お久ぶりです都さん。2日ぶりですね。それとも数時間ぶりといった方がいいのですかね都さん

背筋が凍るようなその声に、僕と青葉の世界が凍った。何度も訪れた、僕と彼女の2人だけの世界。

こちら側へようこそ。けれどもそれほど近くもないのですけれど。ようやく1歩前進、と言ったものですかね

言って、そして世界は火に包まれた。

都 大樹

お前は、お前は一体どこまで知っているんだ?
僕がどうするべきかも、本当は知っているんじゃないのか?

僕の言葉に、やはり彼女はあの時のように笑って答えた。

ええ、知っていますよ。私は何でも知っています。ですがもちろん、あなたの知っている範囲でね

そうなのだ。本当に彼女は、僕の知っている範囲内であれば、何でも知っているのだろう。この世界が、僕たち二人だけのこの世界が業火に包まれているのが何よりの証拠と言ってもよい。

そしてそれは、何とも恐ろしい。あの時僕が考えていたよりもずっと。恐ろしくて、不気味で、奇妙で、怪異で、奇怪なのだ。

僕はそれを身をもって教えられた。恐ろしくて不気味な2日間を体験した。奇妙で怪異な2日間を経験した。奇怪でそしておぞましい、あの2日間を彷徨った。

都 大樹

だったら、次に僕がどうすべきかも教えてくれ

僕はそう言った。何でも知っている彼女に。彼女ならそれを知っていると確信して。

あら都さん。確かに私はその答えを、あなたが何をすべきかも知っていますけれど。だけど都さん。私にそんな質問をするってことは、あなたも既に分かっているのでしょう?

僕の知っていることは何でも知っている。だからそれは、彼女の知っていることは僕も知っていることになるのだ。

けれどあくまで、理解しているのではなく、知っている。記憶しているのではなく、どこまでいってもただ知っているだけに過ぎない。

都 大樹

ああ知っている。次に僕が何をするべきかも知っているさ。だけど……

そう。知っているだけで、理を解しているわけじゃない。記し憶えているわけではない。ただただ知っているだけ。それは、そんな都さんは何て愚かなのでしょう。何て愚か者なのでしょう

そう。僕は愚か者なのだ。だから、覚えてはいなかった。あの出来事を。分かってはいなかった。この矛盾の意味を。

ですが都さん。知っていれば行動はできるのです。理解はなくとも、記憶はなくとも、知識はあるのですから

言って、今度は紫色の花びらが世界を覆う。

これも彼女のいたずらだろう。同じことを知っているのに、理解がある者からない者への贈り物。記憶がある者からない者への道標。

都 大樹

分かってはいるよ。いや、分からされてしまったよ。けれど僕には理解も記憶もなければ、踏み出す勇気もないみたいだ

くすくすと少女が笑う。
笑って笑って、笑って言った。

そんなものがあなたにあれば、この物語はとっくに終わっていますとも

畳みかけて。

それ以上に。物語が始まることすらなかったでしょうね

彼女はそのことを知っていた。
当然、僕にも分かっている。

都 大樹

そうだね。本当にその通りだ。だから。今度こそこの物語は僕が終わらせなくちゃいけないんだ

おやおや、ちゃんと分かっているじゃないですか。理解しているじゃないですか。それなら、そろそろお別れといきましょうか

都 大樹

ああ、分かっている

私とのお別れではありませんよ都さん。私以外とのお別れですよ?

都 大樹

君が知っていることは、僕も知っているのだろう?

ああそうでした。そうでしたね。では

再び、僕たちの世界から色が消えた。

あるいは、別れの色を反映したとでも言っておこうか。

また会いましょう。何秒後か、何日後か何ヶ月後か。はたまた何十年も先の未来で

そして、世界はゆっくりと溶け始めた。

気付けば部屋の明かりは消えていた。
小さな呼吸音が聞こえて振り返れば、椅子に座って青葉が眠っていた。

都 大樹

……

僕はゆっくりと横たわっていた体を起こす。ふわりと、僕の体から毛布が落ちた。

どうやらソファで眠っていた僕に青葉が掛けてくれたようだ。

都 大樹

本当に真面目で、優しくていい奴だな、お前は

僕は立ち上がり、青葉の元へと向かった。

都 大樹

痛っ!

同時に、小指をソファの角にぶつけて痛みに叫んでしまった。

と。どうやらそれで青葉を起こしてしまうこともなかったようで、僕はそっと安堵の息を吐く。

都 大樹

青葉。本当は僕は、親友どころか友達と呼べる奴が、お前以外にはいなかったんだ

まるで何かの儀式のように、僕は青葉に語り始めた。

都 大樹

だけどな青葉。お前は知らないかもしれないけど、お前と親友になれたおかげで、僕にも他に何人か友達ができたんだぜ

それはある意味、贖罪の言葉とも。

都 大樹

藤峰のやつもさ、言ってたんだ。『青葉くんと友達になれて良かった』って。もちろん僕もだ

僕の言葉は、暗闇に中に吸い込まれるように消えていく。

都 大樹

なあ青葉。お前に感謝してる奴は他にもいっぱいいるんだ。だから、これは僕だけの言葉じゃない。お前に感謝してるみんなの思いを込めて、代表として言うぞ

どころか、青葉の体までもが、その闇に飲み込まれているようだった。

都 大樹

青葉桐斗。出会ってくれて、親友になってくれて本当にありがとう

そうして僕は、どこにあったのかも大して意識せず、それを手に取った。

都 大樹

そういえば、お前が僕に対して隠してた唯一の秘密だけどさ。実は知ってるんだ

少しだけ、その手を止め、感傷に浸った。

いよいよ儀式の終わりの時間だ。
贖罪の言葉はもう残らない。

都 大樹

美樹ちゃんさ、あの日僕にこっそり相談してきたんだ。『桐斗君への告白に力を貸してください』って。良かったな青葉。両思いだったんだぞお前たち

言って、僕はそれを青葉の膝の上に置いた。

都 大樹

それとこれは、僕だけの言葉だ。青葉、ありがとう

ポタッと。

僕の瞳から落ちたその雫に目を奪われた僕が顔を上げ、僕はポツリと呟いた。

都 大樹

さよなら

翌日。僕はその日の大学の講義を1人で受けた。

青葉は。あのどこまでも真面目で親友よりも講義への出席を選ぶ青葉が、その日の講義には来なかった。

担当の教員は出席確認でも青葉桐斗の名前は呼ばなかった。

彼は、青葉桐斗という人間は。
あの日あの時に消えてしまったのだ。

クラス名簿からも、人々の記憶からも、その存在ごと。

僕が彼の膝上に置いた、あの紫色の花とともに。

だけど僕は覚えている。僕だけは青葉のことを覚えている。

そして僕があいつのことを覚えているということは——

クスクス。ええもちろん。私も青葉桐斗のことを憶えていますよ

——つまりはそういう事なのだ。

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