撫子~、そろそろお茶にしましょう。

撫子

は~い!! 今行きま~す!!

 春を告げる甘い花の香りと共に、少女、撫子は都にある癒義の一族の屋敷の敷地内を急ぐ。
 最愛の姉と過ごす、午後のひととき。 
 きっと手作りの茶菓子を用意してくれていることだろう。

撫子

う~ん♪ 姉様お手製の大福~、はぁ、美味しいっ。

ふふ、好きなだけお食べなさい。また暫くはご無沙汰になるんだから。

撫子

はい!! もぐもぐ、あぁっ、こっちのおはぎも、はわわ~、幸せ!!

 姉の部屋に招かれ、撫子は勢いよく並べられている和菓子に手を伸ばしてゆく。
 年頃の娘がなんとはしたない……と、外の者達や癒義の一族の長老達が見れば、お小言を零すのだろうが、ここには気心の知れている者しかいないから、大丈夫だ。

おっ、先に食べているとはずるいなぁ。俺達の分は残してあるのか? 食いしん坊の撫子。

ははっ、まったく、相変わらずだなぁ、お前は。腹を壊しても知らないぞ~。

撫子

むぐっ!! んっ、……ぷはぁ、誰が食いしん坊ですか!! 兄様方!!

ふふ、そういうところが、ね? お腹を壊さないのならいいのだけど、あまり外でそういう事をしては駄目よ。食いしん坊ちゃん。

撫子

うぅ……、姉様まで……。そ、そんなに食べてませんよ!! 多分……。

 そっと手に取ろうとしていた大福に名残惜しさを抱きながら手を引っ込めると、撫子はしゅんと小さくなった。
 愛する家族と、愛する我が家……。
 本来の生活に戻っている撫子は、可愛らしい妹の顔を見せていた。
 ここには、フェインリーヴ達はいない。
 物足りなさを感じながらも、撫子はお茶をぐいっと喉の奥に流し込んだ。

もう少し、女性らしさを身に着けないと……、せっかくのお婿さんが愛想を尽かしてしまうかもしれないでしょう?

撫子

お、お婿さん!? ち、違いますから、姉様!! わ、私とお師匠様は、ま、まだ、そんな……!!

 姉の口から飛び出した、別の世界の男性の存在。
 兄達も、微笑ましそうにしながら菓子に手をつけている。
 ――そう、彼らは知っているのだ。
 撫子と想いを交わしている、異世界の男性の事を。
 

撫子

うぅっ……、ま、まだ、そういう関係じゃ、な、ないんですよ!!

でも、恋人同士なんだろう? それなら、遠くはない未来で、お前も立派な嫁になるわけだ。

俺達にとっては、未来の義弟だな。慌て者のお前を気に入ってくれているフェイン殿には、どんなに感謝してもしきれない。

私達、何度も聞いてしまったものねぇ……。この子で本当にいいんですか? って。ふふ、フェインさんったら、即答で「これがいい」だなんて、男前な方よね。

 あぁ、また始まってしまった……。
 家族からの、フェインリーヴの存在を絡めた妹いじりが……。
 嫌なわけではないが、やっぱりなんというか……、そういう話題は気恥ずかしいわけで。
 

撫子

はぁ……。まぁ、嫌われるよりは、良いの、かなぁ。

 ――撫子が、フェインリーヴと想いを交わしあうようになってから、ようやく一年。
 はじまりの頃には、彼と自分の世界両方を諦められずに悩んでいた撫子だったが。
 今では、結構面白い事になっていたりする。

撫子

ほ、本気ですか!? お、お師匠様!!

フェインリーヴ

こんな事を冗談で言えるわけがないだろう? 本気も本気、大真面目だ。

撫子

で、でも……、そんな事、本当に……?

 二人の幸せを実現させる為にも、と、戸惑う撫子を一度一緒にレディアヴェール王国へと連れ帰ったフェインリーヴ。
 少し時間を与えてくれと告げ、彼が姿を消してから……、一ヶ月後。
 頻繁に連絡を取り合っていたものの、彼はずっと魔界に籠りきりとなっていた。
 そして、――彼女の愛するお師匠様は、満面の笑顔を携えて戻ってきたのだ。

フェインリーヴ

これなら、お前も心おきなく俺の事を受け入れる事が出来るだろう?

撫子

い、いや、あの、ですね……。確かに可能かもしれませんけど、私にはお役目が……っ。

 フェインリーヴからもたらされた、幸せな未来への名案。
 それは、自由に二つの世界を行き来すれば良い、というものだった。
 お師匠様の叔父、今は亡きブラウディムの研究成果、――別世界からの召喚法を改良した案。
 最初は、シャルフェイトが向こうの世界に飛ばされ、二度目は、この世界に呼び戻された、その繋がり。
 ブラウディムも、一度二つの世界が繋がったからこそ、召喚法の完成に辿り着けたのだ。

フェインリーヴ

その魔術式を改良し、自由に行き来を可能とする理論を構築した。まぁ、試すのはお前の帰還の時になるだろうが、挨拶代わりにちょうど良い。

撫子

あ、挨拶って、なんの、ですか……。

フェインリーヴ

ふっ……。

フェインリーヴ

お前の実家への嫁とりの挨拶だ!!

 今、何を良い笑顔で物凄い爆弾発言をのたまったのだろうか? この人は……。
 フェインリーヴが、撫子の実家にくる……?
 駄目だ、きっと本家の家族全員、意味不明な人の出現に、思考が強制停止しかねない!!

撫子

駄目です!! 向こうの世界は、こちらよりも閉鎖的というか、妖と間違われますよ!!

フェインリーヴ

大丈夫だ。シャルの話によれば、向こうの世界でも俺達の魔力や魔術は使用可能。魔力の回復も問題はないという事だ。たとえ取り囲まれる事態になっても、強行突破出来る!!

撫子

わ、私の世界で何をしでかす気なんですかああああああああああああ!!

 洒落になっていないのがまた怖すぎる!!
 魔界を統べる現・魔王陛下が異世界に赴き、その力を揮うなど……、想像の中だけでも被害は甚大だ。
 それに、撫子の家族は話せばわかってくれるだろうが、監視の目が厳しい長老達は、フェインリーヴを異形の妖と見るだろう。
 癒義の巫女としての撫子も、容易にそのお役目から解き放たれる事はない。

フェインリーヴ

俺はな、撫子……。一人の娘を道具のように扱い、いざとなれば贄にしてしまえと考えるお前の世界の者達が気に入らないんだ。だから、俺自ら赴き、話をつける。

撫子

いやいやいや!! 無理ですって!! こっちの人達みたいに妥協とか、融通とか利かない人が多いんですから!! 大体、癒義の巫女は、一族の誇りであり、柱でもあるんです!!

 初代の働きのお陰で得た、都における権力と、皇位の貴族の地位。
 癒義の巫女なくして、それは存続しない。
 大体、話してわかるような長老連中でもなし、フェインリーヴが苦労するのは目に見えている。
 いざとなれば、自分が盾となってでも、彼を守ると決めているが、出来るならやはり……。

撫子

もういいんですよ、お師匠様。私は、初めて好きになった人と両想いであれる幸せだけで、これから先、何があっても、強く生きていけます。

フェインリーヴ

勝手に自己完結するんじゃなああああい!!

撫子

だ、だって……。もしも、お師匠様に何かあったらと思うと、私、私っ。

フェインリーヴ

大丈夫だ!! 俺は魔王で薬学術師だからな。必要とあれば、洗脳でもなんでもして、お前の世界における間違った意識を変えてやろう!!

撫子

全然大丈夫じゃないですよ!!

フェインリーヴ

うっ、やっぱり駄目か……。だが、話し合いが通じないのなら、後の世の為にも、意識の改革を強制的に行うのも悪くはないと思ったんだが……。

 一人の娘が贄のように捧げられ、妖を退治し続け、いざとなればその命を捧ぐ事を義務付けられた世界。
 いや、撫子の暮らしていた世界の片隅、その国だけの事なのかもしれないが、確かに……。
 撫子の次の世代の巫女もそういう人生を強いられるかと思うと、……胸が痛む。

シャルフェイト

よっ! 兄貴に嬢ちゃん。邪魔するぞ。

撫子

あっ、シャルさん! それに、タマとクロもっ。いらっしゃいませ。どうしたんですか?

シャルフェイト

揉めてるだろうな~と思ったから、ちょっと様子見に、な。

タマ

ここを出たら、城下で菓子を買って頂く予定なのじゃ!!

クロ

主様、菓子の他にも、キラキラと光る宝玉も見とうございます~!!

シャルフェイト

あ~、はいはい。わかったから、お前達はそのへんで遊んでな。俺は兄貴とお嬢ちゃんに話があるからな。

タマ

御意にございます~!!

クロ

御意~!!

 研究室のソファーに向かった愛らしい子狐二匹がじゃれあい始めると、シャルフェイトは壁に背を預けながら撫子を見た。

シャルフェイト

まぁ、俺が向こうに飛ばされた時代からだけど、お嬢ちゃんの国は、どうにも頑固というか、迷信深いところがあるんだよな……。

撫子

確かに……。癒義の巫女だけでなく、何か不吉な事が起こると、年若い娘や子供を生贄に捧げて、神様の御機嫌を窺ったりしますね。今は昔ほどじゃないと聞きますけど……。

 しかも、それを止める者も、諫める者も、誰一人としていない。
 村長が定め、時には帝や権力者が命じた事は絶対で、最初から逆らう事など許されない……。

フェインリーヴ

等しくあるべき人権はないのか!?

撫子

そうすれば助かると、誰かの犠牲に頼る風習が根強いんですよ。度々起こる事でもないので、民の皆さんも、それよりも重くのしかかる税の方で苦しんでいたりしますね。

 都の者達はそれほどでもないが、他の村々などによると、不作の年には税を下げられても、やはり暮らしは苦しくて……。
 撫子の国を統治する今の帝は、日々遊興に耽り、政(まつりごと)を一部の高官に任せきりにしているという噂だ。
 そのせいで、自分達の財を増やそうと陰で笑っている者達ばかりが得をして、力なき民が泣いている。
 撫子は癒義の巫女という立場と家柄のお陰で、食べるのに困る事はないが……、その民を救いたいと願っても、その力がなく、僅かばかりの助けにしかなれないでいた。

フェインリーヴ

なるほどな……。ある意味でわかりやすい。

撫子

お師匠様、どうかしましたか?

フェインリーヴ

いける……!! いけるぞ!! 撫子!! シャル!!

シャルフェイト

うわぁ……、めっちゃ大魔王の顔してるなぁ、兄貴……。何思いついたんだよ。

 撫子を癒義の巫女という立場から解放し、全てを円満に片づける策を思いついたフェインリーヴは、早速それを実行する為に、また魔界へと戻って行ったのだった。
 後に残された撫子とシャルフェイトは、顔を見合わせながら、疲れた溜息を零す。

シャルフェイト

お嬢ちゃん、ちょっと覚悟しといた方がいいかも……。あれは絶対何かしでかす顔だ。

撫子

だ、大丈夫なんでしょうか……。私、なんだかとっても不安なんですけどっ!!

 ――そして、それから三ヶ月後。

な、なんじゃ!! これは!!

主上!! 東の空をご覧ください!! ば、化け物がっ!!

あれは一体なんだ!!

 撫子の世界において、とある大国の帝が露台の遥か先に見たのは、――恐ろしき怪異。
 国を包む暗闇よりも色濃い禍々しき闇の気配。
 帝の許まで轟き聞こえてくる大妖の咆哮。
 遠目であっても、それがどれだけ恐ろしいものか、儚き命達にはよくわかる程の邪気が伝わってくるかのようだった。

ひぃいいいいいっ!! だ、誰ぞ!! 癒義の巫女を彼(か)の地へと向かわせよ!! 

主上、お忘れですか!! 癒義の巫女姫様は、一年近く前に、凶極の九尾との戦いにより行方不明に……っ。現在は、代理の巫女様がその地位に就いておられますが、戦いに耐えられるような御方では。

ええい!! この肝心な時に役立たずな巫女めが!! ならば、癒義の一族を全員駆り出すが良い!! 都中の術者も皆、彼の地に向かわせよ!! 必要とあらば、その地の民を贄としても構わん!! 幾らでもな!!

――っ!!

――主上っ!!

 まさに、当代の帝は……、愚王と呼ぶに相応しい暴虐の者であった。
 日々、遊興に耽り、政に興味を示さず、自身が傀儡とされている事にすら気付かず、身勝手を貫き続けている男……。
 すでに傾きすぎている己の国を把握し、正す事も出来ぬその王は、――滅びの足音が迫っている事にも、当然、気付いてはいない。

早うせい!! あぁ、余の守りはしっかりと選別して残すのじゃぞ!! いざとなれば、逃げ延びねばならぬからな!!

 下卑たその嗤い顔に、宴席の場にいた側室達や女官、招かれた踊り手達も……、こっそりと嫌悪の情を覗かせている。
 この帝は、多くの民の命よりも、自身の命を守る事しか考えていない。
 皇族の生まれとはいえ、元々は正当なる継承者に濡れ衣を被せ、その座に就いた非道の主。
 凶極の九尾が復活を遂げる兆しを癒義の一族が察知した際も、平然と彼(か)の巫女に言ったのだ。
 余のために、死んで来い、と……。
 民の為ではなく、皇族たる自分の為にと。
 最早、民心も離れ、天の裁きを待つのみの男。
 臣下の男達も早くその時が来ないかと拳を握り締め耐える日々であったが、――この日、彼らは救いの光を迎える事となる。

――っ!! おい!! あれを見ろ!!

あれは……、なんだ? 大妖が、二体? いや、天上から何かが降りてくるぞ!!

なんじゃ……、あの、……神々しき光はっ。

 巨大な獣の姿をした大妖に襲いかかっていた、同じ大きさ、いや、それよりも少し大きな九尾の大妖の真上に、分厚い雲の群れを割って現れる存在があった。

 

 それは、天上より遣わされた……、神なる存在のように思えた。
 禍々しき闇を撒き散らす獣の大妖を睨み据え、その巨体がぐんっと後ろに一度くねるように反らされると。

グガァアアアアアアアアアアッ!!

 龍の咆哮と共に放たれた強烈な雷撃が、脳天を直撃するが如く、敵と定めたおどろおどろしい体躯をした獣の大妖の方に叩き落された。
 九尾の方には、何の被害も出ていない……。
 その凄まじくも神々しい光景に、国中の民が言葉を失い、釘づけとされてしまう。
 と、次の瞬間、深手を負った大妖に向けて、一人の少女の毅然とした凛なる声音が、都中へと響き渡った。 
 ――龍の背から、その声の主が九尾の手の甲へと舞い降りていく。

撫子

国を乱す禍々しき負の妖よ……。私は、都を守る癒義の巫女。神龍の導きに従い、お前を倒す!!

神龍

癒義の巫女、そして、凶獄の九尾……、いや、我が眷属の神獣よ、我が神龍の名の許に、その大妖を討ち滅ぼすが良い!!

グォオオオオオオ!!

 心得た! そう叫んだかのように、巨大な九尾は獣の大妖へと突き進み、癒義の巫女と名乗った少女もまた、様々な術を操り、都を乱す存在に攻め込んでいく。

おおぉぉ……!! 神龍が我らに味方してくださっておる!! 凶獄の九尾に関してはよくわからぬが……、ははっ、もう何でもよい!! 余の国をしっかりと守るのだ!!

……。

そろそろだな……。

女達は全員避難させてあるから支障はない。――ようやく、この時が来た。

 遠方の地に見える激闘に興奮しているのか、酒に酔っている帝は露台の縁に手をかけ、身を乗り出して子供のようにはしゃいでいる。
 その背後で……、臣下の男達は頷き合い。

――っ!?
ど、どうした!!
お前達……、何を。

 露台の地を力強く踏み叩いた臣下の男にぎょっと振り向いた帝の目に、宴席を通ってこちらへと雪崩れ込んでくる、恐ろしい形相の男達の群れが映り込んだ。
 その中から、一人の美しい青年が前に歩み出ると、国の主たる帝に対し、その銀の煌めきを突き付けた。

我が国を脅かす、天命を受けぬ王よ……。貴様の命運、今宵で尽きると知れ!!

お、お前は……っ、余が流刑の身としたはず!! 何故ここに!!

いかにも!! 先王亡き後、叔父である貴様に濡れ衣を着せられ、遥か辺境の地へと追いやられた者!! 先王が実子、一の皇子なり!!

我ら一の皇子様に仕えし、忠臣!! 愚王たる貴様を討ち倒すこの日を、どれほど待ち詫びていた事か!!

聞け!! 愚王よ!! 一の皇子様は、貴き神龍様の加護をお受けになった!! つまりこの反乱は、神の天啓!! 潔く討たれられよ!!

 先王の実子、一の皇子……。
 彼は神龍の導きに従い、ついにかねてよりの悲願を果たす時が訪れた。
 彼らは恐れ慄く当代の帝を包囲し、――。

でも、あの時は本当に吃驚したわよね……。突然見た事もない新しい大妖の出現と、まさかそれを討ち果たしたのが、――凶獄の九尾と自分の妹だなんて。……凄いハッタリだったわ。

撫子

しーっ!! しーっ!! 姉様、それ言っちゃ駄目ですって!!

ふふ、ごめんなさい。でも、もうこの屋敷にも監視の目はなくなっているし、フェインさんが色々と細工をしてくれているから大丈夫よ。

だな。あの人は本当に凄いよ。俺達がずっとどうにも出来ずにいた因習を変えるだけでなく、愚王も引き摺り下ろしてくれた。

全部ってわけにはいかないけど……、癒義の一族と凶獄の九尾の関係性も変わって、撫子、今じゃお前は、神龍様の花嫁だ。

 そう、あの恐ろしい怪異と、神々しい天上からの存在が降臨した晩。
 民を苦しめていた愚王や、それを傀儡としていた者達は討たれ、新たな王、――天啓を受けた帝がこの国を治める事となった。
 そして、撫子は癒義の巫女として都に帰還し、人の姿となった神龍と共に、新たな帝を祝福した。
 その神龍の傍らには、同じく人の姿となった凶獄の九尾が付き従い、かつての時代で起こった悲劇が、神の御使いを操った禍神の仕業であると説明する事に。
 勿論、それは周囲への茶番じみた芝居であり、実際は神龍などこの地には降臨していない。
 全ては、民を苦しめる愚かな帝を引き摺り下ろし、新しき帝と取引をする為……。

撫子

まぁ、今の帝様も、お師匠様が神龍だって、そう信じちゃってるんだけど……、まぁ、皆の為になる嘘だから、いい、よね?

 神龍の姿と、その存在が人となった姿を担当したのは、撫子のお師匠様だ。
 ちなみに、凶獄の九尾姿で偽物の大妖と戦っていたのは、タマとクロ合体した姿。
 帝の御所に同行していた人型の九尾は、言わずもがな、シャルフェイトだ。
 撫子の国における事情を念入りに聞き出し、その上で、今回の計画を実行に移す事にした。
 迷信深く、因習に囚われている民……。
 その心を利用する事には胸が痛んだが、それを信じるに値する芝居を打たなければ、神龍降臨の信憑性も、事の運びも上手くはいかなかっただろう。
 事前に、行方不明となっていた撫子とフェインリーヴがこの世界にこっそりと何度か通い、一の皇子を捜し出して、交渉を持ち掛けた。
 愚王を討つ為に、神龍と巫女が手を貸そう、と。

撫子

一の皇子様を信用させるのにも苦労したけど、民の事を思い遣る方で良かった……。そうでなければ、私は今こうしていられないもの。

頭の固い婆様達も、今じゃ美形神龍様にベタ惚れだもんなぁ。

そりゃあ、相手が神様だって信じ込んでいるのだもの。悪い神様じゃなくて、良い神様のふりをした、素敵な魔王様のお陰で、この国も良い方向に変わりだせたわ。

神龍様がもたらしてくれた案が確実にこの国を変えてくれている。生贄制度の廃止に、各村々を支える為の施設の完備や、その地の調査。税率の見直し、と。まぁ、始まったばかりだが、その内安定するだろうさ。

 文明の進んでいるフェインリーヴの世界からより良い知識を選んで、こちらの世界に流す。
 撫子のお師匠様は神龍役を続けながら、帝や貴族達の許にだけではなく、国のあちらこちらを巡り、問題点を見つけてはそれを解決する策を授けてくれている。
 そして、撫子を解放する為に、彼は癒義の一族とも交渉を続けている。
 一人の娘を一門の代表とするのは良い。
 だが、その存在に頼りきり、重圧をかけて巫女を苦しめる因習は、あまりに残酷……。
 神の目から見れば、小娘一人に何もかもを背負わせる民の在り方は、酷く傲慢に思える、と。
 故に、フェインリーヴは神龍として求めた。
 妖に対する術者の育成にさらなる資金をつぎ込み、巫女一人に頼らずとも全員で力を合わせて敵を討ち果たせる基盤を整えよ、と。
 また、巫女を一生縛り付ける真似はせず、在位期間を定め、一人ではなく、何人かの癒義の巫女、いや、守護者を立てよ。都を司る四方の理に倣い、まずは四人。
 そして、皇族から一人。合わせて五人。
 男女の差別はせず、能力を重視。
 男であれば、『神子』、女であれば、『巫女』。
 結界を作る能力に秀でた者を守護者とせよ。
 そうする事で、何があっても揺らがぬ国の守りが強固なものとなるだろう。
 そう説き続け、癒義の重責を背負う者達にも、人としての幸せを与えよと、彼は辛抱強く長老や帝達と話し続けた。
 そして、その結果……、今ではその基盤が徐々に整いつつある。

撫子

でも、さりげなく、当代の癒義、つまり、私を友好の証として、神龍の花嫁に寄越せ……、なんて、お師匠様もちゃっかりしてるわ。

 まぁ、そのお陰で、フェインリーヴと撫子は晴れて公認の仲となり、こちらの様子を定期的に見に来られるという名目が出来たわけだが。
 二つの世界を行き来する神龍様、ならぬ、魔王様。
 お仕事が増えましたね、と、心配する撫子に、彼は必ず笑って応えてくれる。
 お前と一緒にいられるのなら、全部喜びの種だ、と。

撫子

ふふふふふ……。

……。

……。

完全に妄想か何かの世界に浸ってるな、こいつ……。

 姉や兄達が残念な目で見ている事にも気付いていない撫子の頭の中は、その指摘通り、春真っ盛りの花畑状態だ。
 初恋が叶っただけでなく、自分の世界における問題事にも光が見えた。
 ずっと、誰かの為に生きて、誰かの為に死ぬのだと、そう思っていた人生が、ようやく……。
 年頃の娘らしくなれた撫子だったが、家族の者は皆こう思っている。

はぁ……。お嫁に行くまでに、色々と教え込まないと、フェインさんが苦労しそうだわ。

しとやかさ、ってもんを教えないとなぁ。

あと、大食いな。大食いの矯正。神龍の花嫁がこれじゃ、ウチの伝承師が泣くぞ。

 ちなみに伝承師とは、その時代にあった事を書き記す職に就いている者の事を指す。
 昔は大雑把にしか書かれていなかった時代もあるが、今はかなり慎重に綴るものを選んでいる。
 その時代の主だった人物の生まれや育ち、性格、などなど、事こまかに記される時代となったのだ。
 つまり、おはぎや大福をもぐもぐ頬張っている撫子のその食欲旺盛なところも……、ばっちりと、綴られる可能性がある、かもしれない。

撫子

今頃、お師匠様、どうしてるかなぁ~。

 まぁ、本人は幸せ真っ盛りで、そんな些細な事は、どうでも良いようだが……。
 家族達も、そんな妹の幸せそうな顔を見つめながら、やがて同じように、相好を崩すのだった。

pagetop