勿論、必要がなければ他者を害する事などしない。
だが……。
それは、相手の出方次第だな。
訳=万が一、ユキが泣いていたり、傷でも負っていようものなら、全員あの世にぶち込んでやる。
そんな恐ろしい心境の、ルイヴェルであった……。