おい、起きろ。都。おい!

都 大樹

ん……

頭に響くその声で、僕は目を覚ました。

青葉 桐斗

お、やっと起きたか。おはよう、いやこの時間ならもうこんにちはか……いや待て、だがもうこんばんはとも言える。くそ、一体俺は都に何て声をかければいいんだ!?

都 大樹

いや、もう全部言っちゃってるから……

こんなことにまで頭を悩ませる真面目っぷり、さすが青葉だ。

窓からはオレンジ色の光が差し込んでいた。おそらくもうすぐ7時になる頃ではないか。

都 大樹

ってあれ、ということは僕、しばらく眠っていたってことか

青葉 桐斗

そうだな。昼食を食べ終わった後午後の講義に向かっていた途中に、急に倒れてから今までずっと眠っていたぞ

言いながら、青葉は僕の頭を膝の上からそっとどかした。

青葉 桐斗

それにしても、膝に跡が付いていないだろうか。随分と長い間乗せていたから痺れてしまってな

どうやら長いこと僕を心配してくれていたらしい。青葉は太ももから膝のあたりをさすりながら言った。

都 大樹

ああすまない、どうやら心配をかけて……ってこらー青葉!! お前まさか僕をずっと膝枕していたんじゃあるまいな!?

あろうことかこんな奴に感謝しようとしていたのだから危ないところだった。

だけど慌てて飛びのいた僕に向かって青葉はこんな言葉を浴びせる。

青葉 桐斗

当たり前だ。うなされていたようだし、近くで見守るのは当然だろう?

都 大樹

だからってお前、さすがに男から膝枕なんてちょっとはこっちの気持ちも……

青葉 桐斗

考えたさ。考えて親友を放ってはおけないと結論付けた!

都 大樹

……

その言葉に、僕はそれ以上何も言えなかった。こういうところが実に青葉らしい、青葉のとてもいいところでもあるのだ。だから感謝こそすれ、文句を言う権利など、僕にはない。

都 大樹

ってあれ? ここはお前の家だよな? 多分先生か誰かの車に乗せられてここまで連れて来られたんだろうけど……倒れた俺をすぐに助けてくれたんだな!

言って、青葉の言葉を聞く前に僕は思った。
そんなはずがない!

青葉 桐斗

そんな馬鹿な(笑)

彼はそう言って、薄く笑った。

都 大樹

そうだよな

そうなのだ。彼はそういう奴なのだ。
彼があの時間に、あの場所で、あのタイミングで倒れた僕をすぐにどうこうするわけがないのだ。

ではここで問題。

彼は僕を何故すぐに助けなかったでしょう?

都 大樹

じゃあお前はあの後どうしたんだよ?

青葉 桐斗

普通にそのままにして俺は一人で向かったぞ

あるいは、倒れた親友を一人残し、彼はどこへと向かったでしょう?

都 大樹

じゃあ次にお前が僕を見たのはいつなんだ?

青葉 桐斗

そうだな。用が済んで戻ってみたらお前の周りに人が集まっていて、救急車やらの騒ぎになっていたからな。おいおいまだ倒れているのかと俺が助けてやったんだ

都 大樹

はあ、僕はいつでも影の人か

この言葉は別に皮肉を言ったわけではない。今回もどうせ、『青葉くんが倒れていた人を助けていた』・『顔もいい上に優しいのね』と女子たちの間で噂になるのだろう。

おあいにく様。僕は今までそう言ったうわさが出来上がっていくのを見てきたし、その影にはいつも僕がいた。

だから影の人。

今回も前回も、あの最悪の2日間も、僕はやっぱり影だった。

青葉 桐斗

それと都。お前は一つ間違っていたぞ

都 大樹

僕が何を間違えたって?

青葉 桐斗

お前をここに運んできたのは、先生の車なんかじゃないぞ

都 大樹

じゃあ何だって言うんだ? もしかして誰かが呼んだ救急車とか?

青葉 桐斗

いやまあ、救急車が来たには来たんだが、申し訳ないが帰ってもらったよ。お前も救急車に乗るのは少し恥ずかしいだろうと思ってな

都 大樹

ああまあ、確かに救急車に乗るのには抵抗があるけれど……なんて言って追い返したんだよ?

青葉 桐斗

ああそれはな

都 大樹

それは?

青葉 桐斗

俺が負ぶって連れて帰るから大丈夫です、だ!

とんだ詐欺師だ。僕の尊厳をだまし取りやがった。

都 大樹

いやそれ大丈夫じゃないから! 色々危ないことになるから!

青葉 桐斗

安心しろ。リュックとお前を重ねて負ぶるのはさすがに俺も危ないと思ったから、結果的にはしていない

都 大樹

じゃあ結局どうしたんだよ?

青葉 桐斗

お姫様抱っこ

都 大樹

お前を殺して俺も死ぬーー!!

僕の尊厳どころか、人権やら学校での立場やら根こそぎ奪われたらしい。

ちなみに、何故僕が倒れた後青葉に置き去りにされたのかはお互い口にしなかった。言わずとも分かっていたし、言ってもどうしようもないことなのだ。

彼は真面目で、どこまでもその生き方を疑わない。
そんな彼に言わせれば、そのうちこの物語を目にした誰かが教えてくれるさ、とかなんとか。

まあ、その意味は僕にはわからなかったけれど。

青葉 桐斗

それで? うなされていたお前は眠っている間にどんな夢を見ていたんだ?

ひとまず怒りも落ち着いて、すっかり辺りも暗くなった頃に青葉は再びその話題を振った。

ちなみに今日は青葉の家に泊まる予定だ。

都 大樹

……

だけど、僕は答えない。
応えられない。

あの最悪の2日間を。影の物語を。数時間のうちに体験したなど僕自身が信じられなかった。

夢であって、夢ではない。だけどそれが現実であるはずはかけらもないのだ。

つじつまが合わない。理屈が合わない。時間が合わない。話が合わない。

これは、忘れるべき、忘れ去られるべき物語。

この記憶はすぐにでも消えてしまうのが正しい。僕以外の誰にも、そして僕自身にも。語り継がれない物語。

つじつまが合い、理屈が合い、時間が合わなければ話し合わない。少なくとも僕は語るつもりもない。

都 大樹

それより明日も学校なんだ。そんなことは忘れて早く寝よう

青葉 桐斗

何言ってるんだお前。明日は講義なんてないぞ

都 大樹

お前こそ何を言っているんだ? 僕が好きな深層心理の講義はこの前休講した代わりに、土曜日に補講が入って2日連続になったじゃないか。今日は受けられなかったけれど、明日こそは受けたいんだよ

だから僕は、動揺したんだ。
記憶を封じようと、消し去ろうと決めた直後に。

青葉 桐斗

ああそうかそうか、済まない。言ってなかったな

話しが合い。

青葉 桐斗

お前があの日倒れてからさ

理屈が合い。

青葉 桐斗

もう丸2日は経ってるんだよ

時間が合ったこの瞬間。

僕はまたその声を聞いた。

真実に1歩前進ですね

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